青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

母からの手紙

2024-12-14 10:50:15 | 雑記 報告

 

オークション25万円。入札はありませんでした。他の方が出品している同じ作者の別の作品(税込み28万円)をはじめ、別の作者の似たような価格の作品も、どれも討ち死にみたいです。落札成立は5万円前後の作品ばかり。4年前に15万円、27万円だったので強気の40万円、せめて同額の25万円前後を目論んでいたのですが、世の中の経済状況が変わってきているのかも知れません(絶対に欲しい人は、結局2人しかいなかったのかも知れないし)。

 

でもって短期決済の40%引き15万に切り替えました。必要な資金には足りないけれど、背に腹は代えられません。これでもダメだった場合は、

⓵直接古物商に10万円(orそれ以下?)で売る。

⓶お金持ちは20万円ぐらいの出費は余裕と思うので、事情を話してスポンサーになって貰い、お礼としてブロンズ像を差し上げる。問題は、お金持ちを知らない、ということ(-_-;)

⓷(このブログは一昨日書いてアップせずにいたのだけど)昨日、突然に閃いた。受賞作品の出版社に持って行って、ブロンズ像を担保にして、幾許かの資金援助を打診する。で早速今日訪ねてみました。結果は(いろいろとあって)目論見通りに行きそうはないのですが、様々な糸口(今後の仕事とのかかわりなど)は出来そうです。週明けに再訪予定。オークションはそれまで延長。

 

一昨日昨日、終日段ボールの中身をチェックしていました。福岡に16箱を運んだので、残り100箱(と思っていたら更に50箱出てきた)。今夏ジョージが一度部屋のかたづけに行っているので、かなり整理はされているのですが、彼は室内整理のプロフェッショナルなものですから、見事に隙間なく段ボールを収納している。一度引っ張り出すと、元に戻すことが困難です。

 

今年正月に16箱を運んだあと、脊椎狭窄症でのたうち回った状況の再現となりかねません。逆流性食道炎も併発しちゃっています。

 

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とまあ、一日中休みなく段ボール箱の中をひっかきまわし続けていたわけですが、時折手を休めてインターネットのニュースを(斎藤さん関連は当分傍観)チェックしたりしていました。

 

以前も書いた紀州のドンファンの若い奥さんの判決が明日為されるそうです(注:今日無罪の判決が為された)。

 

弁護士は、検察の求刑成立は非常に難しいのではないか(“状況的に彼女が殺したに違いない”というのは証拠にはならない)と言います。この見解には僕も概ね同意しています。

 

異なるところは、弁護士は「黒か白か」「100かゼロか」「無期懲役か無罪か」と言うのですね。僕の見解は少し違います。真実は灰色なのだと思います。「真実(白か黒)が分からなくて灰色」なのではなく、「真実自体が(最初から)灰色」なのです。100でも0でもなく50、有罪か無罪かで言えば無罪、しかし罰は受けねばならない。

 

前に書いたことをもう一度書きます。

 

被告は、殺す気満々だったと思う(なんせ完全犯罪のチェックをしているぐらいですから)。しかし殺してはいない。殺す、とはどういうことか。ナイフやピストルで、あるいは毒を盛って、直接手を下すことですね。

 

被告は、ドンファンに早く死んでほしいと、間違いなく思っていたことでしょう(違っていたら謝らねばなりませんが)。そのために結婚したわけですから(中国や東南アジアの若い女性を嫁にした日本人ジジイの例では、よくあるパターン、というか それがごく一般的な例なんだと思います)。

 

もっとも被告の名誉のために付け加えておくと、いくらジジイとはいえ、結婚までしたからには、それなりの思い入れ、思いやりもあったと思うのです。

 

出来れば早く死んでほしいと思う(一般家庭の夫婦間でも結構ありうるでしょう)ことと、手を下すかどうかということは別問題です。

 

「積極的殺人」と「消極的殺人」。自殺に置き換えても似たようなことが言えるでしょう。晩年の坪内逍遥は、少しづつ睡眠薬の量を増やしていって、「消極的自殺」を完遂した。

 

出来るだけ早く死んでくれることを望んでいて、そのための環境を整える。薬(覚せい剤)を買ってきてほしいと頼まれたとき、シメタ!と思ったに違いないかも知れません。本人の意思で、沢山飲んでくれれば、それに越したことはない。そのための“環境を整える”。これを殺人(殺人幇助)と言えるかどうか(被告は自分でもよくわかっていないかも知れない)。

 

考えてみれば、パワハラとか、(一般の夫婦や家庭内に於ける)様々な精神的圧力も、対象の人物が破滅に向かう“環境”を整えている、と見ることが出来るのかも知れません。

 

もしかすると、誰しもが気が付かないうちに、誰かを死に追いやっている、、、。

 

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最近、こんな夢を見ました。非常に怖い夢でした(これまでに僕が見た怖い夢三指に入るほどの)。

 

夢の中で、突然気が付いたのです。そうだ、僕は誰か(特定できないけれど確かに誰か)を殺した。殺してどこかに埋めた。それも複数人。そのことを突然思い出した。さて、どうすれば良いのだろう?そのことは永い間(たぶん何十年も)知られていない。僕自身忘れてしまっていた。今更どうすることも出来ない。

 

その事実が知られたらどうしよう?何十年も経っている(既に時効?)から大丈夫だとは思うけれど、心配。今までは忘れていたから良いけれど、思い出してしまったからには、このままではいられない。一体、どうすれば良いのだろう?

