徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

モンデリーズ・ジャパン リッツ チーズサンド

2022-10-21 22:37:34 | 
今日はホテルです。




リッツそのままじゃちょっと味気ないけど、自分でトッピング組み合わせるのはめんどくせーって人はこれ。チェダーチーズにコクがあり、リッツも塩味効いてて、後引くこと間違いなし。
何度もお話ししてるので改めて言うほどのことでもないのですが、それでも繰り返しておくと、僕は以前、イベント運営のバイトをしていました。その中で一番多かったのが福岡ドームでの野球の仕事。
シーズンオフには仕事が減少しますが、その期間、福岡ドームでは野球以外の様々なイベントが催されます。ある日、子供向けのイベントが開催されたときの話です。バルーンの遊具を多数設置したイベントか、ポケモンのグッズを多数販売するイベントか、もしくは仮面ライダーなどのヒーローショーをメインとしたイベントだったと思います。1月か2月でした。
この手のイベントは、ドームのグラウンド部分で開催されますが、野球のときと違って、通路やスタンドが部分開放になります。つまり、お客さんが入れない場所がいくつかあるわけです。
そのため、立ち入り禁止の場所で見張りをするスタッフが必要になります。僕はその日、コンコース通路の見張り担当になりました。
コンコース通路は、ドーム内を一周できる通路で、いろんな食べ物を売ってる売店がずらりと並んでいます。その日は部分的にしか解放されていないので、一周することはできず、利用できる売店も限られています。
関係者以外立ち入り禁止となっている場所で、お客さんが入らないようにし、従業員だけを通すのです。見た目でここから先は入れないとわかるので、お客さんがやってくることはほぼなく、基本的にヒマな配置です。

何もすることがない僕は、休憩時間の訪れを待ちわびながら、ひたすらぼーっとしていました。
すると、2,30代くらいの男の人がこちらにやってきました。男の人は、立ち入り禁止エリアに入ってきそうな勢いで向かってきます。
従業員であれば、基本的に名札かスタッフパスを着用しています。しかしその人は、何も身に着けていません。
僕は男の人に、「すみません、関係者の方ですか」と声をかけました。するとその人は、キョトンとした顔で「はあ」と答えました。
僕はさらに、「名札かパスをお持ちですか」と訊きました。男の人は無言でポケットから名札を取り出し、僕に見せてきました。
当時のドームの名札は規格が統一されており、左側に顔写真、右側の上に所属、下に名前が名字だけひらがなで記してありました。
その人の名札は、所属が「福岡ダイエーホークス」、名前が「こくぼ」でした。
そう、その人は、あの小久保裕紀だったのです。
僕は福岡ドームで働いていたものの、野球にはまったく興味がなく、当時、ホークスの中で顔と名前がわかるのは王監督だけでした。小久保選手は、名前は知ってましたが、顔は知らなかったのです。なので呼び止めてしまった。
小久保選手は、自分ならフリーパスでどこでも行けると思っていたのでしょう(実際その通りなのですが)。なので名札を付けていなかったし、僕に呼び止められたとき、意外そうな顔をしたのです。心の中では、「こいつドームで働いとるクセに俺のことも知らんとや?」と思っていたはずです。
ですが、それを機にイザコザが起こることはありませんでした。「お前何呼び止めてんだよ」と文句を言われることもなく、あとで球団側から苦情が来るでもなく、「ありがとうございます、どうぞ」と言って通り抜けてもらい、それ以上は何もなく終わったのです。
ちなみに僕は、「こくぼ」と書かれた名札を見たあとも、しばらくの間は、「あれってひょっとして・・・いやまさか」と、小久保裕紀本人であるかどうかの確信が持てませんでした。それくらい野球に疎かったのです。
それにしても、子供向けのイベントが開催されていたあのとき、一般客が通るコンコース通路に、なぜ小久保選手がいたのでしょうか。コンコース通路はドームの地上にあたるんですけど、通常選手は地下にいるんですよね。自分の子供をイベントに連れてきていたのかもしれません。

