徳丸無明のブログ

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ル・フレンド とろけるチョコクッキー あまおういちご

2020-07-03 23:36:00 | 
今回はファミリーマートで販売されてるいちごのクッキーです。




僕思うんですけど、「あまおう」って、ネーミングの勝利ですよね。いちごも今はいろんな品種があって、みんなそれなりに質が高いはずですけど、全国的な売れ行きはあまおうが頭一つ抜けてるでしょ。これって、覚えやすくてインパクトのある名前によるところが大きいんじゃないかと思うんです。甘い王様で「あまおう」ね。
正直、よっぽどいちごをたくさん食べてる人じゃない限り、品種ごとの味の違いなんてわかりませんよね、細かすぎて。だから品種を選ぶ場合、味よりも名前がポイントになってきがちだと思うんです。だから覚えにくい横文字の品種よりも「あまおう」。
あまおうは、その名前によって多くの人に選ばれている。どの品種も味はある程度のレベルにあるなら、最終的には名前がものをいう。あまおうの売れ具合はそれを表しているのだと僕は思います。

でね、ネーミングの勝利って言ったときに思い出すのは古市さんですよ、古市憲寿!現在テレビでひっぱりだこになってる古市憲寿さん。
彼が世に出るきっかけとなったのが『絶望の国の幸福な若者たち』でした。この本がベストセラーとなり、新進気鋭の社会学者として注目を浴び、今はご存じの通り、ご意見番としてテレビの顔になっています。
僕はね、彼の著作『絶望の国の幸福な若者たち』が「ネーミングの勝利だった」と思うのですよ。なんせインパクトあるじゃないですか。国は絶望的なのに若者は幸福だ、なんてね。そりゃ注目されますよ。なんか新しい社会潮流が記されてるんじゃないかって気になりますよ。このインパクトがベストセラーとなった起爆剤であり、今の古市さんの足場となった。ベストセラーを出しているという事実が、社会学者としての古市さんの説得力の裏付けになっているし、ご意見番であることの社会的同意のもとにもなっている。
しかし、ですね。僕はちょっと疑義を呈したい。『絶望の国の幸福な若者たち』は、ネーミングの勝利・・・より正確に言えば、名前の付け方がうまかった“だけ”なのではないか、と。
僕も『絶望の国の幸福な若者たち』を読んだんですけど、はっきり言って中身はスカスカです。社会学というよりはほとんどルポルタージュといった感じだし、「絶望的な国で若者たちは幸福に暮らしている」という切り口、目の付け所はよかったけど、そこが深く掘り下げられてはいない、というのが正直な感想なんですね。だから、中身よりもタイトルで売れた本だという印象をぬぐえないのです。
僕は読書好きで、社会学の本もわりと読むんですけど、真面目に社会学やってる人たちはみんな古市さんのことバカにしてるんじゃないかと思うんですよね。普通の社会学者からしたら古市さんは邪道だし、社会学はほとんどやらずに、テレビによって都合よく消費される「御用学者」に成り下がってるように見えるはずです。
僕としても、彼には社会学者を名乗ってほしくないというか、「社会学者風タレント」といったほうが正確だと思うんですよ。西川史子が「医師免許を持ってるだけのタレント」であったようにね。
頭がいい人であることは事実です。だからどんな話題についてでも話せるし、どんな番組にも対応できる。でも、僕はそういう知性の使い方はつまんないし、もったいないと思う。テレビのような陽の当たる場所ではなくても、社会的・学問的に意義のある仕事が古市さんにはできるのではないかと。それとも、社会学における自分の才能に早々に見切りをつけて、テレビに活路を見出した、ということなのでしょうか。社会学の本じゃなくて、小説書くようになっちゃったし・・・。
なんにせよ、社会学の本も読む読書好きとしては、彼に難癖つけたくなってしまうのです。皆さん、読むなら本物の社会学の本を読みましょう。大澤真幸さんとか、宮台真司さんとかね。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース。
コロナと直接関係ないんですけど、コロナ絡みの話をひとつ。
通ってる図書館が、緊急事態宣言を受けて臨時休館になり、しかたないからAmazonで古本を買うことにした、という話を以前しました。その後日談。
僕ね、臨時休館が終わったら、購入した本をすべて寄贈するつもりでいたんですよ。同じ本を2度読むことなんてまずないし、お世話になってる図書館の書庫を充実させてあげようと思いましてね(よっ、太っ腹!)。
んで休館中に購入した9冊を持っていきました。したら、「会議を行って寄贈を受け付けるかどうかを決める」とのこと。2週間後にまた図書館行ったときに結果が出ていて、「県内のほかの図書館に所蔵があるのがほとんどで、書庫がいっぱいになってしまうので受け付けられない。1冊だけどこにも所蔵がないのがあったから、それだけ頂く」とのこと。
僕ね、そこの図書館に所蔵されてない本ばかりを選んで買っていたんですよ。それなら全部寄贈を受け付けてもらえると思ってね。したらそうじゃなかったんですね。そこの図書館だけじゃなくて、県内全体の図書館の所蔵で決まることになっていたのです。
図書館には相互貸借っていうシステムがあって、所蔵がない本はほかの図書館から取り寄せることができるんですね。なんで、ここになくても他んとこにあればそれでよし、っていうふうに考えてるということなのでしょう。
たしかに本っつーのは毎日大量に刊行されてるけど、書庫の広さは有限だから、冊数を絞る必要がありますよね。僕はたまに、すべての発行図書を収蔵してるという国会図書館の書庫はどうなってるのか、と想像しちゃいます。
寄贈できなかった本は古本屋に売りましょうかね・・・。