 

ともかく、怖い夢(漱石「夢十夜」第3夜と全く同じシチュエーション)。なんでまた、こんな夢を見たのか、もちろんのこと思い当たる節など一切ないわけで、目が覚めてとりあえずホッとはするわけだけれど、何とも言えぬ後味の悪さは残ります(ちなみに最近はいろんな意味での後味の悪い夢を見ることが多い)。

 

みんな、知らないうちに、誰かを殺しているのかも知れません。

 

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100箱余の段ボールの中身の大半はゴミ同然なのですが、必要なもの、大事なものが、その中のどこかに紛れ込んでいるのです。それを捨ててしまうわけには行きません。どこに何が入っているか、それをチェックするために、全部をひっくり返すしかないのです。

 

というわけで、丸2日間、寝ているとき以外の18時間×2、とりあえず60箱余のチェックを終えました。幾つか目的があったのですが、そのうちの一つ、屋久島関係の資料は概ね探し当てました。

 

チェックに際しての弊害は、途中本が出てくるとついつい読みふけってしまう、ということがひとつ。それと、以前にも書いたように、半端なく落ち込む、大量のメモや手紙の発掘。

 

前回のブログで、トンボの大先生のお孫さんの話を書いたのだけれど、それは氷山の一角ですね。いやもう我ながら呆れるばかりです。

 

一時期、片っ端から女のコをナンパしていたようなのです。本人にはナンパなどという自覚はない、必至なのです。何しろ、僕ほど女性に縁がなく、可哀そうな男性は他にいないだろう(日本一モテない)と信じ込んでいたわけで、何としてでも彼女を作らねば、と悲壮な覚悟でいたのです。

 

で、とにかく、膨大な量の、女性の名前と連絡先を書いたメモ。客観的に見れば(ナンパ?の)成功率が非常に高いのではないかと思えるほどの半端じゃない数の(数えていないけれど数百人ではきかない?)連絡先のメモ。

 

問題は、じゃあ彼女は作れたのか、というと、信じられない事実に気が付いたのです。必至の思いで連絡先をゲットした好みのタイプの女性、驚いたことに、概ね99%連絡を取っていないのです。

 

手紙を出すのは億劫(というよりも出そうと焦るだけでそのままになってしまっている)、電話に限るわけで、幾人かには電話をしたと思うのですが、留守電だったり、連絡は取れたけれどすぐには会えなかった時には、その時点であっさり諦めてしまっていた。本人としては諦めたという自覚はなく、そのうちに、、、と思っている間に、いつの間にか数十年経ってしまっているのですね。

 

その勿体ない事極まりない「せっかくのチャンスの破棄」は、まだいいのです。僕が相手の連絡先をゲット出来ずに、僕の連絡先を教えておいたパターンが少なからずあります。それらの方から、かなりの割合で手紙を頂いている。いやもう、嬉しいことは嬉しいのですが、ほとんどの場合、返事を出していない(嬉しくて舞い上がっているのにかかわらず、中身はちゃんと読んではいない)。単にぐうたらだと言えばそうなのですが、必死なのと億劫なのが同居して、結局何も進展せずにいるわけです。

 

それでもって、いつまでたっても彼女が出来ず、世界一モテない不幸な男性、と自称している(友子さんの存在があるので、実際は単純な問題ではないのですが)。

 

手紙をくださった数十人の方には、今になってみれば申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分に対しても申し訳ない、というか勿体ないことをした(-_-;)という後悔満載です。

 

当時に戻れるものならば、ちゃんと手紙を読んで、返事を出したいですね。いつか時間的精神的余裕が出来た時、それら全ての手紙をじっくりと読んでみよう、と思っています。今更、なんのお詫びにもならないけれど、せめて、、、、。

 

世界一モテない女性に縁がない不幸な男性と言いながら、数えてみると10人や20人、深く付き合っていた(仲のいい友達、結婚前提いろいろ含めて)相手もいたわけで、どう考えても「世界一モテない」は看板に偽りあり、なのだと思います(でも自分では確かにそう信じていた)。

 