先に言いました通り、そのイベントは1月か2月のことでした。そして、その年は2003年でした。野球ファン、ホークスファンならその年がどういう年か、ご存じのはずです。
その年は、小久保選手にとって試練の年でした。2003年3月6日、小久保裕紀は西武とのオープン戦でのクロスプレーで、全治6ヵ月の大怪我を負い、そのシーズンは治療に専念することを余儀なくされたのです。
僕が小久保選手を呼び止めたのは、その直前のことだったのです。それがどういうことか、おわかりでしょうか。
そう、僕が小久保選手の怪我を引き起こしてしまったのです!
小久保選手は、僕に呼び止められたあと、「俺ってけっこう有名だと思っていたけど、そうでもないのかな」と考えた。落ち込んでしまったのです。そして、そのことを引きずりながらオープン戦に臨んだ。
そのため注意が散漫になっており、好調時のプレーができず、大怪我に至ってしまった・・・。
そう、すべては僕のせいなのです。本当に申し訳ない・・・。
え、お前本気で言ってんのかって?
僕はいつでも本気で嘘つきです!

足と靴のエロティシズム

2022-10-18 22:25:15 | 雑考
ウィリアム・A・ロッシの『エロチックな足――足と靴の文化誌』(筑摩書房)を読んでの気付き。
これは足病医学博士で、履物業界のコンサルタントも務めるロッシが、「足はエロチックな器官であり、靴はセクシュアルなその覆いにほかならない」ことを示すために、足と靴はそれぞれどのように認識されてきたか、靴のデザインにはどんなメッセージが隠されているか、足の生理学・解剖学・心理学における知見、足をセクシーに見せるために積み重ねられてきた試行錯誤、その他、足と靴に関する様々なエピソードなど、セクシュアリティの視点で足、及び靴を記述した一冊である。
長くなるが、印象に残った箇所を抜粋する。


こうした足=ファルス観は、私たちの性心理の構造に組みこまれて、潜在意識に「現前」している。ストレーカーがいうように、「私自身の診断でも、足が性器の代置であることは夢分析では一貫して明らかである。夢のなかで足を傷つけることは、しばしば性器を傷つけることを象徴している」。一例として彼は、性的不能に悩む若い男の症状をあげている。調べてゆくと不能の原因は、足の親指を怪我して切断しなければならなかったときの「心理的ショック」だった。足の親指の喪失は、ペニスの喪失ないし去勢に等しい。

フロイトはこう注釈している。「足とはきわめて根源的なセックス・シンボルである。・・・・・・したがって靴や上履きは、しばしば女性性器の象徴とされている。」
ブルックリン博物館のデザイン・コンサルタントであり、服飾史の権威でもあるロバート・ライリーは、いう。「足のセクシュアリティについては、明確な所見をいくつか思い浮かべてみることができます。何よりも明白なのは足の親指が男性のファルスを、足の指のあいだの割れ目が女性を象徴するという考え方でしょう。刀を鞘に納めるように、靴に足をすべりこませる行為もまたそうでしょう。こうした無意識のビジョンは日々私たちと同居しているのです。」
アイグレモントはもっとあけすけにこう語っている。「足と靴の性的象徴主義は、きわめて広範に遍在しており、その起源は太古にまで遡る。靴は女陰や女性性器の象徴であり、一方足はペニスの象徴である(このことについては民族誌や民俗学的研究に無数の確証がある)。人は靴やブーツ、上履きに足を「突っこむ」。この種の履物には、開口部、穴があり、しかもその周囲に毛皮やそれに似た縁飾りが時としてついている。そして人間の足ないし肉がこの穴を塞ぐ。足を靴に入れるのは、ペニスを女陰に入れるまねなのだ。」

セントルイスの心理学者ネイサン・コーンはこういっている。「足と靴はつねにファルスの象徴だった。したがってたとえばハイヒールや「素足の見える」サンダルはエロチシズムを表現している。なぜ人は結婚してしまうと、以前ほど靴を買わなくなるのか。それは、異性をひきつける役割を、靴が果しているからだ。」
性意識とファッションへの気づかいのこうした積極的な関連は、中高年期をつうじてずっとその力を失いはしない。しかし老年期が訪れて、リビドーがその攻撃的な衝動の多くを失ってゆくにつれ、ファッションへの関心もしだいに重要性を減少させてゆく。靴のスタイルは若い頃よりも保守的となり、ヒールも低くなり、靴もだんだん買わなくなってゆく。だから、人がどのような種類の靴をはいているかをみれば、かなり確実にその人の「リビドーの強弱の度合いを読みとれる」わけである。

