芸能人が亡くなる。
病気だったり事故だったり自殺だったり。
ほとんどの場合が突然の訃報だ。
警察発表や事務所から発表され、それがマスコミに伝えられ報道される。
マスコミが先走って「かも?」と推測スクープで第一報が入る場合もある。
テレビで、ラジオで、新聞で、ネットで速報が流れる。
早すぎる死に人々は驚き、悲しむ。
ここまではどんな人のどんな場合でもだいたい一緒だ。
でも、この後がいけない。
有名人がSNSで追悼文を出すたびにそれを拾って記事にする。
イベントなどでレポーターは有名人にわざわざ故人へのお悔やみの言葉を聞く。
その方が故人とどれくらい親しい関係だったのかは別にして。
不倫騒ぎや事件の時と同じように、人の死を騒ぎ立てる。
それって今、必要?
故人を偲び、慈しむ気はないのか。
せめて初七日が終わるまではそっとしておいてあげようよと思うのだが、奴らにその気はないらしい。
「早すぎる」「才能があった」「前途有望されてた」「つい最近までこんな仕事してた」「今はこんな仕事が控えてた」
その人のプロフィールとともに流れる。
ファンは悲しみ、関係者は驚き、過去に共演したり関わったタレントもお悔やみを述べる。
そして「何で?」「何故だ」とやりきれない思いを吐露する。
追悼コメント掲載記事と一緒に、その「何故?」の憶測が描かれる。
死亡原因の推測に始まり、死に至るまでの経緯の推測、人間関係や事務所との関係の推測。
「仕事の悩み」「人間関係のもつれ」「最近の言動」
中にはソースが曖昧な“芸能関係者の証言”とか“●●さん(故人)をよく知る人からのコメント”などという、存在してるのか架空なのかわからんやつのコメントまで出てくる。
毎度のことで呆れてしまうが、次の大きなニュースが出てくるまではこれがしばらく続く。
ウェルテル効果(Werther)。
岡田有希子さんが亡くなった時に聞かれた言葉だ。
自殺の報道があった後は、ファンの後追いだけではなく、(関係ない)一般人の自死が増えるらしい。
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」から由来されたこの心理学の現象(ウェルテル効果よりもウェルテル現象といった方がしっくりする)を、もう少しマスコミは考えてほしい。
いや、新聞やテレビはまだその辺りはコンプライアンスされてるみたいだが、今はネットニュースの方が若者にとって身近だからな。
大きく報道されて、それが拡散されていく。
次々と芸能人・有名人の追悼コメント記事が載せられた記事が出回る。
推測記事や憶測記事がいたるところから発信される。
一般人個人がSNSでいろんなところから発信する。
懸念される自殺の記事が目に入りやすくなり手に入りやすくなる。
ネットの世界は、まさにウェルテル効果そのもの。条件が揃い過ぎているのだ。
そして誰も止めようとしない。
危険だ。
しかも今の日本は同調傾向にある。
「俺も」「私も」「僕も」
おかしいなぁ、一人一人が違っていい、個性を大事に尊重するって言われてる時代なのに。
自粛警察とか、マスク警察とかの同調ならまだいいが、自殺に同調されたら大変だ。
パパゲーノ効果(Papageno)。
ウェルテル効果に対抗できるのは、モーツァルトの『魔笛』の登場人物から由来されたパパゲーノ効果(これも現象と呼んだ方がしっくりする)だ。
ガイドラインが発表されてる(Wikiで調べた)
1,支援先に関する正しい情報を提供する
2,自殺と自殺対策に対する正しい情報について啓発する
3,日常生活のストレス要因や自殺念慮への対処法、支援方法について報道する
4,有名人の自殺報道は特に注意する
5,自死遺族や友人へのインタビューは慎重に行う
6,メディア関係者自身が自殺による影響を受ける可能性があることを認識する
wikipediaから引用
年間3万人が自殺する日本。
毎日のように日本のどこかで、誰かが生きることを諦めてる。
いじめ、リストラ、無職、失恋、不安、ストレス、観念・・・。
若い奴も働き盛りも年寄りも、男も女も学生だろうが社会人だろうが、誰だっていつだって不安を胸に抱いて生きている。
押しつぶされそうな感情に飲み込まれそうになるときだってあるだろう。
耐えきれなくなるときもあるだろう。諦めたくなる時もあるだろう。
もうどうでもよくなる・・・。
逃げろ。
まずは逃げろ。
死を選ぶな。
そんなんいつだって選択できる。どうせ人間いつかは死ぬ。
だからそれまでは生きろ。
FIGHT OR FLIGHT
毎回書くのだが、戦うか、それとも逃げるか。
選択肢はあるんだぞ。
戦えなくてもいい。逃げたらいい。生きるんだ。
「逃げるは恥だが役に立つ」。
あのドラマの格言じゃないけどさ。
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