俺は茂木健一郎が大嫌いだ。
以前も「茂木健一郎ってなんなの」ってブログを書いた記憶があるが、この人だけはやっぱりよくわからん。
脳学者って俺にはよくわからないジャンル。そこの偉い人なのかもしれないが、この人の脳みそを一度見てみたいものだ。いや見たくもない。ただ、どこをどう判断すればこんな馬鹿げたことを公で言えるのかは知りたい。この人の言うことを理解できる日は来るのだろうか。まぁこなくてもいいけど。
10日の茂木氏のブログ。
要約すると「テレビが中田さんを干すのではなく中田さんがテレビを干す恐るべき時代」
何が恐るべき時代なのかはさておき、オリエンタルラジオの中田がテレビで干されてることについて書いた記事。
オリエンタルラジオの中田敦彦。出身が地元なので応援してたんだが、最近はちょっと勘違い芸人になってしまってた。
辛口で世相を批評するのはいい。情報番組や報道番組のコメンテーターみたいなことをするのもいい。独自の視点で言うことに賛否はあれど個人の見解・意見だからね。慶應義塾大学経済学部卒業だから頭もかなりいいんだろう。
でも中田は、言っちゃいけない、やっちゃいけないことをした。
先輩芸人を批判したり、自分の考えに賛同できない人を低レベル呼ばわりしたりした。
それらの言動が元で、「自分を勘違いしてる芸人」と世間は判断し、テレビは中田を使わなくなった。『ビビット』は今年3月に、『ヒルナンデス!』も確か9月で降板した。
過去に同じようなパターンで消えていった山田邦子がいる。彼と近いところにウーマンラッシュアワーの村本大輔がいる。(これは俺の勝手な基準で選んだ)
その中田をテレビが使わなくなったことに対して茂木は「テレビが中田を干すのではなく、中田がテレビを干してるのだぁ」って訳のわからない持論を展開。
彼の持論ではまず
「テレビが大切な仕事の場で、そこに出れないのは『干された』ことになるらしいが、果たしてそうだろうか?」
と切り出す。
どう考えても、テレビを主戦場にしてる芸人がテレビから呼ばれなくなったら、それは「干されてる」ってことだろうと思うのだがね。
テレビに出ることが別に偉いわけではないが、芸人や芸能人にとってテレビに出るか出れないかってのはかなりの重要問題だと思うけどね。公園や地方巡業でテレビに出なくても生活できる、稼げる人はいっぱいいるだろうけど、それでもやはりテレビに出ると知名度はUPするしね。脳学者とやらが片手間にテレビに出るのとはわけが違うのだけど、彼はそこらへんがよくわかっていないみたいだ。
そして彼曰く
「日本だけでなく世界を視野に入れたり、若い世代をはじめ様々な文化に興味を持つ人への浸透、影響力を持つ人にとってはテレビはもはや唯一の選択肢にはなっていない。優先順位が変わってしまったのだ」
これはその通りだ。インターネットが張りめぐされ、SNSで自分の気持ちを発信できる今、指先ひとつで世界と繋がってるしあらゆる情報は液晶画面で手に入る。
でも、テレビが衰退する(してる)かといえばまだまだ先の話だ。映画だってそうだし、CDだってそうだろう。ヒット作が出ない、売れない、離れが進んでる、もう新たな時代(次のコンテンツ)に変わり始めてるとは言われても、まだまだそれらを利用してる人は多い。若い世代がテレビ離れしてようが、人気ドラマや番組は相変わらず 20%近くの視聴率を誇り、サッカーのWカップなんかはとんでもない視聴率がある。
テレビが終わってるというのなら、2020東京オリンピックの放映権なんかを完全否定しろよ。なんでアホみたいな高額で放映権が売られてるんだ?全世界でまだまだテレビというコンテンツを必要としてる人がいるからじゃないのか?
茂木よ。一部の人間や風潮を見て、いかにも全体がそう動いてると判断し結論づけするのは君の悪い癖だ。
そして
「テレビが縮小していく市場の中でまったりしているのではなく、今のテレビがアウトリサーチしていない層への影響力を維持、拡大を考えているのなら、中田や村本、西野といった『はじけもの』の力を借りないとどうしようもないと思う」
だとさ。
はっきり言って馬鹿だな。
確かに村本や西野は『はじけもの』だが、何を彼らに期待してるんだ?
