猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

トンガ海底火山噴火の津波予測の失敗はマニュアル依存やコンピューター依存

2022-01-22 22:13:33 | 科学と技術

いま、トンガの1月15日海底火山噴火による津波の警告を、日本の気象庁が出せなかったことの反省が、なぜか、うやむやになっている。

気象庁は、当初、気象庁は「被害の心配なし」と発表したのに、午前0時ちょっと前、日本に1メートルの津波がきた。津波が到達してから、気象庁は、明け方まで、津波警報や津波注意報を出しつづけ、アイパッドには明け方まで、警報、注意報がなりひびいた。(もっとも、これは私の妻はアイパッドの切り方を知らないだけであるが)。

とにかく、トンガの10メートル以上の津波の被害の大きさもさることながら、日本にも、1メートル前後の津波が漁業関係者を中心に大きな被害をもたらした。

いっぽう、ハワイにある太平洋津波警報センター(PTWC)は、火山噴火から一貫して「津波」の警戒情報を出し続け、太平洋の島々や沿岸に注意喚起を行った。

気象庁地震津波監視課の調査官は、つぎのように、事情を説明した。

《事前に注意報を出せなかったのは、注意報を出す根拠が何もなかったからです。津波注意報を出せば自治体が動くし、漁業関係者もいろいろな対応をします。でも、そのとき、『津波注意報を出した根拠は何ですか?』と問われたら、答えようがありません。》

もっともなようで、もっともでない、おかしい説明である。「津波注意報」がはずれたら、責任が問われるから出さなかったというのである。ということは、津波がきても、事前に注意報を出さなかった責任が問われないということである。

これは、何を言っているのか、というと、マニュアルに従ったり、コンピューターのソフトに従ったりしている限り、津波が来る前に警告を出さなくても、良いと言っているのである。

気象庁の観測衛星「ひまわり」には、トンガの海底火山の噴火が映っていた。観測衛星の高度は約36,000km、地球の半径は約6,400km、非常に高いところが直径300km以上の噴煙を観測していたのである。夕方の映像であるから、噴火の影が映っている。影から、噴火の高さが推定できる。噴火の噴煙は2段重ねになっている。中央の円がが垂直な噴火、そして、水平方向に広がるのは爆風。また、観測衛星は16バンドの観測スペクトルがあるから、岩石を噴き上げていることぐらいは、わかっているはずだ。時間変化からも爆風の速さがわかる。

とてつもない規模の噴火にもかかわらず、気象庁は、当初、「津波被害の心配なし」と発表したのである。私は常識がないとしか言えない。

たしかに、地震のマグニチュードのように、火山の噴火の規模を示す指標がない。したがって、噴火が起こした津波のデータベースが整理されていないのであろう。しかし、これまでも、噴火が起こした津波の先例はある。

気象庁は、「今回、特異な潮位変動をとっさに伝える手法がなく、今後より良い伝え方を検討する」とか「きちんとした数値モデルに基づいた計算結果なしには、注意報や警報を出すことはできない。その数値モデルをつくろうにも、データを集められるような事例がない」と言い訳ばかりしないで、マニュアル依存、ソフト依存に陥らず、注意報、警報は人間が出しているのだ、という自覚を持ってほしい。

誰かさんが作った津波数値モデルやコンピューターに頼りすぎるのは、科学ではない。

[補遺]

ウィキペディアによれば、火山噴火の規模を示す指数(Volcanic Explosivity Index)があるという。噴出物の量を指数とするという。歴史上の大噴火は、地上に残された火山灰でしか測れないから、しかたがないのだろう。トンガの海底火山噴火のVEIはまだ報道されていないが、宇宙からの映像からは、最高位の指数になるだろう。


トンガ海底火山大噴火に伴う津波を予見できなかった気象庁

2022-01-16 22:27:54 | 科学と技術

きのう、トンガの海底火山の噴火によって引き起こされた津波の日本到達を気象庁が予測できなかった。津波が到達してから気象庁は津波警報をだした。

気象庁が津波を予測ができなかったのはある意味ではしかたがない。これまでになかったことだから、予測できないこともあるだろう。責めるわけにはいかない。

しかし、深夜の午前2時の気象庁の記者会見がいただけない。弁解が先だち、起きている事象の説明がほとんどなかった。そして、起きた事象は「津波」でないとまで言う。津波でないが、津波の警報システムを使って、津波の警報を発信したと言う。

