猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ナチスをめぐるクヌート・ハムスンとトーマス・マン

2019-11-14 23:08:56 | 国家


池内紀の『闘う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記』(中公新書)は、クヌート・ハムスンへの思いをトーマス・マンの日記から読み解く話で始まる。二人ともノーベル文学賞の受賞者である。ハムスンは1920年に、マンは1929年に受賞している。ハムスンは、マンより16歳年上である。問題は、マンがナチスによってドイツから追放され、ハムスンは一貫してナチスを支持していたことである。

池内は、1934年9月の日記の「ハムスンについてのズールカンプの文章は見事だし……」から、マンが「何を読み、どう感じたか、おおよそ推察つく」と書く。その日のマンの記述はそれだけであるのに。

マンの日記には、それ以降もハムスンの記述がポツンポツンと少ない言葉で現れる。例えば、1939年2月28日に「ハムスンの『蠅』は魅力的だった」とある。

池内は、マンがハムスンの愚かな発言に苦々しく思いながら、ハムスンの作品に愛着を持ちつづけたと推測する。

池内の本書を読む私は、なぜ、トーマス・マンがナチスを批判し、なぜ、クヌート・ハムスンがナチスを支持したのか、思い悩む。

マンは、1933年2月10日に、ミュンヘン大学の講演で、ヒトラーによるワーグナーの偶像化を痛烈に批判した。その翌日、オランダ・フランスへ短期の講演旅行に出かけたところで、ナチスはマンの再入国を拒否したのだ。

1933年1月30日に、議会で第1党の党首であったヒトラーが首相についた。2月27日に、国会放火事件が起き、ナチスは、ヒンデンブルク大統領に憲法の基本的人権条項を停止し、共産党員などを法手続によらずに逮捕できる大統領緊急令を発令させた。6月30日に、ナチス親衛隊が党内外の政敵116名を法手続きによらずに殺害した(長いナイフの夜事件)。

ドイツ人のマンは、ナチスがその凶暴性を表わす以前から、ナチスを批判した。
ノルウェー人のハムスンは、ナチスがその凶暴性を表わしてからも積極的にナチスを支持した。

1933年、ドイツ国会議事堂放火事件の後、ゲシュタポは反戦活動家カール・フォン・オシエツキーを逮捕し、強制収容所に送った。翌年、11月23日にオシエツキーはノーベル平和賞を獄中で受ける。

これにたいし、ハムスンはノーベル賞を与えることに反対する。「ドイツの新しい指導者を困らすためにオシエツキーはわざとドイツにとどまった」と、ののしる。ハムスンの言をマンは日記に書きこんだ。

池内は、ハムスンがなぜナチスを支持したかをつぎのように推測する。

「ハムスンはつねに都市文明を批判してきた。大地に根ざした農民や職人を称賛し、著名な作家となってのちも北欧の寒村に住みつづけた。ハムスンの好んだ人物は腐敗した文明社会からのはずれものであり、それがヴァガボンド(放浪者)として遍歴する。」
「このような作家にはナチス的原理が20世紀の福音のように思えたはずだ。金銭万能の資本主義ではなく、総体としての国民社会主義、打算のうごめく多数決ではなく、強烈なフェーラー(指導者)への信頼と服従による指導原理。」

じっさい、ヒトラーも故国オーストリアでは敗残者であり、ドイツに流れてきたヴァガボンドである。

ハムスンは非常に貧しく生まれ、ひきとった叔父に虐待され、学校にも満足に行けず、それにもかかわらず、生き抜いて作家になり成功した人である。池内の言うように、ナチスは革命による国民共同体を唱えていたから、ハムスンはとりこまれたのであろう。

フロムの言うように、ナチス批判は腰をいれてなすべきである。

佐伯啓思も江藤淳も保守派の知識人は頭がおかしい

2019-10-03 22:30:56 | 国家
 
佐伯啓思の(異論のススメ スペシャル)『「○○ごっこ」する世界』が、きのう(10月2日)の朝日新聞にのった。このようなトンデモナイ小論を朝日新聞がなぜ載せるのか、わからない。
 
佐伯は、国家間の争いの中で日本を防衛せよという、個人より国家を優先させる、保守派の主張を繰り返しているだけだ。安倍晋三の『新しい国へ――美しい国へ完全版』の論理と本質的に同じである。
 
タイトルの「○○ごっこ」は、「戦後の『保守派』を代表する評論家、江藤淳」の著作から取ったものである。江藤の評論の軸は、「ほとんど米国の属国といってよい戦後日本の主体性の欠如を明るみに出す点にあった」と佐伯は言う。
 
