11月23日は勤労感謝の日。
以前も書いたがこの日は元々新嘗祭と呼ばれる祭日。農作物の恵みを感謝する収穫祭でもある。
それが戦後、農家の人に感謝をする日というわけではないだろうが、働いてる人に感謝する(働けることに感謝する日か?)勤労感謝の日というわけわからん祝日になった。
俺が子供の頃は、ごはん粒が茶碗に付いてたりすると「お米はお百姓さんが88日かけて作ってくれてるんだ」と言われ、「お米には100人の神様がおられるんだ」と説教された。
なんでも食べる好き嫌いはほとんどない子供だったが、煮物とか炊いたんはちょっと苦手だった。(大人になってからでしょ、こんなのが好きになるのって)だからといって食べないとまた「世の中には食べられない人もいるのに」と説教された。
母親がたの実家が農家だったせいで「いただきます」って言葉は、美味しい農作物を作ってくれてる農家の皆様に感謝する言葉だと言われて育った。
だから肉とか魚だったら言わなくていいのかというと、牛や豚や鳥を育ててくれた人や漁師さんに対する感謝の意味だと言われりした。
ある時は、料理を作ってくれた人に感謝の意味だと言われて育った。
学校の先生でも、親御さんでも勘違いしてる人が多いが、本当は「いただきます」という言葉は「あなたの命をいただきます」という感謝の意味だ。
でもまぁとりあえず、命だけではなく、畜産農家や漁師の方々、料理してくれた人皆様に感謝するのは悪いことでは無い。
とはいえ、その命の源を作ってくれたり育ててくれる日本の畜産農家はかなりやばいらしい。
高齢化が進み、跡継ぎがおらず、人手が足りず、生産性が低くリスク回避ができにくい。このままだとどんどん廃業におきこまれていく畜産農家はかなり多いという。
今放映されてる『下町ロケット』でも、この問題をストーリーの主軸に置いている。
労働基準法だ、週休二日制だ、有給だ、最低賃金だとか、公務員やサラリーマンに沿った法律をどんどん整備するからこんなことになる。
以前からこのブログでも書いているが、仕事によっては現行法律が当てはまらない職種があるのだ。職人の世界や芸能界もそうだけど、農業もアメリカみたいなファームのような大規模農場なら別だが、普通の農家ではとてもじゃないが対応できないのだ。
畑を耕し、種をまき、手入れをし、収穫する。
家庭菜園やガーデニングをされてる方ならわかるだろうが、植物を育てる手間は半端じゃない。休みがどうのとか言ってては育てられない。冬は寒いわ夏は暑いわ、虫はいるわ、キツイわ、休みはないわだから、すぐブラックだとかやりがい搾取だとか、共産党の資本主義否定論に洗脳されていう人は農家は務まらない。まず無理だと思う。
大雨や台風が来たらせっかく育った稲が倒され、収穫前の実が落とされるかもしれない。冷夏だと成長が遅いし、猛暑だと枯れてしまう。ビニールハウスも大雪や風で吹き飛ばされてしまうかもしれない。
昔に比べりゃ機械化は進んだと思う。トラクターやコンバインなどや、電動器具のおかげで昔みたいに鍬や鋤の手作業だけでってのよりはだいぶマシだろう。だけど機械が入れないような棚田や斜面などもある。
気候によって収入も安定しないし、実際種や稲を買ったり器具を買った借金を、その年できた作物収めて返済してるっていう自転車操業・借金まみれの農家も多い。これじゃぁ若者たちが農家になろうって気も起こらない。
野菜や果物ももちろん大事だが、日本人にとって米は大事だ。
輸入自由化とか今回のTPPとかの関税問題でも米だけは守ろうとする。まぁそれって農協や農民票が欲しい政治家の思惑もあるんだろうけどさ。
でも、外国産の米がいくら入ってきてもね、味が違うからそれほど売れるとは思わない。和食にはやっぱり日本のお米だろ。煮物や魚だけでなく、ハンバーグやトンカツなど(俗に言われる洋食ね)には日本の米だね。
ただ、勘違いしないでほしいのだが、外国の米が不味いと言ってるのではないよ。カレーにはタイ米などの長粒種が合うし、ジャンバラヤとかパエリアは外国の米で作った方が美味しい。ただ普段の日本人の食生活・献立においては日本の米の方が合うってこと。先人たちが品種改良に改良を重ねて今の日本の米にしたんだもんね。だから自由化とか関税をなくして外国産が入ってきても売れるとかは限らない。オレンジとみかん、さくらんぼとチェリーとかもそうだよね。