たぶん、海底火山の噴火があったとき、どうすればよいかのマニュアルが気象庁になかったのであろう。また、津波予測ソフトは地震のマグニチュードと震源の深さと位置の情報がないと機能しないのであろう。

しかし、日本以外の太平洋沿岸諸国は津波の警告を出していた。日本はわざわざ津波が来ないという予測を津波到達の前にメディアに流していた。

今までない事態に対してどう行動するのかが、その人の能力である、と私は思う。

海底火山の噴火がどうやって津波を引き起こすのか、という機構がわからなくても、海底でこれまでに例のない大規模な噴火が起きたのだから、津波ということを心配する人が気象庁にいても良かったのではないか、と思う。

トンガの海底火山の噴火は、気象庁の観測衛星「ひまわり」にも、アメリカの気象衛星NOAAにも映っていた。噴煙の影を見ると、噴火は2段の重ねの爆風を引き起こしている。水平方向に広がる噴煙の直径は300kmを越えている。

トンガの大噴火は日本時間で午後1時10分ごろ、日本の奄美大島に津波が到達したのは、午後11時50分だから、日本到達に10時間と40分かかっている。トンガと日本との距離は、8150 kmであるから、時速800km弱で到達したことになる。太平洋を伝わる津波としては普通の伝達速度である。決して音速で伝わったのではない。

大気中を伝わる波は、周期が短かろうが、長かろうが、衝撃波であろうが、音速で伝わる。気圧の変化が日本に音速で伝わったが、海面の波は普通の津波の速度で伝わったのである。

気象庁は、潮位の変化が10分前後の周期を示していたことを、津波でない証拠にあげていたが、周期をもって津波か否かを論ずるのは不適切である。

大きい変動がごく短時間で起きる現象では、発生する波の高周波成分が大きくなる。これを衝撃波ともいう。すなわち、突然の海底火山の大噴火と、比較的ゆっくり海底で断層が広がる大地震とでは、発生する波の周期は異なる。

発生の機構にかかわらず、潮位が大きく変動すれば、津波とすべきである。爆風が上から波を引き起こしたのか、噴火が下から海面を押し上げたかは、津波を警告してから、ゆっくりと議論すれば良いのである。

いままでの気象庁のマニュアルやソフトではどうしようもなかったというのは本当だろう。しかし、マニュアルに従わないで判断できる「能力のある」人が他国にいて 日本にいなかったのも本当だと思う。

日本人が「能力がない」と私は思わない。ただ、気象庁は「能力のある」人を雇わないだけだ、と思う。「能力のある」人は、慣例やマニュアルに従わず、常識に従う人である。常識があれば、いままでに例のないことが起きたら、マニュアルになくても、心配して情報を集めるはずである。

[補足]

1月18日の朝日新聞が、トンガで最大15メートルの津波があったと報道していた。15日、トンガとの通信が途絶えたというのに、トンガには80センチの津波しか起きなかったというニュースだけが、世界をめぐった。

いま、トンガの港湾施設が使えないとか滑走路が使えないというニュースが世界をめぐっているが、そんな施設は昔なかったわけだから、それでもトンガ支援はできる。港湾施設がないときは、大きな輸送船からボートを下ろし、ボートで島に物資を運べる。また、滑走路がなくても、パラシュートで上空から物資を落とせる。

教育の欠点は、教えられないことをできないと人びとが思うようになることだ。常識をもって、自分の頭で考えることの重要性を、トンガ海底火山噴火の事例は物語っている。


地球温暖化のように科学的事実だと迫られたら、あなたはどうする?