「日本の主体性」とは何のことか。この言葉使いから、すでに、佐伯も江藤もバカである。「日本」とは日本人なのか、日本国民なのか、日本政府なのか、自民党なのか、自民党に投票する選挙民なのか。「主体性」とは何のことか。
 
「○○ごっこ」と江藤が言うのは、リアリズムにもとづかない言動を指している。ずいぶん偉そうだね。
 
佐伯によれば、「占領下にあって……。それ以降、日本人は米製憲法を抱き、米国からの要求をほとんど受け入れ、米国流の価値や言説を積極的に受容してきた。これでは、国家としての日本の自立は達成されない、と(江藤が)いうのである」。
 
「米国からの要求をほとんど受け入れ」は、日本政府の主体性であり、吉田茂、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三にめんめんと受け継がられている。主体性がないのではなく、日本政府やそれを形作る自民党(日本の権力者)が卑怯者なのである。「米国からの要求を受け入れる」ことが得(トク)すると考え、自主的にそう行動する者たちが、日本で権力をにぎってきただけである。
 
たとえば、高坂正堯は、占領という異常事態、マッカーサーという後ろ盾がなければ吉田茂は首相になれなかっただろうと指摘をしている。
 
それに対し、「米国流の価値」の受容は、単に保守派にそれに対抗する思想がなかっただけである。個人に対し、「国家」や「日本共同体」を唱えるのは、一周遅れのファシズムやナチズムにすぎない。
 
だから「国家としての日本の自立」というおかしなことを言うのだ。江藤淳、佐伯啓思こそ「愛国ごっこ」をしている。
 
江藤の権威をかりて、佐伯は、「戦後日本は、米国への従属国家としてアイデンティティを失うことで平和と繁栄を手にしてきた」と言う。そして、「死者たちの霊を共同体のものとして受けとめた時に初めて、われわれは自らに自信を持つことができるようになる」と言う。
 
「死者たちの霊」とは、たぶん、引き継がれた怨念のことを言うのだろう。しかし、「引き継がれた怨念」と言っても、それは米国との戦争に負けたことか、それとも西洋思想に対する劣等感なのか。わたしには、それが、なんなのか、さっぱり わからない。
 
だいたい、「日本のアイデンティティ」を持ち出すところから、佐伯も江藤も頭がおかしい。「アイデンティティ」とは、個人のもつ自意識(自己)のことで、日本人という帰属意識ではない。「アイデンティティ」とは、「自己と他者とを明らかに区別し、かけがえのないものとして自分自身を感じふるまうこと」と私は考える。
 
「愛国ごっこ」をしている佐伯はつぎのようにのべる。
 
「占領下にあって主権をもたない国家が憲法を制定しうるのか、また憲法とは何か、主権者とは何か、国家の防衛と憲法と主権者(国民)の関係は」といった根本的な問題を、右派も左派も問え、と言う。
 
その前に、われわれは主権者として、扱われてきたのか、あるいは、ふるまえてきたのか、を問わなければならない。
 
戦前は、殺すべき天皇が、みんなに見えていた。「天皇を殺せ」が暴力で封じられていただけである。昭和天皇は殺すべきだったのである。
 
戦後の権力者は、われわれ民衆の心を操作対象と考え、天皇を象徴として見えなくして、戦前の権力者から権力の独占を引き継いでいる。
 
国は、民衆へのサービス機関であるべきなのに、税の収集の効率化という名目で、消費税を課し、その税率を上げてきた。国境があるばかりに、われわれは、サービスが悪いといっても、他国のサービスを受け入れることができないのだ。民衆が原発はいらないと言って8年たっているが、政府は原発を再稼働している。沖縄が米軍の基地をいらないと言っても、撤去せず、辺野古の海を埋め立てて滑走路を作ろうとしている。
 
リアリティの国家はあらゆるものを独占している悪党なのだ。安倍晋三のもとに、あらゆる腐敗が集まってきている。それは権力のもとに集まっている者たちがトクするからだ。
 
「国家の防衛」のまえに、「国家の解体」と「個人の確立」こそ叫ばなければならない。保守派の知識人は頭がおかしい。

ハンナ・アーレントの「悪の陳腐さについて」

2019-09-03 21:59:37 | 国家



ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』(みすず書房)よりも、同じ著者の『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』(みすず書房)のほうが、本文の字が小さいのにも関わらず、読みやすい。

『全体主義の起原』では、ユダヤ人が歴史的にいかに迫害されてきたか、モッブたち(教養がなく下層の乱暴者)とエリートたちが協力して、強圧的な全体主義体制をいかに作ったか、を記述している。