それに世界広しといえど、米の収穫高で収入を表してたってのは日本だけだ。戦国時代の大名を表すのに何万石とかって石高で権威を表すが、イギリスでもスペインでも麦何万トンの領主とかって聞いたことがない。
だが、この“石”という単位。これもはっきり説明できる日本人は少ない。こんなところも先の「いただきます」と一緒で、若い世代にも教えていかないと、伝えていかないといけないことだ。
ちょっとここからはウンチクになるのだが、
石は一人の人間が一年に食べる米の量を基準にして作られた単位。
今と違い昔の人はよく米を食べたそうだ。今みたいにおかずの種類が豊富でなかったってのもあるかもしれないが、とにかく米を食ってた。当時は1日2食(朝と夕)で、その1日に食べる米は二合五勺が平均とされてたので、そこから計算して千合=一石という単位になった。
そして一石の採れる水田の広さが一反。一反は300坪(約990㎡)。各地で結構適当だったこの水田の基準や計算方法をきっちり裁定したのが豊臣秀吉の太閤検地。それまでは一反は360坪。ってことは今も土地を表す単位で使われる坪は、人間一人の1日分の米がとれる広さってことだね。ってことは百万石ってのは、百万人の人間を一年間食べさせていけるだけの生産能力のある土地ってことだ。
ちなみに一石の米を買えるのが金一両。時代によって換金率は変動してるけど、江戸時代末は一両=約8万円〜13万円くらいだ。
更に余談だが、封禄の“禄”も食い扶持の“扶持”も米のことだ。
地方各藩が飢饉などで困ってる時でも江戸や大坂などの都市では精米された米が流通されてて結構食べてたらしい。ただ、精米した米ばかり食べるせいでビタミンB1不足で脚気になった人が多かってさ。病気で江戸を離れて田舎に帰ると精米ではなく玄米を喰うし、お米もそんなにふんだんにあるわけじゃないから粟や稗などを混ぜ炊いたのを食べると治るから、脚気って江戸患いと言われてたらしい。
ところが最近は米離れが進んでるらしく、あまり米を食べなくなったってね。だったら脚気になる人も少ないんだろうな。
米離れは一時期政府が打ち出した減反制度(及び補償)とか、農協による一括買い上げ制度による価格調整などが原因とかだって言ってる人がいるけど、それはちょっと的はずれ。
もちろんそれらも原因の一つにはあるけれど、それってただ単に今はパンとかパスタとか他にも食べるものいっぱいあるからじゃねぇの?米も食べるけど小麦も食うよってだけのことだろう。毎食米じゃなあきゃダメだってのは、昔気質の頑固な老人くらいじゃないのかね。
ただ、間違った炭水化物ダイエットとかやってる人や、糖質オフだとか血糖値がどうたらこうタラってのを鵜呑みにしてご飯(お米)を食べない人はちょっと困ったもんだ。
炭水化物は血糖値を上げ、脳の動きを活性化してくれる。パンやうどんも炭水化物だけど、粉からできているものはご飯より消化吸収が早く、血糖値がすぐ上がりそしてすぐ下がる。簡単に言うと腹持ちが悪いってことだな。それを「ヘルシー」と勘違いしてる人も多いんだよ。だからご飯っていうのは健康上でも栄養学的にも大事だと思うのだが、雑誌やテレビなどで間違った知識と見解を堂々と語ってる芸能人や専門家ってのは多い。
雑誌などでもどこどこのパン屋が美味しいとか、あそこのラーメンがどうの、ここのパスタが・・・とかよくやってるけど、ここの店の米はこだわってるぜってのはあまり紹介されてないよな。たまに紹介されてても土鍋で炊いてるとか、店主がこだわって選んでるぜってくらい。メインはおかず(料理)の紹介だ。
野菜や果物なんかも、たまに「このお店は有機野菜を使って」とかやってるけど、本当の有機野菜なんて全農作物の1%もない。全農家の数%くらいしかやれないのよ。手間もかかるし、育てにくいし、認定されるのも大変だし、近くに有機じゃない畑があったら影響も受けるし。
せっかく苦労して育てても、単価はどうしても上がるから高い。大間のマグロだとか関サバだとか、松坂や神戸の牛だとかと同じで、流通量も多くできないからどうしても高くなる。でもそうなれば一般人は手を出しづらい
そして何より問題なのは有機の物は、見栄えが悪いからと買ってもらえなかったりする。農薬まみれで大量生産されたような大きさが均一で見た目がいい野菜に慣れてしまってるとね。
