徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

ヤマザキビスケット ピコラ チョコレート・いちご

2025-02-28 23:45:58 | 
今日はピコたちです。






クレープ生地を筒状に丸めて焼き上げた、サックリスティック。どのへんがピコ?それはわからない。
筒状とはつまり、穴があること。そう、穴。穴の話をしましょう。思考の落とし穴の話。
ある日、某ファミレスに行ったときのことです。全国展開してる、みんな知ってるファミレスです。
食事中、手に油が付いたので、トイレに洗いに行きました。洗面台横に設置してある液体石鹼を手に取ってこすり、水で洗い流しました。
すると・・・、さらに手がヌルヌルになったのです。
頭にハテナマークが浮かびました。これはどうしたことかと。
たしかに石鹸を使って手を洗ったのに、油汚れが落ちるどころか、ヌルヌル感がより増していました。明らかに、事態は悪化したのです。
これはきっと、石鹸の問題に違いないと思いました。質の悪い、安物の石鹸なのだろうと。思い返してみれば、こすっても泡立たなかった。
経営者が、コストカットのために、激安の石鹸を仕入れた。それは激安であるがゆえに、低品質だった。油汚れが落ちるどころか、逆にヌルヌルを付け加えてしまうような、どうしようもない成分の石鹸だった。たぶんそーゆーことなのだろう、と推測しました。
これ以上洗ってもしかたないので、ヌルヌルを手にまとったままトイレを出ました。そして、近くにいた若い女性店員さんを捕まえて、「トイレの石鹸で手を洗ったら、ヌルヌルしますよ」と伝えました。
店員さんは意味が飲み込めず、「え?」と訊き返してきました。僕はもう一度説明しました。油汚れが落ちるどころか、よりヌルヌルになると。
すると店員さんは、苦笑いしながら「いや、そんなことはないはずです」とおっしゃいました。僕は、「いや、実際そうなってますので」と反論しました。
店員さんはさらに、「石鹸ですから、そうはならないはずです」とおっしゃいました。僕は、「いや、だから実際洗ったらそうなったんで」と再反論しました。
しかし店員さんはなおも、「いや、そんなことは・・・」と繰り返されます。これはもう、言ってもムダかな、と思いました。
おそらく、「石鹸=汚れが落ちる」という固定観念にとらわれきっているのでしょう。だから、「石鹸を使ったら余計ヌルヌルになった」という事態が想像できない。
固定観念のせいで、こっち(僕)が勘違いしているだけ、と決めつけてしまっているのです。劣悪な石鹸があるということや、質によっては油汚れが落ちるどころか、よりヌルヌルになってしまうということが考えらえない。
低品質の石鹸の使用をやめてもらうため、お店の環境改善のために、情報提供のつもりで伝えたのですが、どうしてもこちらの言い分が理解されなかったのです。いくら言ってもムダなら、これ以上話してもしょうがないと引き下がりました。
「店長、もしくは責任者を呼ぶ」という手もありましたが、それはやめときました。おおごとにしたくなかったというのもありますし、女性店員さんに話が通じなかった時点で、「じゃあもう店側が自分で気づけよ」って思っちゃったんですね。
そのファミレスの液体石鹸は、本当にヌルヌルになったのです。油汚れが落ちるどころか、さらにヌルヌルが増す石鹸だった。
しかしそれを、店員さんに言っても理解してもらえなかった。石鹸なら汚れが落ちるはずで、悪化することなどありえないと思い込んでおられたのです。
その思い込みのせいで、いくら訴えてもわかってもらえなかった。こちらの認識が間違ってるだけだと決めつけられてしまった。
これはまさしく「穴」。そう、思考の落とし穴でした。