『イェルサレムのアイヒマン』では、何のとりえもない人間が、職をえるため、雪崩を打ってナチ党員になり、戦争やユダヤ人虐殺に積極的に のめりこんでいく さまを、アイヒマンの裁判を通して、描き出している。

副題に「悪の陳腐さ」をつけたのは、同じ行為が、虐殺されたものにとっては憎むべき「邪悪な」行為だが、虐殺する者にとってはなんの意味もない日常的な軽い行為であった、と彼女が知ったからだ。

アイヒマンはユダヤ人を強制収容所に輸送した責任者である。彼女が描き出したアイヒマンは、やる気が続かなく、頭も悪く、ユーモアもなく、どもることもある、嘘つきの社会的落伍者である。

同じく、ヒトラーも、高等教育も受けていず、兵卒長が唯一の職歴で、観客の前で大言壮語できることだけが取り柄の社会的落伍者であった。しかし、ヒトラーが落伍者から総統に成り上がったがゆえに、アイヒマンは、ヒトラーを自分の英雄として尊敬し、ヒトラーから命令を受けることを人生の至上の喜びとした。

そのアイヒマンが、ユダヤ人に興味をもちシオニストの著作を読み、ユダヤ人共同体の幹部とも接触していたために、ナチの組織の中で大出世をし、貧しいユダヤ人を、そのユダヤ人幹部の協力を得て、強制収容所に大量輸送する使命を得たのだ。

きょう、たまたま、Youtubeで昔のドイツ映画『メトロポリタン』(1927年)を見たが、地下に住む労働者を群衆として描写し、ひとりひとりを心をもつ人間として描かないのに驚いた。20世紀前半の高等教育を受けた知識人は、労働者との人間的接触がなく、大衆嫌いという生理的体質があったのではないかと思った。

ハンナ・アーレントは、『イェルサレムのアイヒマン』で、はじめて、大衆の中のひとりを、個人として記述したのでは、と思う。


ファシズム、ナチズム、スターリニズムと全体主義

2019-09-01 23:11:54 | 国家


ホッブズは、だれが主権者なのかによって、政体は「君主政(モナキィ)」、「貴族政」、「民主政」の3種に分かれ、それしかない、と言う。他はそれらの悪口であるという。「君主政」を嫌うものは「専制政治」とののしり、「貴族政」を嫌うものは「寡頭政治」とののしり、「民主政」を嫌うものは「無政府的(アナキィ)」とののしる。

私の時代には「全体主義」という言葉があった。

エンツォ・トラヴェルソは『全体主義』(平凡社新書)の序で次のように書く。

《 「全体主義」という言葉ほど、いい加減に、つまり意味を曖昧にしたまま広く使われる言葉は、そう多くない。》

全体主義とは、具体的には、イタリアのファシズム(1922-45年)、ドイツの国民社会主義(ナチズム)(1933-45年)、ロシアのスターリニズム(1920年代-1950年代)を指す。一人に権力が集中し、個人崇拝を強要したから、明らかに「君主政(モナキィ)」である。

モナキィ(monarchy)を「君主政」と訳するから違和感があるのであって、モナキィは、語義通り、「独裁政」と訳すべきである。

トラヴェルソの論点は、時代とともに「全体主義」の意味合いが変わってきたことにある。

イタリアのファシズムは、田舎の教育家ムッソリーニが、古代ローマ帝国を模範に、町のよたものたちを再教育のため軍事組織化したことに端を発する。手を斜め前にまっすぐ持ち上げた挨拶スタイルは、ファシストが古代ローマのあいさつをまねたものである。ナチスが最初に始めたのではない。

ファシズムが「国家への忠誠心」を大義にしたのにたいし、ナチズムは「共同体の樹立」が大義である。ナチズムの語源の“Nationalsozialistische”は「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」である。Nationalは、「国民の」という意味とともに、ドイツ「共同体」という意味をもつ。「千年王国」というドイツ人の夢をこめているのだ。ムッソリーニと違い、ヒトラーは、オーストリアから流れてきた人生の敗者だが、第1次世界大戦後のドイツで自分がスピーチの才能があることに気づいた。

スターリニズムは、レーニンを引き継ぎ、ソビエト連邦の実権をにぎった「共産党官僚」のスターリンから来る。ロシアに「共産主義」革命が起きたとき、反革命派が欧米の軍事支援を受けて、内乱が起きた。日本もこの内乱に乗じ、シベリアに出兵し、領土を確保しようとしたが、失敗した。結局、革命派(ボリシェヴィキ)が内乱に勝った。