2022-01-11 22:26:09 | 科学と技術

マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)の中に、温暖化ガスによる気候変動の話がでてくる。

バラック・オバマが、温暖化の話は科学のことで、科学を受けいるのは smartで、科学を受け入れないのは smartでないと言ったという。この smart というのは、日本語で言う「頭が良い」という意味である。早川書房の訳では「賢明」という漢字を当てて、「スマート」というルビをふっている。「頭が良い」というニュアンスだと知ってこそ、サンデルがオバマにつっかかる気持ちがわかる。

自分の目で確かめられない科学的事実をもとに、政策提案の受け入れを迫られるのは、じっさい困る。納得のいかない政策の受け入れを科学の権威でもって迫られ、「拒否する権利があるが、拒否するなら、あなたは頭が悪い」と言われても困る。

サンデルは、エリート政治家たちが、さらに、それを金儲け(投資)の話にしてしまい、「スマート政策」として押しつけてくると言う。

迫る政治家は、本当にその科学的真理が導かれたロジックを説明でき、それが正しいという根拠を示せうるのか。

温暖化は、理屈の上では、太陽から地球にくるエネルギーが、温暖化ガスによって地球から逃げて行かなくなることで起きる。だから、大筋では反対できない。しかし、じっさいは細かな話である。

気候変動は、天気予報のように、流体力学のナビエストークス方程式を解くという話しではない。毎日の温度変化は10度前後あり、季節変化は30度前後の温度差がある。その中で、二酸化炭素ガスが増えれば100年で1度あがるか2度上がるかを、議論しているのが、地球温暖化の問題である。

逆に、温暖化は科学の話だと言われて、詳細を吟味せず、信じているフリをする人間のほうが「頭が悪い」と私は思う。

4日前に朝日新聞《私の視点》に、老気象学者の近藤純正が地球が温暖化しているかどうかを、直接観測するために「測風塔」に温度計を設置することを提案していた。地表の温度は都市化という環境の変化を受け、地球温暖化の証明にならないからである。しかし、「測風塔」に温度計を設置しても、1年に平均気温が0.01度あがるか、0.02度上がるかを実測できるとは、私には思えない。

温暖化ガスというのは、短い波長の電磁波(可視光、紫外線)を通し、長い波長の電磁波(赤外線)を吸収するガスをいう。大気のほとんどを占める窒素ガスや酸素ガスは等核2原子分子だから、赤外線を吸収しない。それ以外の多原子分子はすべて赤外線を吸収する。

だから、アンモニアを燃やして 二酸化炭素ガスは減っても、新たな温暖化ガス、二酸化窒素ガスが増えるなら問題解決にならない。温暖化ガスの総量が問題なのである。したがって、アンモニアを燃やして得られるエネルギーとアンモニアが燃えることによって生じる温暖ガスの赤外線の吸収量を、炭素の燃焼エネルギーと二酸化炭素ガスの赤外線吸収量とを比較しないといけない。その議論をアンモニアを推奨する人から聞いたことがない。

毎日の気象は、航空機設計で使っているものよりも変数の多いナビエストークス方程式をコンピュータで解くことで、1週間程度は予測できる。しかし、初期条件を正確に知っているわけでもなく、それに加え、コンピュータはもともと正確な計算ができるわけでなく、掛け算や足し算をするたびに誤差を生ずる。だから、エラーがつもって、長期になると、予測不可能になる。

100年先を予測する気候変動のモデルは、気象モデルとは異なって、スーパコンピュータを使っても、科学的に正しい結果を与えるわけでない。エネルギー保存則と科学者の直観と確率過程の仮説に基づくモデルにすぎない。モデルが適切であれば、過去の気候を統計的に再現できるということにすぎない。逆は必ずしも真でない。調整パラメータの多いモデルは、パラメータが多いせいで、偶然、過去の気候を再現できることがある。未来は予見できない。

しかし、現実をフィットするに使われるパラメータは、いくつあるのだろう。20か40なのか。もっとなのか。しかも、過去の測定値は限られた場所しかない。近藤の指摘する都市化のような局所的事情もある。年平均も本当かあやしい。

これは気候温暖化だけの問題ではない。現代では、科学と言われても、それにたずさわっている科学者の良心を信じるしかないことが多い。科学者は意識的にウソをついているのではない、と信じるしかない。じっさいには、人間の無知や軽率ゆえに、科学的事実は、誤りだったことは常にある。また、自分の栄達のために大げさに結論を宣伝したり、意識的にウソをでっちあげしたりする人もいる。もちろん、簡単に実測できることであれば、誤りはいずれ訂正されるかもしれない。

