青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

忘備禄(?)

2018-04-22 19:45:39 | その他

「夢」というのは眠っているときに見るものだと思っていたのだけれど、最近、普段起きているとき(ちょっとボヤッとしているとき)にも、突然、全く何の脈絡もない情景が、現れたりします。

さっきは、エレべーターに何故かマライア・キャリー(笑)が一緒に乗っていて、ドアが開いて僕は普通に外に出たのだけれど、マライアはもたもたしていてなかなか出てこない、という、、、、。

夢ならばいかにもありそう(?)な“完璧無関係性”ですが、普段の意識の中にそんなのが現れるのは、いよいよ頭がヤバイのかも知れません。と同時に、何か「人間の意識」(夢とは何か?)についての重要な真実が示唆されているような気もします。

明日は、頭のCTスキャンを撮りに病院に行く予定。大きな問題がなければ(いわば蓄膿の親玉のような状況でしょうし)フィールドに出ます。何か大きな問題(3年前から日本の複数の病院で宣告されている「すぐ手術を行え」と言ったような)があれば、その時に考えます(モニカに判断してもらう)。

ここんところ、終日ネットニュースのつまんない記事ばかり見ていて、そのうえ自分のブログにどうでも良さそうなことを書き連ねているわけで、自分でも情けなくなってきます。

「現代ビジネス」記事のリライト(次回のアップはたぶん2~3日後)、「野生アジサイ」2000頁分の記事と写真の纏め、、、やらなきゃなんないことは山ほどあるというのに、、、。
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「私信」からの転載

2018-04-22 18:49:20 | その他
ギフチョウの季節です。この春、ギフチョウ研究に生涯を捧げた、偉大な方が無くなりました。原聖樹氏(享年76)。僕にとっては、恩人中の恩人であります。恩返しが出来ずに、忸怩たる思いでいます。

大昔の事です(かれこれ40年余り前)。「ギフチョウ」に関しての三人のオーソリティが、ある雑誌で座談会を行いました。原聖樹氏、海野和男氏(昆虫写真家)、奥山ひさし氏(児童挿絵画家)、、、。「オーソリティ」と言っても、今思えば当時皆30歳前後。でもその頃の僕にとっては、雲の上の存在でした。その後三人とも僕と深い関りが出来て、個人的にもごく親しくして頂き、原、海野両氏とは、それぞれ僕との共著があります。奥山氏には自著に寄稿を頂いています。

この鼎談が面白かったのは、三人の議論がまるで噛み合わなかったこと(笑)。原氏と海野氏は大学(当時の東京農工大)の先輩後輩で、同じ学部で薫陶を受け、卒業後は、原氏は公務員(神奈川県養蚕センター)として研究活動を行い、海野氏はフリーの昆虫カメラマンとして名を上げます。

奥山氏は両氏とは立場が全く異なり、当時は「ちばてつやプロダクション」に所属していました(その縁で原氏や海野氏とは別方向から僕との関りがあった)。

基本的な知識や思想は、僕、海野氏、原氏の3人の間で、ほとんど全く差はありません。原則として同分野(科学畑)に所属しています。一方、奥山氏は、典型的なポピュリスト。いわゆる一般人、大衆の代表です。

議論のテーマは「ギフチョを絶滅から防ぐために我々は何をすれば良いのか?」。

奥山氏は、生物学とは無縁の「大衆」の側の考えですから、「人が育てて増やして現地に放つ」ことで絶滅の危機から救おう、という意見。「異なる血筋の集団が混じるとダメというのは科学者のエゴであって、蝶自体にとってはどうでも良いこと」という、我々(原氏や海野氏や僕)からすれば、とんでもない見解を、何の疑いも持たず発言し続けます。いわゆる(事実を深く追求することのない)「善人」ですね。「人為的な増殖」が、自然破壊の(ひいては種の絶滅に至る)最大の要因となることを、これっぽっちも理解していないわけです。「可愛いから」「可哀そうだから」、、、と、ペットや園芸植物に対してと同じ意識で自然に接しているわけです(といって、そのことを「悪」であると否定は出来ません)。

勿論の事、原、海野両氏と、奥山氏の考えは、永遠に交差することはないでしょう。一般の人にとっては理解し難いことかも知れませんが、分かる人にとっては、余りに解り易いシチュエーションです。

問題は、原氏と海野氏の間に、(先に言っておけば、僕自身はある部分では海野氏に非常に近く、ある部分では原氏に非常に近い)極めて大きな思想上の(というよりも観念的な)「溝」があること。

ここまで書いてきて、ちょっと困っています。そのことを、(僕自身、それこそ「観念的」には極めて良く分かっているとしても、他者に示すため具体的に)どう書き表せば良いのか?

