育鵬社の中学校教科書『新しいみんなの公民』の「第1章 私たちの生活と現代社会」の第1節から見ていこう。
第1節の13ページ目につぎのようにある。
〈真に望ましいグローバル化とは、国家間の違いがなくなることではありません。〉
これだけでは「国家間の違い」が何を意味するか、よくわからない。
私は、現実の国家というものが、支配者による統治と考えている。大きな国家に小さな国家が吸収されることは、大衆自身による統治「民主政」が より遠のくから、国家の「併合」に反対である。「大国」より「小国」がよい。
しかし、つぎの文を読むと、「国家間の違い」は、「文化」や「思想」の違いを意味することがわかる。
〈各国の国民は、それぞれの国の歴史や伝統や文化を踏まえ、アイデンティティー(自分は何ものであるかという意識)を確認しつつ、他国との良好な関係を築いてゆく必要があります。そのような資質をもった存在こそグローバル人材と言えます。〉
「アイデンティティーを確認しつつ」というのが意味不明である。それが「自分は何ものであるかという意識」なら、個人的な問題で、グローバル化となんの接点もない。ところが、「それぞれの国の歴史や伝統や文化を踏まえ」とあるので、「民族意識」のことを「アイデンティティー」と言っているように思える。
日本でちやほやされていた人が、いざ、海外で生活し、異国の文化に接すると、突然、自分に自信がなくなり、日本の歴史、日本の伝統と、日本の文化と言い出し、もっと勉強しておけば、と「後悔」する。クソ野郎である。自分がないのは「勉強」しなかったからではない。自分がないのは、ものごとを批判的精神で見てこなかったからである。「勉強」するという志(こころざし)が、すでに、自己を放棄している。
また、「伝統」とはいかがわしいものである。現在のお祭りも、「町おこし」や「観光産業」の名目で最近作られたものが多い。現在の「神社」と「寺院」のすがたは、明治政府が「神仏分離」令によって、無理やり作ったものである。それまでは、「神仏習合」といって、日本の人格神は仏教の菩薩の仮の姿で、神社と寺院と一体となっていた。
伝統は、常に、政府、すなわち、権力者の都合で、変えられる。
じつは、今から約150年前、明治政府は、開国によって、西洋諸国の文明に出あい、その工業の生産力に圧倒されるとともに、「民主政」には非効率と反発した。明治政府のスローガン「和魂洋才」は、工業生産力の源になった「科学技術」だけを輸入し、「民主政」の思想を拒否することだ。「尊王攘夷」の「攘夷」だけを外し、「尊王」を「天皇の神格化」に引き上げ、「民衆」が権力をにぎらないように、維新の功労者と新興の官僚勢力による集団支配体制を築いた。
グローバル化は、人や物の交流によって引き起こされる思想や文化の衝突のことで、歴史上、たえず起きている。それによって、新しい文化や思想が生まれた。たとえば、キリスト教は、アレクサンダー大王の遠征によって引き起こされた地中海沿岸諸国、メソポタミア、エジプトのあいだのグローバリゼーションの結実である。
日本が、現在のグローバリゼーションのなかで、新しい生活様式、新しい文化、新しい思想を生んでいくことこそ、望ましいのではないか。
昔ながらの「菓子店」「料理店」においしい店があったためしがない。農業や輸送手段の進歩で、色々な素材が手に入るようになっている。そのなかで、味覚も進化している。昔ながらの味では、お客の進化についていけない。
18ページ目には
〈一方で、育児期の家庭では夫が仕事をして妻が専業主婦の夫婦が、現在も高い割合を占めています。〉
とある。妊娠、出産、育児期に、外での仕事をいったんやめるは、別に、「専業主婦」というわけではない。「専業主婦」という言い方に、何か、男女の役割の違いを押しつけているように感じる。
19ページ目に、
〈自分が生まれ育った土地のことを郷土と言います。郷土は自己の形成に大きな役割を果たすとともに、一生にわたって大きな精神的な支えとなるものです。〉
〈私たちが地域のコミュニティーを維持していくためには、各自が郷土の一員として発展に貢献していくという公共の精神を持つことが重要となります。〉
人によっては、「郷土」が「一生にわたって大きな精神的な支え」とならない。自分の自由を束縛した、あるいは、自分たち一家を差別した「郷土」に怒りをもって、郷土を出た者も多い。
ちょっと第2節に飛ぶが、33ページ目の
〈伝統文化の尊重は、それらをはぐくんできた日本や郷土を愛することにつながります。〉
は、ちょっと無理がある。
伝統文化に興味を感じず、バッハやラヴェルの音楽が好きで、なにも悪くない。和菓子や日本料理が嫌いで、何も悪くない。専業主婦になる必要もなく、夫より稼いでも良い。生まれ育った所より、今住んでいる所が素晴らしいと感じたって良いじゃないか。「公民」が個人の好みの世界に立ちいってはいけない。