猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

移民を受け入れなければ国家消滅とは変でないか、少子化は自殺行為ではないか

2024-05-20 22:28:04 | 社会時評

きょうの朝日新聞の1面は『韓国「移民」受け入れ拡大』で、3面に『移民なければ国家消滅』『「選ばれる国」へ 日本も新制度議論』と、22面に『「育成就労」 外国人への門戸拡大』とつづく。これは、韓国の移民受け入れ政策を紹介することで、少子化・高齢化対策として、日本も移民を受け入れざるを得ないとするのが、要旨のようである。

しかし、移民を受け入れるのは、あくまで若年労働力不足への対策であって、少子化対策ではない。経営者にとって低賃金の労働力が不足することが悩みのタネかもしれないが、東アジアの国々での少子化は、自分たちが幸せでないという思いの表れでないかと思う。先日の朝日新聞に、「超少子化、過度な競争 自分だけで精いっぱい」という春木郁美のインタビュー記事があったが、これこそ問題の根源である、と思う。

物質的には、私の子ども時代より今の日本人は恵まれた生活をしている。大学院に入ったとき、私は研究室ではじめてクーラーと出合った。それが、いまでは、夏にクーラーの電源をいれないで日射病で死ぬ老人は本人が悪いと責められる。食べ物だって、贅沢になっている。私の母は、いつも市場が閉じるころに市場にでかけ、きずものの果物を買って来て、腐ったところを切り抜いて、果物好きの私に与えてくれた。ところが、私の子どもたちは、バナナをおサルの食べるものと思っている。

物質的な問題でないとすると、不幸の原因は、現在の日本社会の価値観や人間関係ではないか、と思われる。人と人とは争うものと思い込んでいるのではないか。学歴社会とは、単に高等教育を受けたかでなく、学校に差をつけ、どの学校に入学し卒業したかが、評価になっている。学校で何を学んだかではなくなっている。

世の中はゼロサムゲームではない。椅子取りゲームの世界でないはずだ。働く喜びとは仲間と一緒に仕事ができることではないか。仕事に優劣や貴賤があるはずはない。

不幸の原因が社会の価値観や人間関係にあるとすれば、日本人全体が思い込みを変えれば良いのだが、現在の価値観や人間関係に得する人たち(既得権益者層)が教育や世論を握っているのだと思う。なんとか、教育や世論を健全な方向に変え、まともな政権が東アジアに出現するようにしたいものである。

移民の受け入れに反対しないが、子どもを産みたい、育てたいという社会に日本を変えたい。