サンデルが言うように、科学的事実を受け入れられない人びとを「頭が悪い」とバカにしてはいけない。そして、科学的事実と言われていることに、それが誤りだったら、という場合のプランを用意すべきである。これは、現在の新型コロナ禍にたいしても言える。


気候変動の研究者、真鍋叔郎がノーベル物理学賞を受賞

2021-10-05 23:20:26 | 科学と技術

きょう、ノーベル物理学賞の発表があって、「日本出身で米国籍」の真鍋叔郎が受賞した。日本外の報道では、「Japan-born American(日本生まれのアメリカ人)」となっている。この報道の違いは、日本人とは何かという問題を、提起している。

私も4年間カナダの大学で働き、その後、外資系の企業に務めたので、日本人とは国籍(citizenship)のことで、国籍とはどこの国の政治に関与できるか、ということと思っている。日本に生まれ、日本に住んでいても、選挙で投票権を行使しない人は、日本人と言えないと考える。

きょうのNHKテレビに、90歳の真鍋が出てきて、とても うれしそうにしていた。気象の研究をしていた者がノーベル物理学賞をもらえると思っていなかったという。真鍋は地球温暖化のモデルを最初に提起したことに、賞を与えられたという。おめでとう。

この気候変動モデルというものはどういうものか、私は知らない。ノーベル賞受賞のとき、例年、ストックホルムで受賞者が講義することになっているので、それを私は楽しみにしている。

10年前、大学での「光学」の講義に温暖化の話を取り入れるために、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書を私は読んだが、各国の温暖化のシミュレーションの結果が一致しているから、温暖化は確実だとしか書いてなかった。気候変動モデルが、すべて、同じなら、そのモデルパラメータの違いとコンピュータの使用した計算時間しか違いがない。シミュレーション結果の一致が結論の正しさを証明しない。モデルに問題がないか、モデルパラメータが適切か、モデルの妥当性の実測による裏付けは何か、そこの議論を報告書に盛り込まない官僚って、権威に寄り掛かるだけのバカ者だと思った。IPCCは世界の科学技術の政府官僚によって構成されている。世界中の官僚がバカっていうわけだ。

大学の光学の「講義」では、分子レベルで赤外線の吸収という観点から温暖化ガスの説明をして、私はお茶を濁した。IPCCの報告書だけでは、温暖化を定量的に信じることを私はできない。

気候変動というのは、長期における温度変化の問題を扱っている。すなわち、熱の問題を扱っている。小学校のときにならったように、熱は、熱伝導、対流、輻射で伝わる。熱伝導は、原子や分子が衝突することで、対流は熱運動している原子や分子が運ばれることで、熱エネルギーが伝わることである。輻射は光や赤外線などの電磁波がエネルギーを運ぶことである。温暖化とは本質的には輻射の問題である。

真鍋の論文を読んだことがないが、想像するに、大気の垂直方向の温度変化を説明しようとしたのが、きっかけではないか。大気の温度は上空に行くほど温度がさがる。しかし、ずっと単調に温度が下がるのではなく、高度10kmで温度の低下が止まり、高度20kmで今度は温度が上がる。高度50kmでまた温度が下がる。この現象を説明するに、輻射のモデルを高度と気温の関係の説明にとりいれないといけない。

真鍋は、ここで温暖化ガスというものに出会ったのではないか。

ついで、地表からの赤外線で暖められた上空の大気が、地表の大気にどう影響するかの、すなわち、大気の対流を取り入れた研究に広がり、さらに、温暖化が地球上一様に進むのでないことを説明するのに、熱輻射を取り入れた大気の循環モデルに 海流の循環を取り込んだのだろう。

気候変動モデルは、気象モデルと異なり、時間のスケールが異なる。気象モデルでは対流(流体方程式)と水蒸気(降雨のモデル)が中心となる。IPCCの報告書では、水蒸気は人間が制御できないから、として除外しているが、気候変動モデルでも水蒸気の効果を取り上げないといけないはずである。時間のスケールの長い気候モデルでは、日々の気象の変化をランダム現象(フラクチュエーション)として平均化して扱っているのではないか。

いま、私は、ノーベル賞講義でモデルの具体的な話を聞きたくて、うずうずしている。

[補遺]