ウーマンラッシュアワーの村本は、自分の考えを述べてるだけにしか過ぎなく、そこに笑いはもうない。
芸人としてはもう終わってしまってる。
論客として生きるなら別だが、芸人としては誰も何も期待しない。だからテレビでも舞台でも、そんな村本を必要としない限り呼ばない。だって他にも代わりはゴロゴロいるものね。
世相を批判したり風刺したりするのが茂木はお好きのようだが、村本はそれをコントにしたり、漫談にしてるわけではないぞ。
爆笑問題やダウンタウンの笑いとは違うのだが、茂木はそれがまだわからないのが不思議だ。
そしてキングコングの西野について言えば、彼にはお笑い以外にクリエイティブな才能があっただけのことだ。で、そちらの方に力を入れて活動してるだけだ。
もちろんそこにお笑いはない。コメディアンとしてではなくアーティストとして活動してるだけだろう。
北野武は本も書けば絵も描き、映画を撮るしそれで認められてる稀有な人だが、彼の根本や言動には常にお笑いがある。
だから彼は芸人の顔も持つ。テレビで辛口の批判をしても笑いに置き換えたりする。このレベルに村本や中田がいるとでも言いたいのか?
テレビではダメだからネットなどを利用してるに過ぎないやつと、テレビの世界で堂々と貫いてる御大を一緒にするなよ。
今年2月に
「日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。後者が支配する地上波テレビはオワコン」
とtweetして炎上し、3月のtweetで
「日本の『お笑い芸人』のメジャーだとか、大物とか言われている人たちは、国際水準のコメディアンとはかけ離れているし、本当に『終わっている』」
と再び批判し、それが見当違いだと散々非難され、ワイドナショーでダウンタウン松本に直接諭されたのに、まだ懲りてないらしい。
っていうか学習しろよ、学者だろ?得意分野だろ?
くそおもんない芸人、勘違いした芸人、偉そうにした芸人、過去にもいたし、そのほとんどが消えていった。
茂木が言う、中田がテレビに干されてるのではなく中田がテレビを干すというのなら、それは見てみたいものだ。テレビから干された=民衆から見放されたではなく、カエラは望んで戦いの場をテレビ買いに移してるんだと、彼は言いたいのだろう。
学者のくせに持論の導線が下手で、どうな風に今後そのような時代が来るのかは全く不明。根拠もデータも何もないが茂木の頭の中では新しい時代が出来上がってるんだろう。
っていうかもう邪魔。
ただの妄想オヤジやん。
理想の国家とは!?って叫んでる往年の闘志が彼の中にはあるのだろうかもしれないが、それこそ時代遅れだろう。
やっぱり茂木が嫌いだ。
テレビから消えてくれ。
っていうかもう消えてるか。
以前も「茂木健一郎ってなんなの」ってブログを書いた記憶があるが、この人だけはやっぱりよくわからん。
脳学者って俺にはよくわからないジャンル。そこの偉い人なのかもしれないが、この人の脳みそを一度見てみたいものだ。いや見たくもない。ただ、どこをどう判断すればこんな馬鹿げたことを公で言えるのかは知りたい。この人の言うことを理解できる日は来るのだろうか。まぁこなくてもいいけど。
10日の茂木氏のブログ。
要約すると「テレビが中田さんを干すのではなく中田さんがテレビを干す恐るべき時代」
何が恐るべき時代なのかはさておき、オリエンタルラジオの中田がテレビで干されてることについて書いた記事。
オリエンタルラジオの中田敦彦。出身が地元なので応援してたんだが、最近はちょっと勘違い芸人になってしまってた。
辛口で世相を批評するのはいい。情報番組や報道番組のコメンテーターみたいなことをするのもいい。独自の視点で言うことに賛否はあれど個人の見解・意見だからね。慶應義塾大学経済学部卒業だから頭もかなりいいんだろう。
でも中田は、言っちゃいけない、やっちゃいけないことをした。
先輩芸人を批判したり、自分の考えに賛同できない人を低レベル呼ばわりしたりした。
それらの言動が元で、「自分を勘違いしてる芸人」と世間は判断し、テレビは中田を使わなくなった。『ビビット』は今年3月に、『ヒルナンデス!』も確か9月で降板した。
過去に同じようなパターンで消えていった山田邦子がいる。彼と近いところにウーマンラッシュアワーの村本大輔がいる。(これは俺の勝手な基準で選んだ)
その中田をテレビが使わなくなったことに対して茂木は「テレビが中田を干すのではなく、中田がテレビを干してるのだぁ」って訳のわからない持論を展開。
彼の持論ではまず
「テレビが大切な仕事の場で、そこに出れないのは『干された』ことになるらしいが、果たしてそうだろうか?」
と切り出す。
どう考えても、テレビを主戦場にしてる芸人がテレビから呼ばれなくなったら、それは「干されてる」ってことだろうと思うのだがね。