両者の「人」としての(あるいは科学に携わる人間としての)「資質」が、全く異なるのですね。もちろん、どちらが良い悪い、という話ではありません。

海野氏は、聡明で、深い洞察力と直観性に基づく近代的な考えを持ち得ています。師の日高敏孝氏に繋がる、一般の人々に対しての表現力も極めて優れています。そして、悪く言えば世渡りが上手、良く言えば広い心を持った(社交性に富んだ)人です。

一方、原さんは、いわばドンくさく、「近代的」とか「社交性」とかには、全く縁のない人です。

自らの観察記録や、データの集積量が半端でない。常人離れした行動力と知識を持ち合わしているため、その著作も、ときに話があちこちに飛んで、一般の人には、何を言おうとしているのかわからない、と受け取られて仕舞いかねないようなところがあります(その点、僕と似ている部分がありますが、スケールが100倍違う!)

えーと、言いたいことがうまく言えません。もどかしいです。

ギフチョウの保護に対しての、科学的な基盤は、原さんと海野さんの間で共通している、と思うのですが、ギフチョウをはじめとした野生生物に対する「情念」の在り方のようなものが、微妙に、かつ決定的に違っている。

海野さんのほうが、聴衆を納得させる術をずっと良く知っているのですね。(海野さんの場合は自らそのことを自覚したうえで振舞っているので心配は無いと思うけれど)自らの振舞い(大衆を納得させる技術に長けていること)に気付かず「正論」を吐く研究者たちが少なからずいることには、大きな懸念を感じます。

日本の絶滅危惧の蝶として、ギフチョウとともに真っ先に名の上がる「オガサワラシジミ」。復帰50周年の今年は、僕にとってはオガサワラシジミを調べに小笠原に通い始めてから42年目の年でもあります。

東京大学の某教授、東京新聞の某記者らが、「オガサワラシジミを飼育して再放蝶し、絶滅から守る」という暴挙(あえてそう言います)を計画しています。絶対に阻止しなくてはなりません。

*注1:この文章は、友人のU氏に宛てた「私信」です。個人的通信にしておくのは勿体ない(原聖樹氏のことを多くの人に伝えたい)と思い、ブログに載せることにしました(「私信」のまま、一字一句変えていない)。40年以上前の鼎談の話などには、かなり思い込みの部分が入っているかの知れません。そのほか、三氏に対して失礼な記述があるかも知れないけれど、大袈裟に(いわばジョークで)表した部分もあります。お許し頂だければ幸いです。

*注2:原さんには、多額の借金が未返済のままです。辛いです(海野さんにも少額の借金があるので返さねばならない、どうか元気でいてください)。

*注3:もう一人のギフチョウ研究第一人者「日浦勇」氏については、以前のブログに書いたことがあるので、見つけることが出来れば、それを読んでください。

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注:

2018-04-21 02:06:14 | その他
なにか、訳の分からない本の広告が張り付いていますが、一切無視してください(僕とは正反対の思想の持主のようなので)。
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安倍でも加計でも森友でもない、、、誰も気付かない「最悪の存在」について語ろう(その2)。

2018-04-21 01:44:03 | その他


ギリシャのChiekoさんと連日メールの遣り取りをしているのですが、今日の(何度目かの)返信文章には関心してしまいました。洞察力と表現力が備わっていて、なかなかの文才です。

>アフリカとかの恵まれない人に募金はしても、おにぎり食べたいって書き残して死んでいく日本人は助けないですからね。東日本大震災に関しても偽善と嘘にまみれてると思います。

◆◆

僕は、自称「左」で、(思想的には)朝日新聞の味方なのですが、、、。

『なんで俺が辞めなきゃならないんだ、辞任なんてしないよ!』 麻生財務大臣

『セクハラ許せまじ!ミー・トゥ(合唱)』 野党議員

この画像を見ていて、(不謹慎にも)圧倒的にアソウさんのほうがカッコいいと思ってしまった。

◆◆◆

「政治」と「お相撲」について。誰が一番悪いのか? とりあえずの僕の答え。アベやアソウでも、貴乃花でも、官僚でも、相撲協会でも、マスコミでも、もちろん、野党でも、モンゴル勢でもなく、「国民」です。

そう思う理由は、追々説明していく予定。

◆◆◆◆

チエちゃんのブログと記事を改めて紹介しておきます。

ブログ 
ギリシャのエーゲ海の島に移住!ゲストハウスしたり猫と戯れて適当に生きています!


