GOKIGENRADIO

バーボングラス片手のロックな毎日

コントが始まる ユーミンの歌の世界観

2021-05-09 20:43:06 | MUSIC/TV/MOVIE

これは『売れないコントグループを10年続けてきた三人と、心に傷を持った女の青春群像劇』のドラマである。

「コントが始まる」を簡単に説明するとこうなる。番宣でもそうなってる。

 

このドラマは観る人によって評価が別れると思う。人によっては「うまい作り方だなぁ、面白いぜこれ!」と絶賛する人もいれば、「なんだこれ?意味わからん」と全く共感できない人もいるだろう。

いや、それ以前にタイトルで「コント番組かぁ」と勘違いしてしまう人もいるのではないだろうか。

したがって多分視聴率は悪いと思う。いいドラマ=高視聴率とは限らんからな。世代視聴率ならともかく、子供から老人まで全世代が楽しめるドラマ(ファミリードラマ)って、今の時代不可能だと思うのよ。

 

俺はこのドラマ、めっちゃ面白いと思う。めっちゃいいドラマだと思う。脚本もいいし、演出もいいし、何より演じる役者がいい。

演じるのは、今売れに売れている菅田将暉、仲野大賀、神木隆之介、そして有村架純(奇しくもみんな1993年生まれ)という豪華メンバー。古川琴音、芳根京子、松田ゆう姫、伊武雅刀、中村倫也、鈴木浩介などが脇を固める。

菅田、仲野、神木の三人は高校の同級生で、同居(シェアハウスなんていいもんじゃない)しながら「マクベス」という売れないコントグループを10年続けてる。

有村架純は三人がネタ作りに利用してるファミレスのウェイトレスで、最近マクベスのヲタ(ファン)になった。古川琴音はボロボロになって会社辞め引きこもった姉(有村)を心配して上京〜そのまま同居している妹。

 

毎回、ドラマ冒頭でコントシーンがあり、それが伏線となって展開され、ラストで見事に回収される。

ってのがドラマ通とか言われる人(誰だ)の評価だ。ネットでもそう書いてる人が多い。半分正しく半分間違ってる。伏線は至る所に張り巡らせてあり、いろんなところで回収される。週をまたいで回収されたりする場合もある。

したがって「何だ、あれ(伏線)はここに繋がっていたのか」と気付く人、「えっ、あれってそういうことだったのぁ」と、してやられた感を楽しむ人にとってはめちゃくちゃ面白いドラマだ。

逆に最近多い「ネタバレ希望」「結末は先に教えてくれ。じゃないと落ち着いて見れない」という人には全く不向きなドラマである。

 

例えば、第一話で菅田将暉が泥酔している有村架純と初めて出会うシーンがある。これは第1話の冒頭のコントの伏線でもあるのだが、第3話のたこ焼きパーティシーンで、これは有村架純が会社を辞めた日の事だったことが判明。

そのあと彼女は引きこもるのだが、助けに来てくれた妹(古川琴音)の事は第2話と第4話でリンクしている。

ちなみにそのたこ焼きパーティの際、第1話と2話で仲野大賀が調味料を使ったらすぐに冷蔵庫に戻してたのだが、あれがここで回収される。スルーしてしまうようなキャラクターのただの癖さえも伏線として利用されてる。

他にも神木は卒業後プロゲーマーになり、途中からマクベスに参加した本当の理由や、母親(西田尚美)との不仲とか金髪の理由とかいろんな事が、第2話第3話で繋がり回収される。

 

演じるのがかなり難しい脚本だ。

この演技力に長けてる実力派が集まったからこそ成り立つドラマだ。よくスケジューリングできたなぁ)。

芳根京子が演じる仲野の彼女もいい。可愛い。小憎たらしい。こんな彼女がいたら最高だろう。そりゃ告白するときアキレス腱も伸ばすし、部屋に上がる前に足も洗うさ。

松田ゆう姫が古川がバイトしてるスナックのママを演じてるのだが、ミステリアスだねぇ。目立つ演技をしてるわけではないが華があるのはさすが。

伊武雅刀は神木がバイトしてる焼き鳥屋の大将。津川雅彦亡き今、不敵な笑いの似合う役者は彼以外いない。元祖スネークマンショーは神木に泣かせる言葉かけたり、菅田にきつい言葉かけたり、親代りみたいな役どころ。

中村倫也はマクベスのマネージャー。解散を撤回するよう説得するが「10年やって人気の無い奴に可能性なんてあります?」と言う菅田。そんな彼に『今売れてる奴らは、例外なくもう限界だなってところからもう一踏ん張りしてきてるんだよ』と説得(説教)するシーンがあるんだが、これがリアリティあってサブイボ出たわ。だってこれ、くすぶってた中村がムロツヨシに言われた言葉やん(ちょっとニュアンス違うけど)。

鈴木浩介は三人の高校の先生。グループ名マクベスの由来でもある。結成の後押しをしてくれた先生だが、解散撤回の後押しはしてくれなかった。「今までの10年とこれからの10年は意味が違う」と。これも売れない下積みの時代の長かった鈴木の言葉だけに重みがある。

 

毎回大げさな事件が起こるわけでもなく、どこにでもある、いやどこかにある若者たちの姿が描かれる。

そう、このドラマはまるで80年代全盛期の松任谷由実の歌なのだ。

「なんか懐かしい」とか「わかるわぁ」とイメージできる、いや、そう錯覚してしまうのだ。

「あの時あの夢を諦めてなかったら」「あの道を進んでたら」「ずっと夢を見続けてたら」

分岐点でこっちを選んで今の自分の生活がある。それを後悔することはないが、間違ってなかったとも思えない。

ただ時々ふっと懐かしく思えて振り返ったりすると「なぜ私は(僕は)現実に向き合ってしまたのだろう」と考えたりもする。

 

でもそれは「もしかしたら自分にもあったかもしれない」世界。

夢を一緒に追う友達と狭いアパートで同居してたこともないし、バイト生活しながら売れないまま10年経ったこともない。親に「10年好きにさせてくれ」と約束してしまった期限が来る焦りも感じたことないし、志半ばで諦めて帰ったこともない。

普通の人はそうだろう。バンドマンか劇団員かそういった類の夢老い人以外は、普通に会社に入り、普通に通勤し、普通に恋愛し、普通に家庭を持っていく。

なのに、「なんか懐かしい」とか「わかるわぁ」と感じさせるドラマなのだ。

 

このドラマかなりの秀作である。

ただ、残念なのは「コントが始まる」というタイトルのくせに、肝心のコントは全く面白くないってところだ。まぁ「だから10年間売れなかった」ってことなんだけどさ、結構苦痛よ。毎回この面白くないコントのくだり見せられるの。

視聴率は悪いだろうな。

でもいい、ドラマ自体は面白いもん。