でも、もう一つ問題があるのは、有機野菜って美味しくないものの方が多いことだ。もともと野菜っていうのは虫に食べられると食べられないように自分で毒素をつくる。それがトマトやキャベツなどでも「昔のはもっと苦かった」と言われる由縁だ。
だから農薬を使ったり、品種改良をして今の美味しくて虫食いのない野菜を作ったのだ。有機だけを手放しで褒め称えたりするのもどうかと思う。有機野菜は農薬を使ってないから安全っていうわけではない。有機野菜だから美味しいってものばかりでもない。
それでもちょっとでも高く売れた方が、経済的にも対価としてもいいのだからね。有機野菜ってブランドにするのはいいかもしれない。
特化して少しでも高く売れるために、懸命に品種改良したりブランド化したりしてるんだし、それに見合うほど手間をかけて丹念に育てている農家がいる。でも成功してるのって一部の農家だけなんだよね。
そこまで手間暇かけてられない。そこまで人手がない。そんなに手広くもできない。今までと違うことに取り組んで失敗したら・・・。
現実に人手不足や収入減少で廃業せざるをえない農家があり、いくつも放置された畑や休田がある。過疎化が進み、行政が力を入れても、IターンやUターンなど移住がうまくいかない村や町がある。
もっとメディアやマスコミはここら辺の報道や紹介に力を入れて欲しいのだよ。
どこどこのお店が美味しいってただタレントが騒ぐ番組や、ランキング付けたり紹介する雑誌だけじゃなく、もっと日本の農作物の危機感をやって欲しいのだ。
そんなことから考えても、今やってる『下町ロケット』は、かなり意義のあるドラマだと思う。
農家が今、抱えている問題の解決。それは今後の日本の食糧問題や食文化にも大いに関係してくること。そしてそれは別に直接農業をしなくても、違う分野からでも支えられることを描いてる。
ぜひ、観て欲しいな。
将来も安全で安心な美味しい農作物が食べられるためにも、もっと考えようよ。
インバウンドだぁ、東京オリンピックだぁ、大阪万博だぁって浮かれる前にね。
第一次産業の衰退は国が滅びる恐れがあるのだよ。
以前も書いたがこの日は元々新嘗祭と呼ばれる祭日。農作物の恵みを感謝する収穫祭でもある。
それが戦後、農家の人に感謝をする日というわけではないだろうが、働いてる人に感謝する(働けることに感謝する日か?)勤労感謝の日というわけわからん祝日になった。
俺が子供の頃は、ごはん粒が茶碗に付いてたりすると「お米はお百姓さんが88日かけて作ってくれてるんだ」と言われ、「お米には100人の神様がおられるんだ」と説教された。
なんでも食べる好き嫌いはほとんどない子供だったが、煮物とか炊いたんはちょっと苦手だった。(大人になってからでしょ、こんなのが好きになるのって)だからといって食べないとまた「世の中には食べられない人もいるのに」と説教された。
母親がたの実家が農家だったせいで「いただきます」って言葉は、美味しい農作物を作ってくれてる農家の皆様に感謝する言葉だと言われて育った。
だから肉とか魚だったら言わなくていいのかというと、牛や豚や鳥を育ててくれた人や漁師さんに対する感謝の意味だと言われりした。
ある時は、料理を作ってくれた人に感謝の意味だと言われて育った。
学校の先生でも、親御さんでも勘違いしてる人が多いが、本当は「いただきます」という言葉は「あなたの命をいただきます」という感謝の意味だ。
でもまぁとりあえず、命だけではなく、畜産農家や漁師の方々、料理してくれた人皆様に感謝するのは悪いことでは無い。
とはいえ、その命の源を作ってくれたり育ててくれる日本の畜産農家はかなりやばいらしい。
高齢化が進み、跡継ぎがおらず、人手が足りず、生産性が低くリスク回避ができにくい。このままだとどんどん廃業におきこまれていく畜産農家はかなり多いという。
今放映されてる『下町ロケット』でも、この問題をストーリーの主軸に置いている。
労働基準法だ、週休二日制だ、有給だ、最低賃金だとか、公務員やサラリーマンに沿った法律をどんどん整備するからこんなことになる。
以前からこのブログでも書いているが、仕事によっては現行法律が当てはまらない職種があるのだ。職人の世界や芸能界もそうだけど、農業もアメリカみたいなファームのような大規模農場なら別だが、普通の農家ではとてもじゃないが対応できないのだ。