記事 
日常会話で重宝するギリシャ語フレーズ50選!ローカルも爆笑する面白フレーズ付








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安倍でも加計でも森友でもない、、、誰も気付かない「最悪の存在」について語ろう。

2018-04-14 18:19:58 | その他
安倍でも加計でも森友でもない、、、誰も気付かない「最悪の存在」について語ろう。

今回の項は、非常に長くなりそうです。体調に鑑み、断片的に少しづつ(支離滅裂に、、、本人は繋がっていると信じているのですが、笑)書き継いでいくことにします。



まずは、現状報告から。

体調は非常に悪いです。殊に午後になると、頭が割れそう(といっても痛いわけではない)というか、吐き気を伴った何ともいえぬ状況に陥ります。意識が無くなりかけ、卒倒寸前(どちらか側に体が傾く)になります。無論、5年前のドングリ事件の後遺症です。早い話、蓄膿のグレイドアップ版といって良いのでかも知れません。

医者からは、一刻も早く手術するように、とは言われていますが、命に係わると宣言されているわけでもない(失明の可能性、内臓への影響は指摘されていますが)ですし、今の僕に保険のきかない手術費など捻出できる訳がありません(仮に出来たとしても手術には乗り気でない)。

そんなわけで、倒れたら、そのまま寝てしまうことにしています。今のところ何とか生き延びているのです。

僕の(チョウや野生生物の)シーズンに入りました。フィールドに出向かわないわけにもいきません。でも、こんな状態で大丈夫しょうか? 自分でも判断が出来ない。一日数10km山道を歩く自信はあります。といって、そのあとで倒れて取り返しがつかなくなってしまう事態も十分考えられる(その可能性は極めて高い)。

モニカからは「アジサイの纏めを早く完成させるように」という指令が来る。コツコツと進めているのですが、1000頁を請えてしまいそうで、客観的に考えれば、あと1年はかかるでしょう。それを6月までに終わらせろ、と。まず日本語で完成し、それを僕自身が英訳し、モニカが中国語訳する。その後どうするのかは知りません(笑)。とにかく完成さえしておけば、僕がいなくなっても何らかの利用は出来るでしょう。

アメリカンポップス「ジョニー・ティロットソンの時代」のほうはどうした?とも度々指摘されます。「早く刊行しないとファンクラブの会長さんに悪いではないか」と。でも、原稿が壊れたハード・ディスクの中に収納されていて、すでに修復は終えているのですが、それを受け取るには8万円近くを支払わねばならない。こちらも今の僕には到底無理です。

とりあえず、一昨日モニカの田舎に行って、畑の奥の山道を歩いてきました。意識朦朧のままだったので、どんな植物が生えていたのかもほとんど覚えていない。蝶はほとんどといなかった。目的のイプティマは結構飛んでいたのだけれど全く止まらない。ごく稀に止まってもすぐに翅を開いて、チェックが必要な翅裏を見ることが出来ない。季節(個体の日齢)、時間帯、気象条件、微環境などにより、取る行動が違うので、仕方がないです。何よりも補虫網を忘れてきてしまったので、サンプルも採れない(さすがに飛んでるのを手掴みは無理)。

前回(冬)山道で出会った野生のアキノノゲシも、畑の脇に生えていた苦麦菜も、完全に枯れていて(株自体が見当たらなかった)今回はチェックできませんでした。そのかわり、拠点としていた翁源の街中のホテルの向かいの道路沿いの狭い畑?で、油麦菜の花を見つけました。

これまで(アキノノゲシと同じと思われる)苦麦菜の花は、至る所で出会ったのだけれど、油麦菜の花を見かけることはなかった。何のことはない、咲く時期が違っていただけなのです。苦麦菜の花期の晩夏~冬は、僕が対象とする野生生物のシーズンオフなので、チェックが行き届いていたのだけれど、シーズン真っただ中の春~初夏には目を向ける機会が少なかった。むろん、大抵は花が咲く前に花茎が切り取られてしまう、というのが最大の理由には違いないでしょうが、、、。

レタスと油麦菜の頭花や種子が、同じの形状をしていることを改めて確認出来たのです。そのことは、これまでの諸々の分析から分かってはいたのですが、実際に確認できたことは大収穫だと思います(最初に取り組み始めてから、なんと20年近くかかったわけです)。

無論、これが結論ではなく、油麦菜・苦麦菜の物語(アキノノゲシやアレチヂシャを含むレタス属植物の東アジアにおける野菜化の試みについての考察)は、やっとスタートラインに立ったということです。

★★

そのあと、部屋に帰ってネットニュースをチェックしたら、嬉しい記事に出会いました。プロ野球「世代別ベスト9」というのが毎日アップされていて(同一の生まれ年を「同世代」と表現することに違和感を覚えると、以前書いたことがあるのですが、それはともかく)いつも楽しみにチェックしているのです。