油でヌルヌルと言えば、こんなこともありました。
こちらも某ファミレスで食事したときの話です。食事と一緒に、持ち帰りのピザも注文しました。
食事と同じタイミングで注文したので、テーブルに持ってきてもらったのもほぼ同時でした。厚紙の箱入りピザで、手提げ袋に入れてもらってあります。
食事を終えた僕は、レジに向かおうと、ピザを手に取りました。すると、手提げ袋の持ち手部分が、ヌルヌルしていました。
厨房の店員さんが、油の付いた手で触ったのでしょう。僕は店員さんを呼び、「ヌルヌルしてるから取り換えてください」と頼みました。
20代前半くらいの男性店員さんは、すぐに対応してくれました。しかし、交換して戻ってくるや、「これでいいか確認してください」と言われました。
僕は、「え、疑われてる?」と思いました。
本当は僕が油を付けたのに、店側のせいにしたと思われた?と。
なぜなら、ピザが来てすぐに油の付着を指摘したわけではなく、時間がたってから交換を頼んだからです。ピザが到着してから交換を頼むまで、そこそこ時間があった。
ピザの到着とほぼ同時くらいに食事を開始したので、10~20分くらい時間がたっています。それだけ時間が開いているので、そのあいだに油の付着があった、つまり客である僕が油を付けた張本人だと思われる余地はあるわけです。
しかし、僕はそんなことはしていません。油をピザの袋に飛び散らせてなどいないし、ちょうど食事を終えたタイミングでヌルヌルに気づいたのです。食事中はピザの袋にいっさい触れていませんでしたから。
ですがそれを証明する手立てはない。僕が油を付けたと疑われてもやむを得ない状況ではあります。
「これでいいか確認してください」というのは、「これでもう油が付いているとは言わせない」ということです。その確認によって、袋に問題がないことが明確になるわけですから。
「アンタが自分で油を付けたのに、こっちのせいにしたね。でも確認がすんだらこれ以上文句は言わせないよ」。そう言われた気がしたのです。
いや、これは僕の考えすぎだったかもしれません。店員さんは、あまり深い意図はなく確認を求めたのかもしれない。もしくは、「ちゃんと交換しましたよ、これでいいっすか?」みたいな、「仕事キッチリこなしましたよアピール」として訊いただけなのかもしれない。
ですが僕は、とっさに疑いの目を持たれているのではないかと思ってしまったのです。そして、少し背筋を寒くしながら袋の持ち手を触り、「大丈夫です」と答えました。
疑われていたのか、単なる業務上の確認だったのか。真相は不明です。ただ、男性店員さんに、笑顔はありませんでした。
僕は物事を考えすぎてしまうきらいがあります。この件も、考えすぎだったのかもしれない。
しかしとっさに疑われていると思ってしまい、ちょっとだけゾッとしたのです。何もやましいことがないのに疑われていると気づいたとき、なんとも言えない嫌な気持ちになります。いたたまれないような、気まずいような。
相手が本当に疑っているかどうかが判然としないので、なおのこと落ち着かない感情になるのです。疑っていることが明確だったら反論、もしくは自己弁護することもできますが、それがハッキリしていないなら何の言い訳もできません。
「疑われていたのかな、気のせいかな」と、延々考えつつ帰宅したのです。
油が付いていたばかりにこんな目に・・・。
油ギトギトの食いもんは大好きだ!だが周囲に付着させるのはカンベンしてくれ!
僕もそろそろ油売るのをやめて、油を売りに行ってきますよ。と~うゆ~♫

一枚絵・『エレーモス』

2025-02-26 00:28:13 | イラスト



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チロルチョコ チロルチョコレート ミルクヌガー

2025-02-22 00:07:49 | 
今日は叫びです。




since1962だそうですよ。チロルのチョコの、正方形じゃないほう。
ヌガーというのは、キャラメルみたいなやつのことですか?歯にくっつく!ぬがー!
くっつく・・・。そう、くっついていた話をしましょう。不気味な話。
最近あまりしていませんが、以前はちょくちょくネットショップで買い物していました。おもにAmazonとヤフオク。
あるとき、Amazonで古本を購入しました。何の本だったか覚えていませんが、絶版のマンガだったと思います。
購入して2,3日後、郵便受けに大きめの封筒が投函されていました。開封すると、ダンボールが見えました。
本の両面をダンボールで挟み、2枚のダンボールのあいだをセロハンテープでとめてあったのです。ようは、ダンボールで本をサンドイッチしてあったのですね。配送中に本が傷まないための、梱包の工夫でした。
梱包って発送者によって様々で、プチプチであったり、チラシや新聞紙であったりします。テキトーな人だと、封筒にそのまんま入れてあります。ダンボールはだいぶ強めなので、気遣いがしっかりしている人であることがうかがえました。
さっそく本を確認するため、ダンボールをとめてあるセロハンテープを切ろうとしました。ふと、テープをよく見ると、髪の毛が1本貼りついていました。
ほぼ間違いなく発送者さんの髪の毛でしょう。そーゆーこともあるかと、気にせずテープを切断しました。
その隣のテープを見ると、そこにも髪の毛が貼りついていました。2箇所連続です。少し違和感を覚えました。
梱包のダンボール、テープはタテヨコにそれぞれ4,5箇所とめてありましたが、気になって、切断する前に全箇所チェックしてみました。
すると、すべてのセロテープに、1本ずつ髪の毛が貼りついていたのです。5センチ前後の長さの髪の毛でした。
しばし呆然となりました。これはどーゆーことなのかと。
発送者が、自分の髪の毛を1本ずつ抜き取ってテープに貼りつけたのでしょうか。
なんのため?驚かすため?いやがらせで?
商品の購入者に、わざわざそんなことをするでしょうか。それはちょっと考えにくい。購入者から苦情がくるかもしれませんから。
だとすると、ほかにどんな理由が考えられるでしょうか。
あれこれ状況を想像してみて、発送者の家がとにかく散らかっているのではないか、という結論にたどり着きました。
ほとんど掃除をせず、モノが散らかり放題になっている。そんな部屋で梱包作業をしたのではないか。
部屋の中には、発送者の抜け毛もたくさん落ちている。なので、テープを使うと、どうしても毛がテープにくっついてしまう。そーゆーことなのではないか。
いや、想像でしかないし、これが事実だとして、いったいどんな部屋なんだよって話なんですけどね。テープに必ず1本髪の毛がくっついてしまうなんて、どれだけたくさん抜け毛があるんだよって。
しかしそれ以外の状況が思いつかないんですよね。散らかり放題の部屋、ゴミだらけの部屋で梱包を行ったとしか。
もしそうじゃないのなら、意図的に髪の毛を1本1本テープに貼りつけたことになります。その場合の発送者の考えがわかりません。イタズラ好きなのか、なんらかの呪いなのか、性癖なのか。
「意図的にやった」という可能性を追及すると、不気味な結論にしか到達しないのです。なので、これは偶然のこと、散らかり放題の部屋でたまたま髪の毛がくっついてしまったのだと解釈することにしました。
真相は闇の中です。ですが、知らないほうがいいこともある。
すべてのセロテープにくっついていた髪の毛。きっと偶然なのでしょう。