トロツキーが革命派の軍事作戦を指揮し、スターリンは共産党官僚としてその後方支援を行っていた。党首のレーニンが死んだとき、トロツキーが追放され、スターリンが実権をにぎったのは、生徒会長が死んだとき、副会長が追放され、会長、副会長不在のまま、生徒会書記が実権を死ぬまで握ったことに、たとえられる。

欧米の知識人にとって驚きだったのは、自由と民主主義という欧米の近代の伝統を踏みにじり、20世紀に、ファシズム、ナチズム、スターリニズムという暴力的独裁政が生じたことである。スターリニズムは、文化の遅れたスラブ人国家だから起きたという偏見もあるが、一般には西洋文明の枠にスラブを含める。

同じ時期、日本では、天皇のカリスマ化が行われ、例えば、各家庭の家長の部屋に天皇の写真をかかげるなどが行われたが、トラヴェルソは、日本が西洋の一部でないので、本書『全体主義』の中で取り上げない。

ファシズムもナチズムも民衆から起き上がった政治運動体であり、モダニストとして、反啓蒙主義、反民主主義を主張する。個人と国家が、個人と共同体が一体化することを理想とする。

それに対し、スターリニズムは、自分を西洋思想の嫡子とし、進歩的で科学的だと主張する。イデオロギー的には、ファシズムやナチズムと正反対であるが、実態として独裁政をしき、反個人主義的で、暴力でそれを維持する。

トラヴェルソは、全体主義がともに近代の「全面戦争」の中で生まれてきた軍事国家への思想であるとする。「全面戦争」は国民すべてが巻き込まれる戦争のことである。知識でなく、道徳でなく、暴力こそが勝者を決めるという思想である。

その意味では、吉田松陰がまいた「攘夷」の種は日本にも「全体主義」の実をつけたとも考えられる。

「全体主義」の概念は、最初、イタリア、ドイツ、ロシアからの亡命者によって、非難のための言葉として、パリで、ついで、アメリカで発展していく。亡命したトロツキーは、スターリニズムを「全体主義」として批判し、共産主義とはアナキィを目指すものとした。

ところが、ナチズムとファシズムが終焉した第2次世界大戦後、「全体主義」はアメリカで「共産主義」を意味するようになり、反共産主義を唱えるなら、どのような非人道的な独裁政でも、アメリカ政府は支援するようになる。

じっさい、朝鮮戦争の後、アメリカ政府は韓国の軍事独裁を支援つづけた。現在はサウジアラビアの独裁政権を支援つづけている。

アメリカの犯罪的なところは、トラヴェルソの指摘するように、ドイツでナチスの残虐行為をおこなってきた者を、反共産主義活動の担い手として解放するのである。したがって、連合国に代わって、ドイツ国やイスラエル国がこれらの戦争犯罪者を裁くことになる。

日本でも、中国大陸で諜報活動を行っていた者、中国人の生体実験を行っていた者が情報をアメリカ政府に渡し、アメリカ情報部の協力者になることで、戦後も生き残る。しかし、日本はこれらの者を裁くことがなかった。戦争犯罪者としていったん捕らえられた岸信介が日本首相になり、日米安保条約を結び、日本の米軍基地の永続化を許した。日米安保条約の交渉で渡米した岸信介は、アメリカの国会で、自由と民主主義の名のもとに、反共産主義を訴えるスピーチをし、拍手を受けたのである。

「全体主義」という言葉と同じく、「自由と民主主義」という言葉も、現在なお乱用されている。

ところで、トラヴェルソは第1章でつぎのように書く。

《〈現実に存在する〉自由主義は、ブルジョアと貴族の共生であり、制限選挙と労働者階級排除のもと、たしかに民主主義とはかけ離れたものだった。とはいえ、古典的自由主義の根本的な特徴は――分権、複数政党、公的機関、憲法による個人的権利の保障(表現の自由、信教の自由、居住地の自由など)――全体主義とは両立しえない。》

日本はまだ儒学的な封建主義が生きている国である。日の丸と君が代に涙し「大義に殉ずる」安倍信者のいる国である。したがって、強権的な独裁政をふせぐために、古典的自由主義は十分に機能する。また、戦争反対が全体主義との大切な差異になる。

ホッブズの『リヴァイアサン』、独裁政とアナーキー

2019-08-31 23:10:52 | 国家
 
17世紀のイギリスの法哲学者トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』を、豊永郁子の新聞での評論に刺激されて、70歳を過ぎてから、読んだ。
 