昨日は、1944年(1944.4.2~1945.4.1)生まれの最強メンバー。サブタイトルは「心優しき豪傑たち~豪傑ぞろいの世代ではあるが、どこか人情味を感じさせる男たちが並んでいる」。

三塁手に島谷金二が選ばれています。

執筆者のコメント。「三塁にいる島谷金二も、たびたび打撃タイトルを争っては無冠に終わり、それでもチーム打撃を徹底した不器用な好漢。」素晴らしい紹介のされ方ですね。島谷氏本人に代り(笑)感謝の気持ちを執筆者に伝えたいほどです。

【1944年生まれのベストナイン】(1944年4月2日~45年4月1日生まれ)

投手 尾崎行雄(東映)
[控え:高橋直樹(東映ほか)、山下律夫(大洋ほか)、安仁屋宗八(広島ほか)、村上雅則(南海ほか)、白石静雄(広島ほか)]

捕手 木俣達彦(中日)[控え:村上公康(ロッテほか)]

一塁手 大杉勝男(東映ほか)

二塁手 大下剛史(東映ほか)

三塁手 島谷金二(中日ほか)

遊撃手 東条文博(ヤクルトほか)

外野手 竹之内雅史(西鉄ほか)
    井上弘昭(中日ほか)
    長谷川一夫(大毎ほか)

指名打者 高井保弘(阪急)[控え:伊勢孝夫(近鉄ほか)]

「実在するチームのような投打のバランスだ。現役時代は巨人のV9と重なる選手ばかりだが、その巨人でプレーした選手が1人もいない(青山注:高橋直樹は後年巨人でプレーした)のも隠れた特徴と言える。判官びいきのファンからの人気も集めそうだ。」という執筆者のコメントで締めくくられています。

投稿されたコメントも(全体数は少ないのですが)どれも好意的です。

「木俣、島谷、井上、、、なんと個性的なんだ」

「この世代も強いぞ!かなり強力だ。投打がしっかりと噛み合う世代だな。」

「いいメンツばっかり!たまらんね!!!」

とにかく、この年(学年)生まれのメンバーは、実に素朴で魅力的な実力者揃い。終戦時に一歳になるかならないかの年齢、戦前と戦後のはざまです。偶然かも知れないけれど、そのことも何らかの関連性を持つのかも知れません。

大衆の「空気」によって作られた「虚像」とは無縁の選手ばかり。100勝、1000本安打到達者は多いのですが、200勝、2000本安打は(大杉以外に)いない。タイトルにも無縁の選手が多く、巨人在籍者もほとんどいません。

目立った記録やタイトルに基づくポピュリズム的評価の、アンチテーゼの集大成であるようにも思えます。

★★★

さて、野球と言えば、もちろん大谷翔平です。

片っ端から常識を覆していきます。

常識への挑戦が成される為の2つの条件。「誰も持ち得ない圧倒的な能力を持っていること」「挑戦する揺るぎない意思」。常識は「空気」という巨大な壁に守られているわけですから、上の2つの要素がよほど堅固に備わっていないと、突破することが出来ません。

先駆者である野茂英雄は、失敗していれば(日本社会では)「裏切者」としてしか捉えられなかったでしょう。圧倒的な「実力」でもって信念を貫き通したのです。野茂の未曾有の活躍は、どんな政治家や実業家や国際学者や評論家よりも、アメリカ社会に向けてのインパクトを成し、日本とアメリカの距離を近づけたのだと思います。

ちなみに、今回の「現代ビジネス」のサクラの記事に、こんなコメントを見つけました。

>時間軸をしっかり捉えれば、明治期の日本人にとってソメイヨシノの日本の桜の風景は、当時最新の感動的な風景だったことになる。植樹は国内各地はもとより、国を越えて広がっていったわけだが、それは日本の代表的な花だからではなく「日本が産み出した新品種ならではのこれまでにない新しい風景」だったからだと思う。

ほとんどのコメントが、サクラ(ソメイヨシノ)に日本の「侘び寂び粋」を重ね合わせて捉えているのに対し、なるほど、この(正反対ともいえる)視点は面白いですね。

大谷の存在は、単に一スポーツとしての革命(野茂はそれを成し遂げた)のみならず、社会の革命に値すると思います。少なくても(野球が国技の、またはそれに準じる)アメリカとに日本に於いては、彼の出現は、人々の常識を根底から覆す、歴史的な事件と言って良いでしょう。

日本から世界に向けて齎らされた、常識を遥かに超えた信じ難いようなパフォーマンス。なにしろ、比較対象が100年前のベーブ・ルース(ある意味「アメリカの象徴」)しか存在しないという。日本人にとっても、人類にとっても、(皆が考えている以上の)エポックメイキングな出来事だと思うのです。

(具体的な見解は、最後に、あるいは項を改めて述べます、、、哲学的な話にさえ成ってしまいそうです)。

★★★★

ところで、「サクラ」の記事、思ったよりも反応があったのではないでしょうか?

