徳丸無明のブログ

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山崎製パン 大きなメンチカツ・大きなハム&たまご

2024-08-31 00:07:01 | 
今日はビッグ・ブレッドです。






大きいことはいいことだ、大は小を兼ねる、などと言いますが、1個で満足できるこのボリューム。グレートな大きさ。
陰湿な話をします。やらしいな~って話。
今じゃもうまったく観かけなくなりましたけど、昔は年末の時期によく、「お騒がせ芸能人」ってのがワイドショーをにぎわせてました。
どーゆーものかというと、年末年始の仕事休みの期間に、芸能人がハワイなどの海外旅行に行く。それをメディアが空港でキャッチして、「どこに行くんですか?」とか、「何泊の予定ですか?」などと質問するのです。
その、メディアが芸能人を捜して空港を右往左往し、突撃取材でワーワー盛り上がる光景、そのソースのことを「お騒がせ芸能人」と呼んでいたのです。今はおそらく、プライバシーへの配慮とか、空き巣に狙われる機会を作ってはいけないといった理由で、なくなってますけどね。
僕が子供のころ(生まれる前からあったのか?)の風物詩で、そんな熱心にワイドショー観ていたわけじゃないんですけど、「年末年始を海外で過ごす芸能人を空港でインタビューする」芸能ネタは、つねに「お騒がせ芸能人」というフレーズで報じられていました。
ボーッとせんべいかじりながら観ていた人たちは、この芸能ニュースと、その紹介の仕方に何の疑問も抱いていなかったと思いますけど、僕はこれ、いかにも日本らしいというか、日本人がよくやるすり替えが行われていたと思うのです。
だって、この芸能ニュース、「芸能人が騒がせている」のではなく、「ニュースを報じるメディアが勝手に騒いでいるだけ」なのですから。
芸能人は、普通に海外旅行に行こうとしただけです。メディアを空港に呼びつけていたわけではない。
「海外旅行に行く芸能人はいいネタになる」と判断したメディアが、自分たちの意思で空港に駆けつけていたのです。そして、突撃取材でワーワー騒いでいた。騒ぎを起こしていたのは、明らかにメディアのほうだったのです。空港側にもそこそこ迷惑をかけていたのかもしれません。
なのに、それを「お騒がせ芸能人」と呼んでいた。露骨なすり替えが行われていたのです。
メディアに突撃された芸能人たちは、カネにならないとわかっていながら、「これも有名税か」と、広い心で取材を受け入れていました。それはどう見てもサービスでした。
なのにメディアは、自分たちに好意的に応じてくれた芸能人たちを、「騒がせている」と言っていたのです。なんと陰湿なやり口でしょう。
いちいち言挙げするようなことではないのかもしれません。芸能人だって、「自分たちが騒がせてるわけじゃないんだけどな」と思いつつも、メディアとの普段からの持ちつ持たれつの関係を友好に保つために、「自分たちが騒がせている」という報じ方を黙認していたのかもしれません。メディアのスタンスとはそもそもそういうものであり、いちいち気にしてもしょうがないと考えていたのかもしれません。
だから、無関係な僕が、そのことについて四の五の言うのはお門違いなのかもしれない。
それでも、これっていかにも日本的というか、日本人の特徴がわかりやすく表れた事例なんじゃないかと思うんですよね。
不倫報道もそうですよね。当人たちは、人に知られないよう、コソコソ不倫をしている。それをメディアがあばいて、視聴者と一緒になってワーワー騒ぐ。
そうなると、不倫した本人が「騒がせてる」と言われるのです。騒いでいるのは、明らかにメディアと視聴者なのに。当人たちは秘密にしようとしていたのに。

そんな、いかにも日本的な言い方が端的に表れてると思ったのが、「魔性の女」という呼称にかんしてです。
女優の葉月里緒奈さんが1995年に、不倫をしたことで「魔性の女」と呼ばれることになってしまったのですね。芸能ゴシップについて話したいわけじゃないんで、詳細が知りたい方は各自調べていただくとして、1996~7年ごろ、何かの囲み取材で葉月さん(当時の芸名は葉月里緒菜)に、「魔性の女と呼ばれていることをどう思いますか?」と尋ねている記者がいたんですよ。
僕は、「いや、“呼ばれている”じゃなくて、“呼んでいる”だろ」と思いました。
だって、葉月さんに「魔性の女」という呼び名を与えたのは、ほかならぬマスメディアですからね。
自分たちで「魔性の女」という称号を与えておいて、「呼ばれている」とは何事か?
自分たちが「魔性の女」と呼んでいるクセに、あたかもほかの誰か、自分たち以外の誰かが「魔性の女」と言っているのであって、自分たちはそんなこと言ってませんとばかりの、陰湿と言えばあまりに陰湿なすり替え。実に汚いやり口です。
このすり替え、メディアの態度にわかりやすく表れていますけど、日本人に広く共通しているものでもあると思うんですね。
自分でやっているのに、やっていないフリをする。自分じゃなくて、自分以外の誰か、もしくはみんながやっているかのように装う。
この陰湿なすり替え、いかにも日本的で、日本社会にはびこるいじめの手口そのものだと思うんです。「自分じゃない、自分以外の人がやってる」と言い張りながら行ういじめ。ズルくて、卑怯で、無責任な手口。
このやり口がいじめを正当化させている、もしくはいじめを生み出す土壌となっていると思うんですよね。だからなくしたほうがいいんですけど、このやり口を認識している人、どれくらいいるのかとも思うんですよね。
「魔性の女と呼ばれている」と言った記者さんは、責任逃れのためにそういう言い方をしたのではなく、ほんとに「自分以外の誰かが言っている(自分は言ってない)」と思っていたのでしょう。「自分じゃなくて、自分以外の人がやってる」といういじめも同様です。
みんな本気で「自分は悪くない」と信じ込んでいるのです。自分も一枚かんでいるのに、日本的すり替え言い回しによって、無関係だと信じている。
そうやって、関わっている人全員が、「自分じゃなくて、ほかの誰かが」と言うのです。実際に「魔性の女」という言葉が使われているのに、みんながみんな、「ほかの人がそう呼んでいる」と言う。「自分がそう呼んでいる」と手を上げる人はひとりもいないのに、なぜか「魔性の女」という言葉は流通しているのです。
この陰湿な空気、なんとかならないものでしょうか。


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