畑を耕し、種をまき、手入れをし、収穫する。
家庭菜園やガーデニングをされてる方ならわかるだろうが、植物を育てる手間は半端じゃない。休みがどうのとか言ってては育てられない。冬は寒いわ夏は暑いわ、虫はいるわ、キツイわ、休みはないわだから、すぐブラックだとかやりがい搾取だとか、共産党の資本主義否定論に洗脳されていう人は農家は務まらない。まず無理だと思う。
大雨や台風が来たらせっかく育った稲が倒され、収穫前の実が落とされるかもしれない。冷夏だと成長が遅いし、猛暑だと枯れてしまう。ビニールハウスも大雪や風で吹き飛ばされてしまうかもしれない。
昔に比べりゃ機械化は進んだと思う。トラクターやコンバインなどや、電動器具のおかげで昔みたいに鍬や鋤の手作業だけでってのよりはだいぶマシだろう。だけど機械が入れないような棚田や斜面などもある。
気候によって収入も安定しないし、実際種や稲を買ったり器具を買った借金を、その年できた作物収めて返済してるっていう自転車操業・借金まみれの農家も多い。これじゃぁ若者たちが農家になろうって気も起こらない。
野菜や果物ももちろん大事だが、日本人にとって米は大事だ。
輸入自由化とか今回のTPPとかの関税問題でも米だけは守ろうとする。まぁそれって農協や農民票が欲しい政治家の思惑もあるんだろうけどさ。
でも、外国産の米がいくら入ってきてもね、味が違うからそれほど売れるとは思わない。和食にはやっぱり日本のお米だろ。煮物や魚だけでなく、ハンバーグやトンカツなど(俗に言われる洋食ね)には日本の米だね。
ただ、勘違いしないでほしいのだが、外国の米が不味いと言ってるのではないよ。カレーにはタイ米などの長粒種が合うし、ジャンバラヤとかパエリアは外国の米で作った方が美味しい。ただ普段の日本人の食生活・献立においては日本の米の方が合うってこと。先人たちが品種改良に改良を重ねて今の日本の米にしたんだもんね。だから自由化とか関税をなくして外国産が入ってきても売れるとかは限らない。オレンジとみかん、さくらんぼとチェリーとかもそうだよね。
それに世界広しといえど、米の収穫高で収入を表してたってのは日本だけだ。戦国時代の大名を表すのに何万石とかって石高で権威を表すが、イギリスでもスペインでも麦何万トンの領主とかって聞いたことがない。
だが、この“石”という単位。これもはっきり説明できる日本人は少ない。こんなところも先の「いただきます」と一緒で、若い世代にも教えていかないと、伝えていかないといけないことだ。
ちょっとここからはウンチクになるのだが、
石は一人の人間が一年に食べる米の量を基準にして作られた単位。
今と違い昔の人はよく米を食べたそうだ。今みたいにおかずの種類が豊富でなかったってのもあるかもしれないが、とにかく米を食ってた。当時は1日2食(朝と夕)で、その1日に食べる米は二合五勺が平均とされてたので、そこから計算して千合=一石という単位になった。
そして一石の採れる水田の広さが一反。一反は300坪(約990㎡)。各地で結構適当だったこの水田の基準や計算方法をきっちり裁定したのが豊臣秀吉の太閤検地。それまでは一反は360坪。ってことは今も土地を表す単位で使われる坪は、人間一人の1日分の米がとれる広さってことだね。ってことは百万石ってのは、百万人の人間を一年間食べさせていけるだけの生産能力のある土地ってことだ。
ちなみに一石の米を買えるのが金一両。時代によって換金率は変動してるけど、江戸時代末は一両=約8万円〜13万円くらいだ。
更に余談だが、封禄の“禄”も食い扶持の“扶持”も米のことだ。
地方各藩が飢饉などで困ってる時でも江戸や大坂などの都市では精米された米が流通されてて結構食べてたらしい。ただ、精米した米ばかり食べるせいでビタミンB1不足で脚気になった人が多かってさ。病気で江戸を離れて田舎に帰ると精米ではなく玄米を喰うし、お米もそんなにふんだんにあるわけじゃないから粟や稗などを混ぜ炊いたのを食べると治るから、脚気って江戸患いと言われてたらしい。
ところが最近は米離れが進んでるらしく、あまり米を食べなくなったってね。だったら脚気になる人も少ないんだろうな。
米離れは一時期政府が打ち出した減反制度(及び補償)とか、農協による一括買い上げ制度による価格調整などが原因とかだって言ってる人がいるけど、それはちょっと的はずれ。