編集U氏は、大人気・大成功と言ってくれるのですが、大半が「日本文化の賛美」および「嫌中韓」に基づく、(僕の意図を全く理解していない)勘違いによる賛同です。

多かった(ヤフーニュースの)コメントが「タイトルと内容が異なる」「理由」の答えが出ていない、との指摘(笑)。相変わらず「答」を示されないと納得しない(自分では考えない)という、日本人の面目躍如たる思考方向。もとよりタイトルは編集部が勝手に付けたもので、僕の預かり知らぬところなのですが(笑)。いずれにしても、無視をしましょう。

「文化の側面の紹介が抜けている」という指摘も少なからずありました。「日本の“侘び寂び粋”の文化は素晴らしい」(僕もそれ自体は否定しません)。「中韓の連中に分かるわけがない」(一応僕もそう思います)。「サクラの“起源”など、どうでも良い、サクラ文化を育てあげた日本の背景について、もっと詳しく述べるべきだ」。等々。

ソメイヨシノをはじめとする「桜」の文化が、日本人の作り出した「日本の素晴らしい文化」であることは、僕も全面的に同意します。でも、その実態や、そこに至る日本人の歴史感(侘び寂び粋など)については、(腹がいっぱいになるほど)数多くのメディアで紹介されています。

僕は「起源」を述べようとしているのです。僕の仕事は、人間とは関りのない永劫の昔(日本人とか韓国人とか中国とかが現れるよりもずっと前)から生を続けてきた「野生のサクラ」の、日本や東アジアでの実態を探ることです。そのことが、夫々の民族の文化の成立を照らし出すことにも繋がると思っています。

「日本人の作り出した歴史観や文化を知ることだけが尊く、その基となった野性植物との関系を探ることなどはどうでも良いこと」というのなら、そんな「文化」はロクでもない文化です。

僕は、日本の文化「侘び寂び粋など」それ自体を否定しているわけではありません。心底、誇りに思っています。

例えば(昨日のネットニュースにもあった)刺身や寿司の(危険性の)話題。考えてみれば、生の魚を食べる、これほど危険な行為はないです。日本の文化は、それを可能にしてみせているのです。これは凄いことですよ。「0から1」を作り出す、チャレンジ精神や大胆な思いっきりとはまた違った、細い糸に沿い渡り進むような、細心の心構えの上に成り立った、職人の技です。

寿司を素手で握るのは、衛生上の問題で疑問を感じる人もいるかも知れません。しかしそれは「本来なら危険な生の魚を安全に食べる」という、限りなくデリケートな文化の中に、セットとして成り立っているのです。

海外のように、ビニールの手袋をはめて寿司を握る姿は、確かに一見清潔に感じるでしょうが、(その安心感ゆえに)トータルな次元での大事な部分を見過ごすことに繋がるように思います。

これも昨日のネットニュース。新幹線の運転手が居眠りをしてホームを20mオーバーしてしまった。車掌が
気付いて、間一髪ブレーキをかけて停車した。記事にもあるように、一体となった危機管理、これが日本の素晴らしいところだと思います。

コメントには、運転手とか車掌とかは時代遅れ、全部AIに任せておけば事故が起こらない、と言ったような意見も少なからず寄せられています。理論上はそうかも知れないでしょう。いずれ、どのような対象に於いても、AIの手を借りることが必用になる時代が来るでしょう。しかし、どのような場合でも、基本は人間の責任の上で為されねばなりません。AIに任せっきりでは、絶対に破綻を来たしてしまいます。

ということで、日本人の、勤勉さ、連帯感、細心さ(粋の追及)等々、僕だって自慢しているのです(とてもお隣の国々には無理、笑)。

しかし、世界レベルで、その文化は通用するのでしょうか? 日本独自の文化として素晴らしいのであって、
別の文化にそれを求めてはならないと思います。お互いに、長所も欠点も、大いにあるのです。

★★★★★

中国にいると、一日に100回ぐらい(笑)ブチ切れそうになります。まあ、どれほど滅茶苦茶な国なのかは、長期間住んでみた人でないと分からないでしょう。

異次元と言ってさえよい超近代的な構造が、出鱈目なまま作り上げられているのです。あらゆるシステムが正常に機能しないまま、猛スピードで進んでいきます。

なぜ、これほどまでに異なる文化が、隣り合った国で成り立っているのでしょうか?