そうそう、散らかり放題の部屋と言えば、ゴミ屋敷ってあるじゃないですか。たまにワイドショーで取り上げられますよね。
僕ね、あの「ゴミ屋敷」って言葉に、ちょっとしたおためごかしが潜んでると思うんですよね。
だって、ゴミ屋敷として紹介される家って、そのほとんどが平凡な住宅であって、「お屋敷」には程遠いですから。
皆さん、1回くらいは観たことありますよね、ゴミ屋敷。その家って、ごく平均的な一戸建てか、普通のアパートの一室だったでしょ?とてもお屋敷と呼べるほど立派な家じゃなかったでしょ?
そうです、ほとんどの「ゴミ屋敷」は、お屋敷と呼べるほど立派な家ではないのです。ごく普通の、平均的な住居なのです。それをゴミ「屋敷」と呼んでいる。
それはどうしてでしょうか。なぜお屋敷とは呼べない規模の住宅を、「屋敷」と呼んでいるのでしょうか。
それは、その家を紹介する側、マスコミのおためごかしというか、否定的なニュアンスをやわらげる意図があるんじゃないかと思うんですよね。
どーゆーことかと言うと、「ゴミ」って言葉の問題なのです。ゴミって、マイナスのイメージ強いじゃないですか。汚いもの、かたずけなきゃいけないもの、あってはならないもの、それがゴミです。
そんなゴミがあふれている住宅。これはもう悪いイメージしかない。
テレビでそれを取り上げる以上、問題のある住宅として紹介するわけだから、否定的なイメージがつきまとうのはしょうがない。でも、少しでもそれをやわらげることはできないか。
いちおうその家にも住人がいる。散らかり放題の家とはいえ、あまり悪く言うわけにもいかない。
そこで、「ゴミ」というマイナスイメージを相殺するために、「屋敷」という言葉をくっつけたのではないか。
本当はお屋敷でもなんでもないんだけど、屋敷という言葉を使うことによって、「ゴミ」のマイナスイメージを、幾分かやわらげることができる。帳消しとまではいかないけれど、マイナスイメージはさほど強烈ではなくなる。
そのための「ゴミ屋敷」という言葉だったのではないか、と思うんですね。
仮に、「ゴミ住宅」とか「ゴミ家」とかだったら、ひたすらみすぼらしいイメージしか湧いてきません。完全に「住宅」が「ゴミ」に呑み込まれてしまっている。
その点「ゴミ屋敷」は、「屋敷」が「ゴミ」と対等な立場に立って、マイナスイメージを引き上げている。マイナスだけではなくなっているのです。
たぶん、そーゆーことなんだと思います。
だとすると、テレビマンのいじらしい工夫が垣間見えるじゃありませんか。惻隠の情ってやつが見え隠れするじゃありませんか。
ゴミ屋敷。意外と深い言葉なのかもしれません。