もちろんそれらも原因の一つにはあるけれど、それってただ単に今はパンとかパスタとか他にも食べるものいっぱいあるからじゃねぇの?米も食べるけど小麦も食うよってだけのことだろう。毎食米じゃなあきゃダメだってのは、昔気質の頑固な老人くらいじゃないのかね。
ただ、間違った炭水化物ダイエットとかやってる人や、糖質オフだとか血糖値がどうたらこうタラってのを鵜呑みにしてご飯(お米)を食べない人はちょっと困ったもんだ。
炭水化物は血糖値を上げ、脳の動きを活性化してくれる。パンやうどんも炭水化物だけど、粉からできているものはご飯より消化吸収が早く、血糖値がすぐ上がりそしてすぐ下がる。簡単に言うと腹持ちが悪いってことだな。それを「ヘルシー」と勘違いしてる人も多いんだよ。だからご飯っていうのは健康上でも栄養学的にも大事だと思うのだが、雑誌やテレビなどで間違った知識と見解を堂々と語ってる芸能人や専門家ってのは多い。
雑誌などでもどこどこのパン屋が美味しいとか、あそこのラーメンがどうの、ここのパスタが・・・とかよくやってるけど、ここの店の米はこだわってるぜってのはあまり紹介されてないよな。たまに紹介されてても土鍋で炊いてるとか、店主がこだわって選んでるぜってくらい。メインはおかず(料理)の紹介だ。
野菜や果物なんかも、たまに「このお店は有機野菜を使って」とかやってるけど、本当の有機野菜なんて全農作物の1%もない。全農家の数%くらいしかやれないのよ。手間もかかるし、育てにくいし、認定されるのも大変だし、近くに有機じゃない畑があったら影響も受けるし。
せっかく苦労して育てても、単価はどうしても上がるから高い。大間のマグロだとか関サバだとか、松坂や神戸の牛だとかと同じで、流通量も多くできないからどうしても高くなる。でもそうなれば一般人は手を出しづらい
そして何より問題なのは有機の物は、見栄えが悪いからと買ってもらえなかったりする。農薬まみれで大量生産されたような大きさが均一で見た目がいい野菜に慣れてしまってるとね。
でも、もう一つ問題があるのは、有機野菜って美味しくないものの方が多いことだ。もともと野菜っていうのは虫に食べられると食べられないように自分で毒素をつくる。それがトマトやキャベツなどでも「昔のはもっと苦かった」と言われる由縁だ。
だから農薬を使ったり、品種改良をして今の美味しくて虫食いのない野菜を作ったのだ。有機だけを手放しで褒め称えたりするのもどうかと思う。有機野菜は農薬を使ってないから安全っていうわけではない。有機野菜だから美味しいってものばかりでもない。
それでもちょっとでも高く売れた方が、経済的にも対価としてもいいのだからね。有機野菜ってブランドにするのはいいかもしれない。
特化して少しでも高く売れるために、懸命に品種改良したりブランド化したりしてるんだし、それに見合うほど手間をかけて丹念に育てている農家がいる。でも成功してるのって一部の農家だけなんだよね。
そこまで手間暇かけてられない。そこまで人手がない。そんなに手広くもできない。今までと違うことに取り組んで失敗したら・・・。
現実に人手不足や収入減少で廃業せざるをえない農家があり、いくつも放置された畑や休田がある。過疎化が進み、行政が力を入れても、IターンやUターンなど移住がうまくいかない村や町がある。
もっとメディアやマスコミはここら辺の報道や紹介に力を入れて欲しいのだよ。
どこどこのお店が美味しいってただタレントが騒ぐ番組や、ランキング付けたり紹介する雑誌だけじゃなく、もっと日本の農作物の危機感をやって欲しいのだ。
そんなことから考えても、今やってる『下町ロケット』は、かなり意義のあるドラマだと思う。
農家が今、抱えている問題の解決。それは今後の日本の食糧問題や食文化にも大いに関係してくること。そしてそれは別に直接農業をしなくても、違う分野からでも支えられることを描いてる。
ぜひ、観て欲しいな。
将来も安全で安心な美味しい農作物が食べられるためにも、もっと考えようよ。
インバウンドだぁ、東京オリンピックだぁ、大阪万博だぁって浮かれる前にね。
第一次産業の衰退は国が滅びる恐れがあるのだよ。
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