日本人は、サクラ(ソメイヨシノ)の木を丹精に心を込めて育て上げ、ルールに沿って皆で楽しく鑑賞します。

一方、中国人は、そのようなデリカシーは全く持ち合わせていない。だから日本のような見事なサクラの品種(ソメイヨシノ)も作れなかったし、人(日本人)が作った美しい花の枝を、平気で折ったり散らかしたりします。

どちらが正しくて、どちらが間違っているのか。美しい日本と、醜い中韓。

日本人でなくたって、疑いもなく前者を支持をしたいところですが、光の当て方を変えてみたならば、必ずしも前者が正しいとは言えない。

マナーに沿って、デリカシーに満ちた愛情を込めて、サクラを大事に育んできた日本人の姿勢、その全てが、本当に正しいのでしょうか?

一切の先入観、付加概念を取り去って、根本的な次元から考えてみたいのです。

具体的には、6月ごろ「アジサイ」の項目で、そのあたりの話題を軸に述べていきます

★★★★★★

モリカケに移ります。

まず安倍から。人を呼び捨てにするのは良くないこと(スポーツ選手などは除く)ですが、こいつは心底嫌いです(明恵夫人はまだマシ、貴乃花親方も安倍よりは可愛げがあります)。

僕は、以前は典型的なノンポリだったのですが、今は違います。紛い無き左です。といって、右の人を、全て否定しているわけではありません。思想と人間性は別問題です。でも、こいつの胡散臭さは、記事や画面から漂ってくる“匂い”で分かるのです(笑)。

兎にも角にも、安倍さんが大嫌いです。第一次政権の時からです

でも、今突如として、安倍ディスリの大合唱が始まったようですね。にわか安倍否定論者に対し、筋金入りの安倍嫌いで、この安倍嫌い分野(笑)での第一人者だと自負している僕としては、なんだかなあ、、、という思いもあります。

ということで、ネットニュースのコメント欄は、安倍批判で溢れている(空気に流されるのがネトウヨの特質)のですが、信念を変えない筋金入りのネトウヨもいるようなのですね。「それでも安倍さんを応援する」「些細な嘘を言って何が悪い」「日本は安倍さんなしでは成り立たない」。心意気だけは関心します。

ちょうど、宇都宮さんが都知事選に出た(そして左陣営の“大人の事情”で撤退した)とき、あるいは「排除された」枝野さんが民進党と袂を別ったとき、ネトウヨの一部からは「敵だけれど(思想は全く受け入れられないけれど)あっぱれ」という声が聞こえてきました。その裏返しです(ずっと次元は低いような気がするけれど)。

この後、安倍ディスり、貴乃花ディスり、大谷賛歌の順で、述べていく予定です。「ジョニー・ティロットソンの時代~涙くんさよならの謎」「日本とアジアの生物地理~有用生物の原型は何故日本で作り出せないのか?」にも言及したいのですが、とてもそんな時間はありません(1年や2年では終わらなくなる、笑)。

ただ読者の方に分かって貰いたいのは、今書こうとしている内容(安倍+貴乃花)と、それらの話も、僕の中では全部(油麦菜の花も島谷金二も大谷翔平も)一貫した流れで繋がっていると言うこと(うまく伝えられる自信はありませんが)。

★★★★★★★

とりあえずは、安倍と貴乃花親方です。

貴乃花=安倍

相撲協会=官僚

モンゴル勢=野党

以上の組み合わせは、自信を持って言い切っておきます。

世間は、勘違いしているようです(そのため「貴乃花問題」では、いわゆる捻じれ現象が起こっている)。

貴乃花親方は、革新派でもリベラルでもありません。彼の本質は、超々保守です。安倍や日本会議の連中も真っ青になるほどの、遥か彼方の(飛んじゃっている)右です。桜井某氏とかと良い勝負だと思います。それについては、また明日。

「ポピュリズム」と「カウンターカルチャー」は、実は同義語なんですね。「エルヴィスとビートルズの狭間で~ジョニー・ティロットソンの時代」は、そのことを書いているのです。

★★★★★★★★

別のところ(連載を予定している別出版社からのネットコラム)で、こんな話を書きました。まだ発表していないのですが、詳しくはそれを読んでください(あるいはこのブログで記すことになるかも知れない)。

僕が、屋久島を最初に訪れた50年以上前のこと。鹿児島市内の旅館で、「島」出身者に対する差別に直面しました。差別を(東京をスタート地点にして)「上」から順送りに、繰り返していくのです。その、日本でのドン詰まりが「沖永良部島」(僕自身は、日本で最高に素晴らしい地だと思っています)、、、と言う話です。

似たような話です。

まず、“最下位”の立場にある森友が「悪人」としてスケープゴートとされます。次いで「明恵」バッシング。「官僚」を経て、今「加計」に到達しようとしているところです。間もなく“波”は本丸の「安倍」に襲い掛かるはずです。

これらの連中は、皆同じ穴のムジナ(日本会議メンバー)です。綻びが見つかったことから、順繰りに弱い者いじめ、責任の擦り合いをしているだけ。実は、仲間内の揉め事なのです。昔流行ったらしい左翼の総括とやらと、何ら変わりません。

見失ってはいけないのは、この一連の問題の本質はどこにあるのか?と言うこと。皆の共通項は?そして、最大の「悪者」は誰か?

