猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ハンナ・アーレントの『悪の陳腐さについて』

2023-11-15 01:33:17 | 思想

2016/10/10(月)のブログから再録

ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』(みすず書房)には納得がいかない所が多々ある。どうも、大衆が嫌いという生理的体質が、彼女の論理に影響を与えているのではないか、と思う。

これに対し、同じ著者の『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』(みすず書房)のほうが、本の字が小さいのにも関わらず、読みやすい。ユダヤ人を強制収容所に輸送した責任者アイヒマンの裁判を通して、ユダヤ人虐殺の本質を、ノンフィクション作家のように淡々と書きしるしたもので、自分の思想の押し売りの部分が少ない。

彼女が描き出したアイヒマンは、やる気が続かなく、頭も悪く、ユーモアもなく、どもることもある、嘘つきの社会的落伍者である。同じく、ヒトラーは、高等教育も受けていず、兵卒長が唯一の職歴で、観客の前で大言壮語できることだけが取り柄の社会的落伍者であった。しかし、ヒトラーが落伍者から総統に成り上がったがゆえに、アイヒマンは、ヒトラーを自分の英雄として尊敬し、ヒトラーから命令を受けることを人生の至上の喜びとする。そのアイヒマンが、ユダヤ人に興味をもちシオニストの著作を読み、ユダヤ人共同体の幹部とも接触していたために、ナチの組織の中で大出世をし、貧しいユダヤ人を、そのユダヤ人幹部の協力を得て、強制収容所に大量輸送する使命を得る。

『全体主義の起原』では、モッブたち(教養がなく下層の乱暴者)とエリートたちが協力して、強圧的全体主義体制を作ったとしている。

『イェルサレムのアイヒマン』では、大衆の中の頭のからっぽの個人に焦点を与える。何のとりえもない人間が、職をえるため、雪崩を打ってナチ党員になり、出世するため、戦争やユダヤ人虐殺に積極的にのめりこんでいくさまを、アイヒマンを通して描き出している。

しかし、ハンナ・アーレントが大衆運動を毛嫌いするのは偏見ではないかと思う。民主主義は、古代ギリシア語ではδημοκρατία(デーモクラティア)で、群衆や下層民を意味するδῆμος(デーモス)を語源とする。したがって、彼女が毛嫌いする大衆が、政治の主体になることが、民主主義である。

ならば、悪意のある者たちに、大衆運動が利用されないよう、日々、努力していくことが大事である。私も大衆(下層民)の一人に過ぎないから、プラトンの「哲人政治」は生理的にまっぴら御免である。


読みづらいハンナ・アーレントの『新版 全体主義の起源』(みすず書房)

2023-11-15 01:12:26 | 思想

2日前から、ハンナ・アーレントの『新版 全体主義の起源』(みすず書房)の第一巻「反ユダヤ主義」を読み始めた。ここで「新版」とは2017年の「新しい訳」と言う意味であって、ハンナ・アーレントは1975年に死んでいる。彼女がもし、この2013年に生きていて、現在のシオニストの国、イスラエルのやっている残虐行為をみたら、何と言うのか、興味がある。

以前、7年前と思うが、読みづらくて本書の読破を断念した。再挑戦である。

今回も読みづらく、困って、ネットで手がかりを探していたら、NHKの『100分de名著』のハンナ・アーレント『全体主義の起源』のときの「プロデューサーAのこぼれ話」が目についた。それによると、彼女は英語が不得意で、雑誌「ニューヨーカ」の特派員としてアイヒマンの裁判の報告書を書くが、このとき、編集長に何度も書き直しを求められたという。これは、彼女が英単語や英文法を知らないと言う問題ではないと、私は思う。すなわち、彼女は、ドイツ語圏の著者特有の、長文で屈折した文章を書く癖があったのではないかと思う。英語圏の人は屈折した表現や長文を好まない。はっきりと簡潔に言うことを好む。

じっさい、『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』は私にも読みやすかった。

みすず書房の『新版 全体主義の起源』は、初版が英語にもかかわらず、わざわざドイツ語版から翻訳しているのだ。読みづらいのは自分だけではないと覚悟したら、時間がかかるが、意外と楽しく本書が読めるようになった。

気づいたのは、第1章を飛ばして、第2章から読んだ方が読みやすいことだ。いや、第4章、第3章、第2章、第1章の逆順に読んだ方がわかりやすい。ドイツ語圏の著者は自分に酔っていて、論理をわかりやすく構成しない。文体の問題だけでないだ。読み手が著作を再構成して理解する必要がある

それに、みすず書房の訳もおかしい。たとえば、第1章の冒頭の1節に

「全世界のユダヤ人に対する追求、最後にはその絶滅を、単なる口実、および安っぽい宣伝の手口と見なす」という句がある。

ネット上にたまたま、英語版の『全体主義の起源(The Origins of Totalitarianism)』(pdfファイル)が無料であったので比較すると、ここでの「追求」は英語版では「persecution」となっている。「迫害」と訳した方が良い。

また、同じ第1章に「ヨーロッパの国民国家体制が崩壊した時点」は英語版では「when the European system of nation-states and its precarious balance of power crashed」となっている。崩壊したのは、「国民国家間のヨーロッパのシステムと不安定なパワーバランス」であって、国民国家(nation-state)そのものが崩壊したのではない。

そもそも、第1章のタイトルは、日本語訳では、「反ユダヤ主義と常識」となっているが、英語版では「Antisemitism as an Outrage to Common Sense」となっており、まったく意味が違う。第2章以下を合わせて読むと、ハンナ・アーレントはantisemitismにそれなりの要因があったと、ユダヤ人や知識人の警告を与えているのだ。

残念ながら無料のドイツ語版「全体主義の起源(Elemente und Ursprünge totaler Herrschaft)」がネットに上がっていないので、ハンナ・アーレントがドイツ語でどう書いたかは、私は確認できていない。