原文は英語で、現在の英語と少し異なるが、インターネットで無料ダウンロードでき、日本語の翻訳があれば、中学終了レベルの英語力で読める。
 
ホッブズは、『リヴァイアサン(怪物)』で、人間の特性の考察から始め、国というものを論じている。言葉を1つ1つ定義してから議論を進めるから、政治哲学の予備知識は不要である。
 
ホッブズは国をCOMMON-WEALTHと呼び、ラテン語のCIVITASの訳としている。永井道雄らの訳では、これを「コモンウェルス」と音訳している。
 
ホッブズは、コモンウェルスを人間が集まって1つの意志をもつことと考え、これは不自然なことであるから、「人工の人間」(an Artificiall Man)と呼んでいる。
 
豊永が指摘するように、ホッブズは、人間は能力的に平等であると考えた。ホッブズはつぎのように書く。
 
「《自然》は人間を身心の諸能力において平等につくった。…。たとえば肉体的な強さについていえば、もっとも弱い者でもひそかに陰謀をたくらんだり、自分と同様の危険にさらされている者と共謀することによって、もっとも強いものをも倒すだけの強さを持っている。」
 
ホッブズは、このことから、人間は自然な状態では戦争がおきる。だから、安定した秩序を人々が求めるとき、コモンウェルスが生まれると考える。そして、コモンウェルスは「怪物」なのである。
 
ホッブズがコモンウェルス同士の戦争をどう考えていたか、想像するに、戦争を繰り返し、合併の規模が次第に大きくなり、対立するコモンウェルスの数が減ると単純に考えたのであろう。
 
ホッブズは、主権者はだれかによって、コモンウェルスにはつぎの3種類しかないとする。
 
「代表者がひとりのとき、そのコモンウェルスは《君主政》(a MONARCHY)、また集まる意思のあるすべての者の合議体の場合は《民主政》(a DEMOCRACY)あるいは人民の(Popular)コモンウェルス、そして一部の者の合議体のときは《貴族政》(an ARISTOCRACY)と呼ばれる。」
 
そして、つぎのように指摘する。
 
「《君主政》のもとにあってそれに不満なものは、これを「専制政治」(Tyranny)と呼び、《貴族政》を嫌う人々は、これを「寡頭政治」(Oligarchy)と呼んだ。同様に、《民主政》のもとで苦しんでいる人々は、これを「無政府」(Anarchy)〔統治の欠如の意〕と呼ぶ。しかしこの統治の欠如を、何か新しい種類の政治形態と信ずるものはあるまい。」
 
日本では、monarchyを「君主政」と訳するが、語源のギリシア語にさかのぼれば、ただ一人(mono)が上に立つ(archy)という意味で、「独裁政」と訳すのが適切である。
 
日本の戦前の体制は、天皇の独裁政かそれとも貴族政か意見が分かれるところであろう。大日本帝国憲法では、陸軍・海軍が天皇に属するから、形式的には「独裁政」である。
 
ところが、実質的には天皇は操り人形とする人々がいる。安倍晋三もその一人である。すると、実権をにぎっている人が複数であれば、「貴族政」となる。明治維新をおこなった集団が実権を握って、日本の近代化を進めたのならば、実情に合わない憲法をもったことが、その後の国策の誤りを招く要因だろう。明文化された憲法が嘘となれば、だれも政治に責任をとらなくなる。
 
昭和天皇が敗戦の前の日本の状況を「下剋上」と捉えていたことは、昭和天皇は「独裁政」と大日本帝国憲法を理解していたことになる。そして、負けたことを死ぬまで悔しがっていたのだ。
 
ホッブズが「民主政」と「無政府」と区別していなかったことに私は賛成である。民主政とは、誰も上に立たない(an+archy)を言うのだ。だからこそ、私は民主政を支持する。政府が民衆を統治するのではなく、政府は民衆へのサービス機関であるべきである。
 
安倍晋三が「総理大臣だから偉い」と考える人は、「独裁政」支持者である。また、内閣が日本を統治していると考える人は、「貴族政」支持者である。
 
「自由」と「民主主義」をかかげることは、だれかがだれかを支配し、したいことを邪魔することではなく、すべての人が平等で、共存しようとすることである。
 
たくさんの人々が集まって1つの意志をもつ、ということは不自然で、その不自然さが、国と国の戦争を生む。国に多様な意見があるのが自然なのである。自民党の中に安倍晋三を批判する勢力がないということは、「自由民主党」の看板に偽りありで、怒るべきことなのだ。