アジアで今日もよく使われる、こぶのついた木靴風サンダルの起源は古い。アフリカ人はそれを婚礼用の靴に用いているが、大きなマッシュルームのようなこぶが靴底の前部からつきでていて、親指と第二指の間にくるようになっている。(中略)このこぶは元来ファルスの象徴で、今でもそうである。足の指二本の間にファルスがぴたっとおさまるということが、何を意味しているかは明らかだろう。(中略)この靴を花嫁がはくとき、ファルスと豊饒の約束とを結びつけているわけである。

蛇皮も婦人靴に長い間つかわれてきた、きわめてエキゾチックなレザーの一つである。(中略)いずれにせよ、そこには明らかに蛇皮をファルスと結びつける性心理学的なつながりがみられ、昔からヘビそのものがファルスと結びつけられてきたのだから、蛇皮の靴は強烈なエロチシズムと関係していることになる。ここでも面白いことには、男性はほとんど蛇皮の靴をはかない。ヘビのもつファルスの象徴性はひとえに女性だけの領域だといえるだろう。

「最も未開な種族のなかでさえ、裸の人々はいても、装飾をしていない人々はいない」と、フリューゲルはいう。このことは間違いなく足にも当てはまるだろう。(中略)素足のばあいでも、その裸形を覆うように装飾がほどこされたり、あるいはエロチックな目的で利用することが多いし、靴のようなものをつけている時には、性的魅力を発揮するためそこに装飾がほどこされているのである。
何もつけず、装飾されていない足は、常に何か奪われた状態ないし貧弱な状態と結びつけられてきた。プルタルコスは書いている、「素足は、奴隷のみじめな境遇を表わす」と。

アメリカ先住民もまた、モカシンを装飾して手のこんだ意匠的効果をあげているし、アフリカや南米の先住部族は、豊饒や求愛の儀礼ダンスの際に足の甲に性的なシンボルを描くか、しばしばはっきりとファルス的な意味を伝えるものがある。

今日靴についている飾りの多くは、かつて幾世紀もの間靴の装飾に使われてきたあけすけな性器のシンボルの末裔だといえるだろう。たとえば、大きな二つセットになっているボタンや球飾りはしばしば睾丸を表わしているし、大きくてやや硬く、垂れ下がる飾り房はときにペニスを意味している。靴のヘリの毛皮の飾りは明らかにヨニを象徴する靴の陰毛を示唆している。

ルネサンスの時代、おおっぴらに「上半身の美」をあらわすために胸をはだけるのは、ヨーロッパの上流階級の女性のあいだでは当り前のことだった。肖像画を描かせる時には胸を露出したし、家で仲間をもてなす時や友人を訪ねる時、あるいは舞踏会でダンスする際にも、胸を完全に、ないしはほぼ完全に堂々と見せたのである。中にはドレスに穴をあけ、そこから乳首をのぞかせる女性まであった。しかし、ドレスのほうは床に届くほど長いのを着ていたが、それというのも足や足首、脚をみせるのは「淫らな」ことだと考えられていたからにほかならない。

靴屋が初めて商業の舞台に登場した時(アメリカの最初の靴商店がオープンしたのは、マサチューセッツ州のウェーマスで一七九四年のことだった。もっともこうした靴屋が一般的になるにはその後一世紀ほどかかったが)、大抵の女性は足のサイズにフィットさせるためにこうした商店に行こうとはしなかった。そんなことをすれば店員に足首をちらりとでも見られることになるし、実際に足を手で触られることになったからである。そこで何か紐を使って足のサイズを測り、それを親戚の男性に渡して靴屋に買いに行ってもらったのである。

フロイトやまたユングによれば、靴をむりやり誰かに脱がされる夢は、去勢を象徴している。女性のばあいには、性的能力や生殖力の喪失を意味し、男性のばあいは、精力の喪失や男らしさが骨抜きにされたことを意味する。重要なのは、むりやり足を露出されることが、何らかの影響で性的な喪失と結びついていることにほかならない。