一枚絵・『コロサイ』

2025-02-18 00:12:04 | イラスト



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ブルボン ふんわりオムレット まろやかバナナ

2025-02-15 00:06:31 | 
今日は洋食っぽいやつです。




柔らかスポンジケーキでバナナクリームを包み、バナナチョコでコーティング。優しいバナナ味のクリームとチョコに、優しいスポンジ生地。優しさしかないお菓子です。
そう、優しさ。優しさにかんする話をしましょう。反発を覚えた話。
中学のときのことです。家庭科の先生が、自分の結婚について話したことがありました。当時50歳くらいの女の先生でした。
なぜ先生は結婚の話をしたのか。どういう流れでそうなったのかは覚えていません。ですが、「お見合いで結婚し、何が決め手となったか」について、熱っぽく語ってくれました。
先生は、「私の旦那はとにかくよく食べる人だった。お見合いのときもたくさん食べていた。私はそこに惚れた。よく食べるということは、そのぶんよく働くということ。働き者は頼りがいがある。世の中の女性は「優しい人がいい」と言うが、優しさなんかなんの役にも立たない。たくさん食べてよく働くのがいい男だ」と語って聞かせてくれました。
僕は、一理ある、と思いつつも、反発を覚えずにはいられませんでした。優しさは大事だと思っていたからです。
仮に、優しさ以外の何かが、結婚相手選びの最重要ポイントになるにしても、「優しさなんかなんの役にも立たない」とまで言い切っていいものだろうか。優しさだって、いくらか必要なのではないか。そう思えてしかたなかったのです。
だって、優しさがどうでもいいというなら、極端な場合、「働き者の暴力夫」でもOKってことになっちゃいますよね?それってやっぱおかしいじゃないですか。
あるいは、「バリバリ働いて稼ぐけど、その稼ぎのほとんどをギャンブルに費やしてしまう夫」でもOKになっちゃいます。優しさがないと、いくら稼ごうが、その稼ぎが妻(および家族)に還元されなくなるのです。仮に還元されたとしても、暴力や暴言によって幸せを感じられない家庭になるかもしれない。優しさを軽んじるということは、暴力夫や散財夫を受け入れることにつながってしまうのです。
そう考えると、やはり働きっぷりはそれほどじゃなくても、妻(および家族)を思いやってくれる優しさがあったほうがいいですよね。
その先生は、家庭科の先生らしく、実用的というか、極端な合理主義的考えの持ち主だったのでしょう。それはそれで、ひとつの考えとして尊重されるべきでしょうが、中学生に話して聞かせるべき内容だったかは疑問です。
僕は正直反発しましたし、イヤな気持ちになったからこそ記憶しているのです。
それに、先生が肯定的に自分の夫について話したということは、その夫は、稼ぎを上回るマイナスの要素を持っていなかったということで、ということはつまり、それなりに優しい人だった、ということですよ。だから、「優しさなんかなんの役にも立たない」などと断言してはいるものの、それなりに優しい夫を捕まえることができていたってことです。もしも、夫が暴力男やギャンブル浪費男だったら、「結婚のことなんか話したくない」ってなってたはずですからね。
運よく、それなりに優しい男と結婚できた。だから自身の結婚を肯定的に語ることができるのに、その事実を都合よく無視して、「優しさなんかなんの役にも立たない」と言い切っていたのです。ちょっとあきれちゃいますよ。
優しさ以外を重視するのはいいけど、優しさなんかどうでもいい、っていうのは暴論じゃないですかね、やっぱ。

それからそう、反発を覚えると言えば、礼儀でも感じることがありますね。
「つまらないものですが」という言い方にです。
会社の取引先に挨拶するときとか、交際相手の親に会うときとかに、贈り物を手渡しながら言うじゃないですか。つまらないものって。
なんでお前が言うんだよって思うんですね。
そーゆー場合の贈り物って、大抵は菓子折りですよね。買ってきたお菓子。
それはつまり、誰かほかの人が作ってくれたものだということです。
人様が作ったものを、つまらないとは何事か?自分で作ったものであるなら、そのような言い方は謙遜に値するでしょう。
でも人様が作ってくれたものをつまらない呼ばわりなんて、失礼じゃないですか。なんでそんな偉そうな言い方ができるのか。
お金を払って買ったからといって、そんな発言が許されるのか。お菓子を作った職人さんが聞いたら、どんな気持ちになるかを考えないのか。
「つまらないもの」と言うなら、自分で作って言うべきです。人様が作ってくれたものに対して言うべきじゃない。
今では言葉遣いとしておかしいって指摘がけっこうあるみたいですけどね。とっとと廃止すべきですね。
普通に「よろしければどうぞお受け取り下さい」でいいんですよ。
どうしても謙遜したいなら、「つまらない私が選んだものですが」って言うべきですね。
世の中は反発を覚えることだらけ。せめて低反発枕で安眠しましょう。もしくは、オムレットに包まれましょう。