次回に続きます。
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読者の皆様へのお願い~四川雅安地震被災地への援助

2013-04-25 01:47:45 | その他

『朝と夜の狭間で~My Sentimental Journey』の再開第2回は、
「アメリカのテロとイスラム、北朝鮮、日中関係、頻発する日本各地の地震と再び起こった四川地震、、、、」という表題で進めて行く予定でいたのですが、その前に読者の皆様へお願いがあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アカウントが停止されたインターネットを回復するため、とんぼ帰りで日本に帰ってきています。地震はその間に起こりました。28日に中国に戻ります。往復チケットを持っているため中国に戻る費用関しては心配ありません。

しかし、今回のアクシデントのために、20万円以上の想定外の予算がかかってしまいました。現在、無一文です。昆明に戻れば、無一文でもモニカが食べさせてくれる(情けない!)し、5月末からは週一回の新聞連載が始まるのでその頃には少し余裕が出来るでしょうが、それまでは身動きが取れない。

四川雅江地震の震源地、宝興川流域は、僕のメインフィールドのひとつです。沢山の友人がいます。心配でなりません。ことに、随分とお世話になった、「東拉物語」の子供たちのことが、、、、。中国に戻り次第、食料などを持って、被災地を訪ねたいのです。

僕は、大規模自然災害が起こった際にボランティア活動を行う人々に対しては、懐疑的です。だから、出身地の神戸(阪神淡路)のときも、そのあとに起こった、台湾中部(プーリー)地震のときも、雲南麗江の地震のときも、前回の四川(汶川)大震災のときも、いずれも直前までフィールドにしていた、僕にとっては特別な場所ではあるのですが、暫くは赴くことをしませんでした(まあ、助けに行きたくても、予算が無くてどうしようにも無かったのですけれど、、、)。

でも、今回ばかりは、そうもいかない。何が何でも、現地に赴こうと考えています。

そこで皆さんにお願いします。どんな小額でも構いません。食料や衣料などの購入、および現地での活動費用のためのカンパを望んでいます。

28日にホンコン、一度雲南にもどり、資金が確保出来次第、すぐに四川に向かおうと思っています。

芦山から宝興に至る、断崖絶壁の道路は、地震による崩壊と、交通渋滞のより、通行が困難と思われますが、雅安から歩いて行く覚悟です。

物資は必ず、子供たちの元に届けます。そして、現場に到達するまでの経過報告や、現地の状況の報告を随時行っていきます。カンパを頂いた方々には、以前震源地周辺で撮影した、様々な植物や昆虫や風景の写真原版を贈呈致します。

(連絡の方法と、口座番号などは、写真の追加とともに明日改めてアップする予定)

☆カンパ振込先口座

口座(国際キャッシュカード)
三井住友銀行 大船支店 普通口座 6981197 青山潤三

☆振り込んでいただいた方は、

氏名

振込金額

振り込んだ日付

を記載して、下記のアドレスにメール送信してください。


お礼の写真を送らせていただきたいと思います。


メールアドレス  jaoyama10☆yahoo.co.jp (☆をアットマークに)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2010年秋に43回連載した「東拉物語」を再掲載します。
(写真は明日追加予定)

【『東拉紀行』の前のシリーズの最終回のコメント】

、、、、この塔公の辺りから、おおむね西~西北方面(理塘など)にかけて、急峻な地形の東~東南方面とは対照的に、地形がフラットになります(標高3500~4500m)。そして、その一帯が、純粋なチベット民族の居住地と重なります。

急峻な地形の東~東南方面(康定など)は、本来はチベット族居住地であった地域に、漢民族文化が押し寄せていると言うのが現状。

さらにその東の、標高5000mから500m(四川盆地)に切れ落ちる森林に覆われた“グリーンベルト”(=“龍門山断層”)周縁が、漢民族文化圏の末端(チベット的な要素が混在)です。大地震や大洪水など、しばしば大規模な災害に見舞われるのも、この地域。

