昭和のレジェントが次々と亡くなられる。
今度は筒美京平さん。
顔や声は知らなくても、この人の作った歌はタイトルを聞けば35歳以上の方は誰もが知っているだろう。ティーンエイジャーや20代の方でも「お母さんがカラオケで唄ってたから」と知ってる人も多い。
70年代80年代の昭和を彩った歌謡曲は、筒美京平さん、阿久悠さん、都倉俊一さん、松本隆さんでほとんどできている。これになかにし礼さん、平尾昌晃さん、秋元康さん、売野雅勇さん、織田哲郎さんを加えたらほぼ昭和歌謡曲は完璧網羅だ。大げさかもしれないが、それほどこの曲もあの曲もってな感じである。
自分で作詞作曲して歌うシンガーソングライター、いわゆるニューミュージックと呼ばれるジャンルの人が出てくるまでは、職業作詞家と職業作曲家の作品をフルバンド(オーケストラやビッグバンド)の演奏をバックに歌うのが当たり前だったのよ。だから歌手も音痴であろうと生で唄うし、ましてや口パクなんかできず、バックの演奏に負けないくらいの声量が求められてた。
筒美京平さんのすごいところは、作った楽曲の多さ(約2400〜3000曲らしい)もそうだが、そのバリエーションの広さだ。
サザエさんのオープニング曲からアイドル(男女問わず)、中堅歌手からベテランまで楽曲提供してる。
よくもまぁこれだけいろいろと作れたもんだ。
南沙織「17才」(後に森高千里もカバーしてる)
麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」、浅田美代子「赤い風船」
リンリンランラン「恋のインディアン人形」「恋のパッコンNo,1」(すごいタイトルだなぁ)。インディアン(ネイティヴアメリカン)でもないのになぜインディアンなのかは気にしちゃダメだ。
岩崎宏美「ロマンス」「シンデレラ・ハネムーン」、アルバム「パンドラの箱」は全曲筒美京平さん作曲だ。
そしてジャニーズ。
郷ひろみ「男の子女の子」「花とみつばち」
近藤真彦「スニーカーぶる〜す」「ギンギラギンにさりげなく」
沖田浩之「E気持」「はみだしチャンピオン」
田原俊彦「夏ざかりほの字組」「抱きしめてTONIGHT」
少年隊「仮面舞踏会」「君だけに」
SMAP、KinKi kidsやJ-FRIENDS、TOKIOなどにも楽曲提供してる。
すごいのは、郷ひろみに曲を提供していながら、当時“新御三家”と呼ばれた野口五郎、西城秀樹にも曲を提供してるところだ。
まぁ、この頃はそんなにうるさくなかったのかもしれない。
“花の82年組”と呼ばれるアイドルにもこぞって筒美京平さんは曲を提供してるもの。
早見優「夏色のナンシー」。松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」。
そして小泉今日子。「まっ赤な女の子」「ヤマトナデシコ七変化」「なんてったってアイドル」。
キョンキョンのもそうだが、秋元康さんのこの頃のネーミングセンスはちょっとラリってるかのようだ。
本田美奈子「1986年のマリリン」、少年隊「デカメロン伝説」・・・。まぁレコード会社がつけたのか誰がつけたのかは知らんけど。
稲垣潤一の「ドラマチック・レイン」が秋元康さんの作詞家デビュー作だ。この曲はカバー&デュエットアルバム「男と女-TWO HERAT TWO VOICES-」で中森明菜と歌っているぞ。声質が一緒だ。必聴!
このアルバムでは「木綿のハンカチーフ」を、本家の太田裕美と歌っているぞ。
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」
何度かこのブログでこの曲のことは書いたが、日本昭和歌謡史に残る名曲だ。大げさではない。ほんますごい曲だ。松本隆さんの描く都会に出た男側と、故郷に残った女側との往復書簡の歌詞もすごいが、それに乗せてるこの筒美京平さんのメロディラインがめちゃくちゃかっこいいのだ。
そのせいでこの曲が、故郷を出て都会に出た男が実は何の目的もなく、ただ都会に呑まれてブランド服や仲間と遊んでて「俺イケてるだろ!?」と、どんどん勘違いしていく様を女がやんわりとダメ出し続けてる歌だと気づいてる人は少ない。田舎に残された純情な女の子がふられる歌だと思われてる。
尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」
この曲は元々電化製品のCMソングで作られた曲だ。作詞はやなせたかし(アンパンマンの作者ね)だがボツを食らう。でも、あまりにも出来がいいので阿久悠さんに頼んでまた新たに詩をつけてもらってズーニーブーってグループに歌わせた。「一人の悲しみ」は'70年安保闘争(学園紛争ね)に挫折した若者の孤独を歌ったが、全くヒットしなかったみたいだ。
それでも曲のメロディの良さが捨てきれず、諦めきれなかったのかまたもや阿久悠さんに新たに歌詞を書いてもらって、尾崎紀世彦が歌って大ヒットしたという珍しいパターンだな。
いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」
この曲を聴いて、横浜という町は明かりがとても綺麗なんだろうなぁと子供ながらに思った。
大橋純子「たそがれマイラブ」や、中原理恵「東京ララバイ」などと同じく大人の歌だね。
ジュディオングの「魅せられて」
シルクロードをイメージした久保田早紀の「異邦人」(これは筒美さん作曲ではないが制作陣は一緒)と同じく、異国の情緒が漂う名曲だ。
