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徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

大人をいじめる大人たち・前編

2017-11-27 21:26:19 | 雑文
なぜ日本社会はかくも不倫を問題視するのだろうか。
芸能人や政治家の不倫がここ最近ずっと耳目を集めているが、正直どうかしているとしか思えない。「男女の関係はありません」という当事者の発言を報道番組の冒頭に据え、新聞の見出しに掲げるその様は、はっきり言って常軌を逸している。
小生は、不倫というのはあくまで当事者間の問題(家族や友人・知人に影響を及ぼしたのであればその影響下にある人々を含む問題)であって、その当事者と直接関わりのない人達が声高に非難する筋合いのことではないと思っている。
不倫を批判する人達は、それがどれほど社会に害悪を及ぼす行為なのかを、きちんと考えたことがあるのだろうか。現実的に考えれば、ごく限られた数の当事者が精神的苦痛を蒙り、場合によってはいくらかの経済的損失が発生する程度の問題であり、国を挙げて大騒ぎするような事柄ではないはずだ。
「世間を騒がせている」などと言う人もいるが、それは的外れである。世間が勝手に騒いでいるのだ。当事者たちは、不倫という後ろめたい行為を、できるだけ秘匿しておこうとしている。その、隠そう隠そうとしていることを、世間と結託したメディアが暴き立てて騒いでいるのだ。世間が騒ぐのが迷惑だというのなら、報道しなければいいだけの話である。
結局、不倫報道はメディアにとっては飯のタネでしかなく、世間にとっては面白半分のゴシップでしかない。「世間を騒がせている」という言い分は、そんな自分達の下卑た覗き見根性を都合よく取り繕うための言い訳である。
流行語にも選ばれた、イエロージャーナリズムのトップを走っているあのメディア媒体は、この現状をどう考えているのだろう。「自分達こそが世の中を動かしているんだ」って鼻高々なのかな。ゴミみたいなもんに血道を上げているとしか思えないけどね。
対象者が政治家である場合、「公務よりも欲望を優先させている」と非難する人がいる。だが、本人でもないのに、何故そう断じることができるのだろうか。この手の批判は、道徳面ではなく、職業倫理面での批判であり、何よりも政治家としての働きが最優先だとの主張である。しかし、ひょっとしたら当の政治家は、不倫をしていることによって多大な活力を得ており、不倫をしない状態よりも生き生きと公務に臨むことができているかもしれないではないか。その場合は、逆に不倫を推奨しなければならなくなるが、そこまで考えたうえで発言しているのだろうか。
「奥さんと子供が可哀想」と言う人もいる。だったら報道するな。報道に乗じて言及するな。家族の精神的苦痛を倍加させているのは、報道に加担しているお前自身だ。そこを間違えるな。
不倫の当事者よりも、不倫を暴き立てて騒いでいる人達のほうが、遥かに“ゲス”である。なぜこの国では、こんな低劣なことがまかり通っているのだろう。

この国において幾度となく繰り返されてきた、メディアと世間が結託して――そして、今ではインターネットという第三項がこれに加わって――行われる、特定の個人や団体に対する集中非難は、あまりにも度を越している。
社会全体に大きな害悪を与えるような行為であれば、ある程度の非難が起こるのはやむを得ない。だが、不倫や、非常識ではあるが犯罪には該当しないイタズラ行為や、ちょっとした軽犯罪ですら、メディアは大々的、かつ集中的に取り上げて批判を行う。
なぜこれら些細な行為が大きな非難を浴びることになるのか。
およそ人が犯しうる犯罪行為の中で、最も罪が重いのは殺人である。人の命を奪う事ほど、社会的影響力の高い事件はない(強姦や国家機密漏洩のほうが重い、という異論はあるだろうが、基本的には殺人が一番ということで同意していただけると思う)。だから、報道において、最も優先順位の高い案件は殺人となるはずである。
しかし、実際にはそうなってはいない。何故か。
報道に際して選好されるのは、「社会的影響力の高い事件」よりも「話題性の高い事件」だからである。
殺人の典型的なパターンは、「相手と口論になり、激高して危害を加え、死に至らしめた」というものである。殺人の大半がこのパターンと言っていいと思うが、典型的ということは、ありふれているということであり、誰しもがこれまでに何度も見聞きしている、ということである。
つまり、典型的な殺人は、「話題性が低い」。
メディアもひとつのビジネスである以上、できるだけ世間の関心を集めるソースを選択せねばならない。だから、社会的影響力は高くても、話題性の低い「典型的な殺人」は、滅多なことでは報道の枠内にエントリーされない。
世間が注目するのは、「典型的ではない事件」である。社会的影響力が低くても、「かつてなかった」「滅多に起こらない」事件のほうに人々は群がる。(不倫もまた、ありふれた事案ではあるのだが、当事者が著名人であれば話題性は高くなる)
だから、行為としては極めて軽微にもかかわらず、「コンビニのおでんを指で突っつく動画」や「SNSに上げた線路上に寝転がる写真」のほうが選択的に報じられるのである。
それらは、「かつてなかった」「滅多に起こらない」事件であるがゆえに、人々の目には新鮮に映る。何度も見聞きしてきた「典型的な殺人」に対しては反応が鈍くなっている人々も、「かつてなかった」「滅多に起こらない」事件に対しては、その新鮮さゆえに大きな反応を示す。その時、「社会的影響力が高いか低いか」は、あまり勘案されない。
だから「社会的影響力の高さ」「犯した罪の重さ」に応じて報道の度合いが決せられる、ということにはならない。
我が国のメディアと世間の往還運動は、このように成り立っている。これが「社会的影響力は低いのに、話題性の高さゆえに大々的な報道が起こる」メカニズムである。

(後編に続く)