彼女たちに対しては、感謝の気持ちと、後悔の念が満載なのですが、今となっては、どうやって伝えればよいのか、、、それを想うと、結構つらいです。

 

女性に対しては、まあいいのです(良くないですが(-_-;))、世間には、ままある事でしょうし。同性の友人や先輩・後輩・先生方からも、手紙をどっさり頂いている。国内外、いろんなところの、いろんな人々から。不遜にも、それらの方々の手紙に、返事を出していない。いや、かたじけなくは思っているのですよ。やはり出そう出そう気が焦るばかりで、結局出していない。僕の不運は「ブレーンいないこと」と嘆いているわけですが、なに、せっかくのチャンスを自ら逃しているのです。ずいぶん偉い先生方からも手紙を頂いているのに、、、。

 

まあ、そんなわけで、段ポール箱をチェックしていると、気が滅入ることこの上もありません。今更反省しても遅いのですが、今後はきっちり返事を出そうと、決意している次第です*(人間、年取ってからも変身可能と信じています)。

*インターネットを使いだしてからは、メールの返事は全て行うように実行しています。

 

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探していた対象の一つが、紙切れの切れ端に記された、母からの(僅か数文字の)メモ。これは大事にとって置かねばなりません。

 

母が40歳近くになって(ちなみに父親は60歳超で)最初に授かった子供が僕です。母にとっては、宝物のような存在だったことでしょう。しかるに僕にとっての母はひたすら煙たい存在。いちいち干渉されるのが気に障ってたまらなかったのです。心配して東京にも何度か尋ねてきたけれど、箒で追い返したものです、そのくせ、お金だけはせびる。親不孝を絵に書いたようなパターン。

 

けれど、僕には自慢できることがあります(多分以前にも書いた)。母が亡くなる半年ほど前(阪神大震災の後)実家に帰ったとき、生まれて初めて母と話(お金に関係ない四方山話)をして、手押し車で家の近所をぐるっと回って散歩に連れて行ってあげた。母は、どれほど嬉しかったことか。唯一の親孝行に間に合った、それまでの親不孝は帳消し、と勝手に思い込んでる次第です。

(三世と爾夏、モニカと小七・枝々が仲良くしているところを見るたびに、僕自身もハッピーな気持ちになるのです)

 

母が亡くなった後、姪っ子からこんなことを知らされました。弟がひがんでいる。弟は体の弱った母を嫁さんと共に付きっ切りで看病し続け、母に対する愛情を誰よりも注いでいた、然るに、母は自分(弟)のことは顧みずに、毎日毎日(母をほったらかしにしている)兄貴の心配ばかり、亡くなってから出てきたメモにも、自分のことは何一つ書かれていず、兄貴のことばかり、、、、なんて理不尽な、と。

 

母は無学で(四国の田舎出身)字がほとんど書けなかった。僕に手紙を寄こすとき(概ねお金の無心に対して)近所に住む親族のおばさんに代筆してもらって(若い時に所持していた着物とか櫛とか指輪とかを売って)お金を送ってくれていた。

 

いつもは、達筆な親族の叔母さんの代筆です。ただ、ある一通の手紙の中に、母自身が書いたメモが紛れ込んでいた。おそらく、代筆による「お金の工面は出来ない」と書いた手紙をポストに入れに行く際に、とっさに手持ちのお金を同封したことを知らせるメモ。

 

 

 

 

 

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面白い手紙も見つけました。

 

姪っ子と甥っ子(ずいぶん可愛がっていたのですよ、もう何十年も会っていないですが)からの手紙。甥っ子からの手紙の住所の表書き、よくまあ届いたものです。郵便局員の心意気には頭が下がります。

 

 

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あと2つ写真を紹介しておきます。

 

前回のブログで記した、1964年の北八ツ雨池に於ける、曽根原先生からの写真も出てきました。左から高木君、西山君。右端のチャラいのが僕です。曽根原先生も写っています。写真を見る限り、好みの子はいないですね(笑)。女子高の先生と仲良くしとけば、今後可愛い女の子と友達になれるかも、という魂胆だったと思います(前回記したように返事は出しそびれた)。

 

 

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僕には有名人の知人・友人は、ほとんどいません。唯一、世田谷在住時代の有名人知人が、近所に住む北杜夫さん(ドイツの音楽家Bert Kaempfertと並ぶ僕の神様)。

 

暑中見舞いと年賀は、ずっとやり取りしていて、頂いたはがきは何処かに纏めてあるはずなのですが、何故か手許に見当たらない。今回一枚だけ出てきました。学識豊かで才能に溢れた氏ではありますが、無学な母や、幼少の甥っ子と良い勝負の、難解極まりない筆跡です。誰か解読してくださる方はいないでしょうか(担当編集者は解読出来ていたのでしょうね)。

 

 

 

 

 

 

 

 

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