ギリシャとトルコの間にあるエーゲ海をイメージした楽曲は、その後の庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」(トルコ)「モンテカルロで乾杯」(モナコ公国)と続く。中東(東ヨーロッパ)の避暑地は死ぬまでに是非行ってみたいもんだ。ちなみに「魅せられて」の歌詞は阿木耀子さんだ。
阿木曜子さんといえば宇崎竜童さんとのコンビで山口百恵の一連のヒット曲を連発した人だ。
筒美京平さんはいろんなアイドルに曲を提供しているが、不思議なことに山口百恵や松田聖子、中森明菜には曲を提供していない。この3人に共通しているのは、先述の職業作詞家作曲家の作品だけではなく、アーティストの作品を歌ったことかな。
山口百恵は谷村新司やさだまさし、
松田聖子は松本隆さんの歌詞は多いが、作曲にはユーミン(呉田軽穂名儀)、細野晴臣、財津和夫、大瀧詠一など。
中森明菜は来生たかお、高中正義、井上陽水、玉置浩二などだもの。
斉藤由貴「卒業」
斉藤由貴が歌ってヒットした、今や卒業式の定番ソング。だが発売時は菊池桃子の「卒業」尾崎豊の「卒業」と、それぞれ別の曲だがタイトルが一緒ってややこしい状態だった。
「初戀」「情熱」も筒美京平さんだ。斉藤由貴が大ブレークしたTV「スケバン刑事」の主題歌「白い炎」は玉置浩二作曲。ちなみにアニメ・めぞん一刻の主題歌「悲しみよこんにちは」も玉置浩二だ。
スケバンといえば元祖スケバン、現国会議員「恥を知りなさい!」の三原順子(現:三原じゅん子)に「真っすぐララバイ」、そして中山美穂に「C」「ツイてるねノッてるね」などを提供してる。
桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」が筒美京平さんだとは知らなかった(作詞は松本隆)。この曲のアレンジがKISSの「I was Made for Lovin' You」のギターリフと一緒なのは気にしちゃいけない。そんなこと言い出したらPINK LADYの「渚のシンドバッド」なんてもろラモーンズじゃね?とか気にしなきゃいけなくなる。
演奏もティアドロップスではない。このころはロック?なんじゃそりゃ。自分で作った歌を自分たちのバンド演奏で歌いたい?ろくに編曲(オーケストラアレンジ)もできないくせに何言ってるんだって感じだったんだろう。
アイドルとして売られたLAZY(のちのLOUDNESS)、チャーなんかも苦労したんだろうな。
Charと“ロック御三家”(笑)と呼ばれた、世良公則(&ツイスト)や原田真二もTVの歌番組出演の際はだいぶ揉めたらしい。沢田研二もバックに井上尭之バンドを使うのをTV局側から拒否されてたらしい。ダン池田となんちゃらってお抱えのオケを使えよと。
この頃、フォークやニューミュージックのシンガーソングライターがテレビに出なかったのは、そんな裏事情のせいなのかな。
オフコース「忘れな雪」
今では考えられないが、あのオフコースにも筒美京平ソングがある。小田和正も鈴木康博も「なんで他人の曲を?」と嫌だっただろうな。しかももろフォーク、下手すりゃ演歌っぽいタイトルだし。
まだ小田と鈴木、2人の頃のオフコースなのでバックバンドにはギターが矢島賢と高中正義、ベースが後藤次利、ドラムが村上‘ポンタ’秀一という豪華メンツである。ちなみにCAROLの日比谷野音解散コンサートのバック(裏)は、サディスティックすのメンバーだ。
元REBECCAのNOKKOの「人魚」や、仲間由紀恵がauのCMで作ったユニット、仲間由紀恵withダウンローズの「恋のダウンロード」も筒美京平作品とは知らなんだ。
ラジオ全盛で、テレビの歌番組をかじりつくように見てた時代、レコードは貴重品だった。小遣いで買える枚数は限られてる。従って貸したり借りたり、テレビやラジヲからダイレクト録音してたな。
まずザーッと一通り聞いて、カセットテープの選択(46分/90分)、入れる順番(A面にどれくらい入るか/何を入れるか)を検討する。レコードに記載されてる時間表示を計算し、綿密なプランであとはレコードの溝とテープの残りとのにらめっこだ。ちゃんと入るか。ギリギリか、って毎回緊迫ね。
テープに録音してる作業中、ライナーノーツ読んだり、歌詞カードを見たり。従ってレコード時代は、LP(アルバム)収録曲全曲タイトル覚えたし、歌詞も覚えたし、誰が作詞で誰が作曲したかも(ついでに言えば編曲・アレンジも)ちゃんと把握してたんだけどな。
CDになって、レコードの回転数を機にすることもなく、針を落とす緊張感もなく、綺麗な音で聴けるようになった。次の曲へジャンプするのも簡単だし、もう一度聞いたり、サビの部分だけ巻き戻したりってのも簡単だ。裏面へひっくり返す手間もない。
レコードからCDに変わって、歌詞カードやライナーノーツをほとんど見なくなった、読まなくなった。
さらにCDからMD、そしてiPod。ダウンロードは当たり前、サブスクとかも当たり前。タイトルさえ覚えてない、知らない曲も多い。
便利で手軽になった分、愛着が薄れたのかな。
「昔に比べて、今は残る名曲が少ない」と言われるのは、時代のせいかね。
まぁ、1曲ヒットすればもうけもの、2曲ヒットすりゃ万々歳、3曲あれば悠々自適と言われる音楽界で、これだけ誰もが知ってるヒット曲を出してこられたんだ。80歳、大往生だろう。
エドワード・ヴァン・ヘイレンが亡くなってから、ハードロックとヘヴィメタルがヘビーローテーションしてた俺のiPodは今、昭和の懐かし歌謡曲が流れてる。たまには悪くない。
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