古代ローマ人、ギリシア人、エトルリア人、さらに後にはゲルマン人のあいだでは、処女神の彫像の足は「純潔を守るため」に覆われていなければならなかったが、にもかかわらず身体は丸裸ということがよくあった。一九世紀の画家たちが足を「絵具で塗りつぶす」のは普通のことだったし、写真家たちは焦点を足首から上にしか合わせなかった。だから、ヴィクトリア朝の女性の足は、まるで空中浮遊術を使っているかのように、突然途中から現われていたわけである。
(中略)スペインの芸術では昔からこうしたことが行われてきたのは明白で、たとえば一七世紀スペインの宗教裁判の時代には、聖母の絵や彫像でその足を敢えて露出した芸術家は、破門の脅威にさらされるのを知っていた。ムリーリョは処女マリアの足指をあらわに描いたことで異端審問所からきびしく咎められた――ところが、胸の片肌が露出していることについては、何のお咎めもなかったのである。


ちなみに、引用文中のファルスとヨニは、精神分析学の用語で、それぞれペニスとヴァギナを指す。
僕は以前の雑考「靴と婚姻と二足歩行」(2022・5・10)で、中国の少数民族、海南島に住む黎族(リー族)の風習に触れた。それは年頃の女の子が「靴合わせ」という儀式によって結婚相手をきめるというものであったのだが、それに対して僕は、「靴以外にも衣服や装飾品やら、身に着けるものは色々あるのに、なぜ用いるのが靴なのか」という疑問を提出していた。
上の引用文の中に、その答えが示されていると言えるだろう。足と靴は、ともに「性」に関わる。だから、「靴が合う」ということは、「性の相性がいい」という判断になるのだ。
これはあくまで仮説にすぎないし、仮に正しいにしても、これだけですべてが言い尽くされているわけではないだろう。靴合わせの儀式には、もっと多くの文化的意味が込められている可能性がある。

またロッシは、靴はあくまで足を飾り立てる装飾品であり、足を保護するためのものではない、と主張する。その証拠に挙げているのが、靴を履かない原始社会の人々。彼らの足裏は硬く、靴を必要としないほど発達しているという。つまり、人間の足は本来、靴を履かなくても問題がないほどの強靭性を備えている、ということなのだ。
装飾のために誕生した靴が、いつしかその起源を忘却され、足を保護するという2次的な機能が主な役割であると誤解されるようになってしまった、というのがロッシの見解である。人間以外の動物が靴を必要としないように、人間も本来的には靴がなくてもなんの不都合もない、ということらしい。
この説が正しいとするならば、僕が「靴と婚姻と二足歩行」の中で展開した推論は誤っていたことになる。僕は、二足歩行が人類の繁栄を決定づけたから、体全体を支える足を尊重するようになり、その足を保護する靴にもまた特別な意味合いを見出すようになった、と考えた。だから結婚相手選びの儀式に用いるのが靴なのだと。しかし、靴は足を保護するためのものではないとすると、この理論が破綻してしまう。
では、ロッシが正しいのだろうか。そうは思わない。僕には反論がある。
人類が長年苦しまされてきた感染症のひとつに、破傷風がある。おもに足の切り傷から侵入する細菌で、感染者の大多数を子供が占めており、致死率は高い。
現在ではワクチンによって怖い病気ではなくなっているが、ワクチンが開発される前、人類にとって、それは常に身近な危機であった。その時代において靴は、身を守るための命綱も同然であったはずだ。足を飾り立てるためだけの、単なる装飾品であったはずがない。
破傷風菌は土中に潜んでおり、人間の場合はおもに足裏の付着から体内に侵入する。であれば、それに対する防衛手段は、もっぱら靴になるはずだ。
近代以前、顕微鏡も発明されていない時代の人々が、細菌の存在を知っていたはずがない、という反論があるかもしれない。しかし近代以前の人々は、靴を履いた時とそうでない時で感染率が違うということを、長年の経験則によって学んでいたはずだ。因果関係はよくわからないけど、靴を履くことで破傷風に罹りにくくなる、というのは知識としてあったと見ていいのではないか。むしろ、その知識があったからこそ靴が広く人類に普及した、と考えることもできる。原初の靴は装飾のためのものであったかもしれないが、次第に感染症から身を守れるという有用性に気づき、そちらのほうが身に着ける主な理由になっていった、という歴史的推移もありうるだろう。
ロッシの主張は、破傷風が過去のものとなった現代社会の、お気楽な立場から発せられているようにしか思えない。破傷風を知らない社会にどっぷり浸かっているせいで、過去に存在した脅威がわからなくなっているのだ。
さて、僕とロッシ、どちらが正しいでしょうか。
考古学や文化人類学に詳しい方のご教示を乞う。