きょう、国会の閉会にあたっての記者会見で、岸田文雄は日本の軍事予算を2倍にすることに十分な議論を行ったと述べた。あとは、その財源をどうするか、と、国民に十分に説明することであると言った。
私は軍事予算を増やすことに反対である。日本の軍事力強化に十分な議論があったと思わない。
政治用語で「国民に十分な説明を行う」という意味は、「政府は決定を変えない、国民はそれを受け入れ従うべきである」ということである。民主主義国家にあるべきことではない。
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加藤陽子の『天皇と軍隊の近代史』(勁草書房、2019)に面白い話がのっている。戦争犯罪を裁くという話しである。第4章である。第2次世界大戦後に、勝利した連合国が戦争犯罪人を裁いた話である。ニュルンベルク国際軍事裁判、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)である。
これは、1945年6月26日から8月8日にかけての、アメリカ、イギリス、ソビエト、フランスの代表者のロンドン会議で決定された国際軍事裁判条例にもとづく。その要点はつぎである。
① 侵略戦争を起こすことは犯罪である。
② 戦争指導者は刑事責任を問われる。
加藤はそれを国際法上の「革命」と呼んでいる。
侵略戦争を違法とするのは、第1次世界大戦の反省から、すでに、国際的に受け入れられていた。革命的な点は②である。それまでは、政府の起こした戦争は国民全体が責任を負うのである。負けると国民は領土を奪われ、莫大な賠償金を支払わされるのが、きまりだった。古代では、もっと最悪で、奴隷にされるか、皆殺しにあうのが、きまりだった。
「革命」では、事前に知らされていなかったとかが、無罪の言い訳にはならない。体制が転覆されたのだから、国際法の規定のなかった過去にさかのぼって罰することができる。「悪い」ことは「悪い」となる。
安倍晋三は、この「革命」を拒否した。「戦後レジームの脱却」の1つである。
私はこの「革命」を受け入れる。日本は、第2次世界大戦敗戦で、領土こそ縮小したが、国民は賠償責任をまぬがれ、急速に経済復興した。日本の受け入れた「民主主義」が農業を地主の桎梏から解放し、産業を財閥から解放し、日本の急速な経済復興を可能にした。
けっして、急速な経済復興は国家の「インフレ」政策によるのではない。
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東京裁判の結果、東条英機が絞首刑になったのは当然のことである。
靖国神社が死んだ彼を神として祭り、歴代の首相がその御霊に参拝するというのは異常なことである。
民主主義国家では、宗教の自由のもと、民間の「靖国神社」が戦争犯罪人を祭ることができる。しかし、首相は議員であるとともに公務員である。公務員は、戦争犯罪人の御霊を神として参拝することはしてはならない。
岸田文雄は、安倍晋三が育てた自民党議員に押されて、いま、戦争犯罪人の第一歩を歩みつつある。