徳丸無明のブログ

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RIZIN 2017 in YOKOHAMA - SAKURA - 観戦記

2017-04-17 21:24:49 | 雑文
ジョシカクの隆盛著しきを知った今大会。
今まで一切触れてこなかったんですけど、ジョシカクって苦手なんですよね。野郎の試合と比較すると、どうしても迫力に欠けるし、痛々しくて見てられない、っていうのもある。別にフェミニストを気取るつもりはないけど、気軽に「ぶっ殺したれー」なんて喚声送ることもできないしね。
女子の試合は全部放送されたのに対して、心待ちにしていた野郎の試合はほぼダイジェスト。血塗れになったり、骨が折れたりなどの凄惨な結果になりがちな野郎の試合よりも、よりソフトなジョシカクのほうが地上波向きっていう事情もあるんでしょうけどね。
今回の観戦はすこぶる消化不良です。


ダロン・クルックシャンクVS矢地祐介・・・矢地も一回ちゃんと観ときたかったんだけどな。2試合連続の豪快なKOからして次のスターになる確率大なのに、ダイジェストだなんてねえ。

那須川天心VSフランチェスコ・ギリオッティ・・・榊原委員長が「ゴング格闘技」のインタビューで、「那須川は10年たってもまだ28歳。これから経験を積んで28歳になった時、どれだけの選手に育っているか楽しみ」って話してたけど、今のうちからこれだけのペースで試合を重ねていたら、10年後には体がボロボロになっちゃうんじゃないかってちょっと心配。
あと、せっかくの逸材に簡単に黒星つけるわけにいかない、っていう配慮はわかるんだけど、やっぱりバリバリのグラップラーとの試合が観てみたい。年末あたりにどうですか?

才賀紀左衛門VS伊藤盛一郎・・・やっぱZSTみたいな所から這い上がってきた選手は応援したくなる。今後は伊藤にも注目。

堀口恭司VS元谷友貴・・・熱烈な格闘技ファンからしたら、この試合こそが今後の格闘技界の帰趨を占う最注目の一戦になるんでしょうね。でも正直言って、僕、二人ともよく知らないんですよね。つくづく格闘技から縁遠くなっちゃったなあ、って感じます。
堀口は打撃の技術のみならずスタミナ切れを起こさないタフさが、元谷は打撃たくさんもらっても倒れない打たれ強さが光ってました。負けた元谷もRIZIN出続けていいんじゃないんでしょうか。

川尻達也VSアンソニー・バーチャック・・・川尻までダイジェスト扱いだなんて・・・あんまりだ。泣きたくなった。

石井慧VSヒース・ヒーリング・・・アミール戦の時は急なオファーだったから、調整が万端じゃなかったのはわかる。でも今回は充分な時間があったはずだ。なのにそのだらしない体はなんなんだ?あと髪型!試合ごとに異なる奇抜なヘアースタイルでファンを楽しませるのがポリシーではなかったのか?手抜きすんなよ。
今は無き「紙のプロレス」でミルコ特集があった時、誰かが「総合に転向したミルコは実力者を次々と倒して輝きを増していき、逆にミルコに敗れた者は輝きを失った」と書いていた。確かに他の選手に関してはその通りだけど、ヒーリングだけは違うと思う。ヒーリングが輝きを失った原因、それは中尾さんにあると思う。そう、2005年の大晦日、「Dynamite」のリング上で中尾芳広にキスされたヒーリング。あの時にヒーリングは呪いをかけられてしまったのだ。この呪いを解く方法はただ一つ。ヒーリングの方から気持ちを込めて中尾さんにキスをするしかない!そうすれば中尾さんのリングネームから“KISS”の文字が消え、ヒーリングはかつての輝きを取り戻すだろう。・・・いや、結構本気で言ってますよ、僕。


言及はしてこなかったですけど、一応ジョシカク、観てはいましたし、KINGレイナはギャビ・ガルシアの対抗株として面白いですね。今後はジョシカクもレポートしていくかもしれません。

下着の名称に見る性の非対称性

2017-04-11 21:20:11 | 雑文
雑学王として知られる唐沢俊一と、その弟で漫画家の唐沢なをきによる、「唐沢商会」という兄弟ユニットがある。
その唐沢商会のエッセイコミック『ガラダマ天国』の中で、死語について語っている箇所がある。扱われている死語の一つが「パンティ」なのだが、それに対して寄せられた読者の声がいくつか紹介されている。
そのうちの一人の女性は、「私が「パンティ」という言葉にひっかかったのは今から10年前〔引用者注・この漫画の発表は1997年〕のあの事件で――/“今田勇子”という名で警察に届けられた手紙に/くちゃくちゃのパンティ/というくだりがあり、そのときに「あ、これは女じゃないな」と感じました。――フェチのはいった男の人だ、と思ったのです」と述べていた。
「あの事件」とは、もちろん宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件のことである。この事件は、宮崎本人が逮捕されるまで、容疑者の特定にすら至っていなかった。誘拐されたのが幼女であったため、男の犯行である可能性は高いと目されてはいただろうが、手紙の中で「今田勇子」を名乗っていたことから、女の犯行である可能性も捨てきれていなかった。犯人が特定されておらず、宮崎が「今田勇子」名義で犯行声明文を送付していた段階で、その中の「パンティ」という一語をもって、犯人が男だと直感していた人がいたのだ。
この女性は、「女の人が「パンティ」を使いたがらないのはこの言葉が創り出す男の人の妄想や幻想に拒否感を感じるからであろう」とも述べている。他にも数人の女性の意見が紹介されているが、皆パンティという言葉には抵抗があると言っている。パンティという語が、いつ、どこで創られたか定かではないが、おもにポルノ界隈で用いられてきたことを鑑みるに、男が、己の願望を満たすことを、ただそれだけを目的として、女性がどう感じるかには一切お構いなしに、この単語を選択してきたとみて間違いないだろう。
唐沢兄弟と同じくサブカルチャー界の住人たる杉作J太郎は、その著書『恋と股間』の中で、「ぼくは、女性下着だけじゃなく、男性下着も「パンツ」でなく「パンティ」って呼んでいます」と述べている。政治的に正しい実践だと思う。
もし男が、自身の下着をパンティと呼ぶことに異様な恥ずかしさを覚えるのであれば、その恥ずかしさを女性の側に一方的に押し付けてきた過去を思え、ってことだわな。
パンティという言葉に付随する恥ずかしさ、それは男の、一方的で、自己中心的な、非対称的であることを疑いもしない、無神経な願望の押し付けからくる恥ずかしさである。