テレビに出ることが別に偉いわけではないが、芸人や芸能人にとってテレビに出るか出れないかってのはかなりの重要問題だと思うけどね。公園や地方巡業でテレビに出なくても生活できる、稼げる人はいっぱいいるだろうけど、それでもやはりテレビに出ると知名度はUPするしね。脳学者とやらが片手間にテレビに出るのとはわけが違うのだけど、彼はそこらへんがよくわかっていないみたいだ。
そして彼曰く
「日本だけでなく世界を視野に入れたり、若い世代をはじめ様々な文化に興味を持つ人への浸透、影響力を持つ人にとってはテレビはもはや唯一の選択肢にはなっていない。優先順位が変わってしまったのだ」
これはその通りだ。インターネットが張りめぐされ、SNSで自分の気持ちを発信できる今、指先ひとつで世界と繋がってるしあらゆる情報は液晶画面で手に入る。
でも、テレビが衰退する(してる)かといえばまだまだ先の話だ。映画だってそうだし、CDだってそうだろう。ヒット作が出ない、売れない、離れが進んでる、もう新たな時代(次のコンテンツ)に変わり始めてるとは言われても、まだまだそれらを利用してる人は多い。若い世代がテレビ離れしてようが、人気ドラマや番組は相変わらず 20%近くの視聴率を誇り、サッカーのWカップなんかはとんでもない視聴率がある。
テレビが終わってるというのなら、2020東京オリンピックの放映権なんかを完全否定しろよ。なんでアホみたいな高額で放映権が売られてるんだ?全世界でまだまだテレビというコンテンツを必要としてる人がいるからじゃないのか?
茂木よ。一部の人間や風潮を見て、いかにも全体がそう動いてると判断し結論づけするのは君の悪い癖だ。
そして
「テレビが縮小していく市場の中でまったりしているのではなく、今のテレビがアウトリサーチしていない層への影響力を維持、拡大を考えているのなら、中田や村本、西野といった『はじけもの』の力を借りないとどうしようもないと思う」
だとさ。
はっきり言って馬鹿だな。
確かに村本や西野は『はじけもの』だが、何を彼らに期待してるんだ?
ウーマンラッシュアワーの村本は、自分の考えを述べてるだけにしか過ぎなく、そこに笑いはもうない。
芸人としてはもう終わってしまってる。
論客として生きるなら別だが、芸人としては誰も何も期待しない。だからテレビでも舞台でも、そんな村本を必要としない限り呼ばない。だって他にも代わりはゴロゴロいるものね。
世相を批判したり風刺したりするのが茂木はお好きのようだが、村本はそれをコントにしたり、漫談にしてるわけではないぞ。
爆笑問題やダウンタウンの笑いとは違うのだが、茂木はそれがまだわからないのが不思議だ。
そしてキングコングの西野について言えば、彼にはお笑い以外にクリエイティブな才能があっただけのことだ。で、そちらの方に力を入れて活動してるだけだ。
もちろんそこにお笑いはない。コメディアンとしてではなくアーティストとして活動してるだけだろう。
北野武は本も書けば絵も描き、映画を撮るしそれで認められてる稀有な人だが、彼の根本や言動には常にお笑いがある。
だから彼は芸人の顔も持つ。テレビで辛口の批判をしても笑いに置き換えたりする。このレベルに村本や中田がいるとでも言いたいのか?
テレビではダメだからネットなどを利用してるに過ぎないやつと、テレビの世界で堂々と貫いてる御大を一緒にするなよ。
今年2月に
「日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。後者が支配する地上波テレビはオワコン」
とtweetして炎上し、3月のtweetで
「日本の『お笑い芸人』のメジャーだとか、大物とか言われている人たちは、国際水準のコメディアンとはかけ離れているし、本当に『終わっている』」
と再び批判し、それが見当違いだと散々非難され、ワイドナショーでダウンタウン松本に直接諭されたのに、まだ懲りてないらしい。
っていうか学習しろよ、学者だろ?得意分野だろ?
くそおもんない芸人、勘違いした芸人、偉そうにした芸人、過去にもいたし、そのほとんどが消えていった。
茂木が言う、中田がテレビに干されてるのではなく中田がテレビを干すというのなら、それは見てみたいものだ。テレビから干された=民衆から見放されたではなく、カエラは望んで戦いの場をテレビ買いに移してるんだと、彼は言いたいのだろう。
学者のくせに持論の導線が下手で、どうな風に今後そのような時代が来るのかは全く不明。根拠もデータも何もないが茂木の頭の中では新しい時代が出来上がってるんだろう。
っていうかもう邪魔。
ただの妄想オヤジやん。
理想の国家とは!?って叫んでる往年の闘志が彼の中にはあるのだろうかもしれないが、それこそ時代遅れだろう。
やっぱり茂木が嫌いだ。
テレビから消えてくれ。
っていうかもう消えてるか。
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