今年も私は3日かけて税申告書を書き上げた。
47年前カナダにいたとき、給与生活者を含めてみんなが自分で税申告書を書き上げていた。各自が申告書を書き上げることで、自分がどれだけ国に税を納め、また、どれだけ国の恩恵に受けているか、わかる瞬間であった。
日本に戻り、それから、28年後、会社務めを退職してから、自分で税を申告することを始めた。私は、退職の際にはいった公的年金を通じてなぜか過大に源泉徴収されていることを知った。毎年税の払い戻しを受けている。
自分で税を申告するようになって、もう1つ感じるのは、収入から税が決まる日本の計算式の複雑さである。
収入項目によって控除を受ける計算式がそれぞれあり、それを足し合わせて、控除後の全収入が決まる。そこから、収入項目とは独立ないろいろな名目の控除があり、それを積み上げていく。それを差し引くと、課税対象となる控除後の収入が決まり、計算式に従って税が決まる。これらの計算式にどのような根拠があるのだろうか。
しかし、これでおしまいではない。ここから、いろいろな減税項目や追加税項目がならぶ。これまでは減税項目にお世話になることはなかった。追加税としては、みんなと同じく復興税を納めることになる。これらの追加減税、追加課税は、政治圧力による税の変更の痕であろう。
これらの税制度は、日本固有の世帯主という家族制度のために、さらに複雑になっている。
カナダで税金を申告したとき、このような複雑さがなかった。
去年の衆院選から、国民民主党が103万円の壁と言って、何十年も固定された課税対象となる年収の上限を、物価の上昇に合わせて引き揚げるようを主張した。
私はもっともな主張と思ったが、すんなりと決まらず、けっきょく、政権与党に、はねつけられた。しかし、自民党議員や公明党議員は本当にそれができない理由がわかっていたのだろうか、私は疑う。日本の税が決まる仕組みが複雑すぎる。自民党議員や公明党議員は、103万円の壁を変更するとどうなるのか、わからず、財務官僚に押し切られていただけでなかろうか、と私は考える。彼らは司法書士に自分の税申告書を作ってもらい、自分自身で申告書を書き上げたことがないだろう。
eTaxになると、税の仕組みがコンピュータプログラムに隠蔽され、日本の税の仕組みの複雑怪奇・不公平に人々が気づかなくなる恐れがる。それは大きな問題である。国民は税によって国を支えている。国民はどのように支えているか意識すべきである。
国民民主党の異議申し立て、「103万円の壁」は決してささいなことではない、と私は考える。