真鍋叔郎の受賞から半日たったが、プリンストン大学で行われた会見では米国籍に変更した理由について質問が飛び、その答えにネット上で話題になっているという。「私はまわりと協調して生きること(living harmoniously)ができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」と、最後に答えたという。アメリカでも、チームプレーがあるから、この「協調」とは「同調」のことで、周りの空気をうかがって自分の意見を率直に言わないことである。


「リケジョ」が「リケジョ」でなくなる日、これは みんなの問題

2021-04-27 23:17:11 | 科学と技術


きょう、はじめて、朝日新聞の『「リケジョ」がなくなる日』という連載に気づいた。『「リケジョ」がなくなる日』という連載名の意味がわからなかったので、これまでの連載を読もうとした。

私は、紙の朝日新聞を毎月25日に回収に出す。したがって、全文を読んだのは、この5回目が初めてだ。これまでの4回のレポートは、ネットでは鍵がかかっていて、各回の半分しか読めない。

読める範囲で私の理解をいうと、「リケジョ」とは「理数系が好きな女子」ではなく、「理数系の研究者をめざす女子」を意味し、「リケジョ」という言葉に差別の気持ちがこもっているということのようだ

連載の各レポートの内容は、男性中心社会のために、「リケジョ」の出産・育児と研究の両立の困難さを周りが理解していない、というふうに読める。

今回のレポートは、全部読めるため、「リケジョ」の問題は「男性中心社会」だけではなく、「研究職」が「極端な競争的職業」であることがわかる。研究職が安定した雇用ではなく、雇用期間内に成果を出さないとつぎの雇用がないという不安に落とされる。そして、雇用先が絶対的に少ないために、結婚しても、出産しても、夫婦が別居という問題が生じる。

私が、まだ、若いとき、40年以上前の話だが、フランスでの化学の学会講演に呼ばれたが、そのとき、フランスの研究者の2割から3割が女性だったと記憶している。理系の学問は攻撃的である必要はなく、しぶといことがだいじだなので、女性に向いていると私は思う。

いっぽうで、高校、大学、大学院を私と同窓の女性は、地元の大学に職を得たにもかかわらず、離婚して、子どもを残して自殺した。一人住まいのアパートでガス爆発を起こしたというが、高校のときの友だちは、あれはガス自殺だという。自殺するほど、苦しんでいたことを知っていれば、会って止めたのにと悔やむ。

「リケジョ」の問題に戻ると、「研究職」でなくても「研究者」であることができるのがあるべき姿ではないか、と思う。大学や研究所に「研究者」でありたい人がいつでも訪れて研究できるのが良いと思う。研究は「しぶとく」「しつこく」続けるのがいい。

短期間に競争して結果を出そうとしても、それは、予想された結果を得ることにしかならない。「研究者」が「研究者」であり続けることができれば、研究のすそ野が広がり、お金をかけなくても、スケールのより大きいな研究成果がでてくる。男女差別だけの問題ではない。

   ☆    ☆    ☆

『「リケジョ」がなくなる日』5回目のレポートを下記に要約した。

《京都大で太陽の研究をしていた》彼女は、《将来を嘱望されていたころ、大学の同級生と結婚した。》

《計画通り》出産、《産後3カ月で博士論文の審査に合格した。「履歴書上は、いつ子どもを産んだかわからないくらい。当時は、『自分ってスゴイ』と思っていました」》

《任期付きの研究職(ポスドク)となり》、《話しかけてくる子どもに「今はやめて」とあたってしまうこともあった。》

《心療内科で「うつ病」と診断された。研究者を辞めようか、とも考えたが、大学から出るのは「負け犬」で、研究室にいないと自分の価値はないと信じていた。》

《研究への野心は残っていたが、「大学には残れる」と思い》、《研究活動を後方から支援する》URAに《転職した》。

《夫が岡山大の助教の職を得》て、わかれて一人で京都に残ったが、いっぱいいっぱいになり、《娘を夫に託し、1人で京都に帰った。》

昔、学校の先生になることが夢だったことを思い出し、岡山の中学・高校の非常勤の教師になって、いまは夫と一緒に暮らす。

《研究に対する未練もなくはない。世界のトップ研究者と肩を並べる自分にも誇りを持っていた。》

《研究職しか考えられなかった当時の自分から見たら、今は「負け犬」かもしれない。でも、この道も楽しい。》