次回からは、その漢民族文化圏末端の町・宝興の、さらにそのまた奥の集落の紹介を予定しています。

繰り返し言うように、僕は人間の文化や歴史には全く興味がありません。人間が住むようになる時代よりも遥かな昔から、これらの地に息づいている野生の生物たちの“成り立ち”に、興味を持って調べているのです。ところが面白いことに、たかだか数千年の人間の歴史と、数100万年に及ぶ生物の種の歴史の構造が、見事にオーバーラップする。例えばカラスアゲハの系統関係にしろ、野生アジサイの系統関係にしろ、上に記したチベット族と漢民族の相関性と、極めて似ているのです。その辺りの“秘密”を探っていきたい、と言うのが、僕の夢でもあります。


【東拉紀行2010.7.6 ①】

東拉大渓谷のある宝興県は、日本ではどのくらい報道されているか分からないけれど、8月17日から21日にかけての、豪雨災害の中心地の一角でもあります。昨8月21日に再々訪する予定で、入口の雅安まで行っていたのですが、道路が決壊していたため、訪れることが出来ませんでした。

↓写真は21日。宝興行きの雅安のバスターミナルで。

宝興県には、今夏、何度か訪れていて、その紹介(宝興の町、宝興江北端の集落Qyao-qi、四姑娘山に抜ける途中の来金山の峠周辺の、昆虫や植物や風俗など)を、「雅安・バス待ちの間に見た蝶」に続きシリーズとして紹介して行くつもりでいました(予定稿も出来上がっています)。しかし、ブログには未掲載のまま。したがって、順序が逆になりますが、後になって訪れた(8月7日-10日)、宝興の町からqyao-qi-来金山に向かう渓谷とは反対側の、龍東-東拉大渓谷入口への紀行を紹介して行きます。

↓宝興の町。


↓砕石場から次々と巨大な石が運ばれてきます。

↓川向うにカラスアゲハの探索に。

↓川向うから見た町並み。


【東拉紀行2010.7.6 ②】

↓龍東への包車。中国の男性は、いつもお腹を出しています。


↓川で何を拾っているのでしょう?


↓流木の切れ端のようですね。


↓途中、ミンミンゼミの群がり鳴くニレ?並木が(一本の木の2mの高さまでに12頭=全て♂)が。


【東拉紀行2010.7.6 ③】

↓龍東の町。
↓左の谷が、東拉山大渓谷への道です。
↓町のホテルに泊まると公安がやって来て僕の写真を撮りまくります。
↓東拉大渓谷の方向を部屋の窓越しに望む。


【東拉紀行 2010.8.7 ①】

↓ 10㎞ぐらいは歩いても平気。
↓ 村と言っても道沿いには数軒の民家しか見当たりません。
↓ 約5㎞地点。
↓数軒のうちのひとつ(右側に建物がある)、民宿も兼ねている?


【東拉紀行 2010.8.7 ②】

↓ 谷が2つに分かれていたので人気(ひとけ)のない右の谷へ。
↓ 気持ちの良い清流。ここで3日間カラスアゲハの探索を。
↓ パンとボトルウオーターで遅めの食事。
↓畑のおじさん。草帽子がカッコいい!


【東拉紀行 2010.8.7 ③】

はじめに

標高200~700mの、漢民族の手で開発され尽くしたと言っても良い沖積平原・四川盆地と、標高4000~5000m超の、荒漠たるチベット高原の境界に、例の大地震を引き起こした龍門山断層が、四川盆地の縁に沿って斜めに走っています。中国で最も豊かな植生を擁する、奇跡の“緑の回廊・グリーンベルト”です。

中国西南部の大都市・成都の西約80㎞の地点に、西嶺雪山という山があります。標高は5368m、成都の標高が約500mですから、5000m近い標高差、その氷雪の峰が、東京からならば、箱根か丹沢辺りの距離に屹立しているわけで、この辺りの地形のスケールの大きさが窺い知れるものと思います。

大規模なスキー場があり、中国では有名な観光地のひとつです。しかし外国人には(少なくとも「地球の歩き方」に紹介されている観光地以外には出向きはしない日本人には)全く無名の地と思われます。僕が最初に訪れたのは、1989年春、次いで1990年夏(まだスキー場が開発されていなかった当時は、大飛水とか大邑原始森林と呼ばれていた)、そして大きく飛んで、昨2009年夏。

成都の都心からバスで2時間、リフトに乗って標高2000m未満に広がるスキー場へ、さらに(もしかしたら世界1ではないかと思われる)長大なリフトで、標高3000m超の稜線まで一気に辿りつきます。稜線上のピークからは、谷を隔てて標高5368mの西嶺雪山に対侍し、その向こうには標高6250mの四姑娘山が聳えているのです(ここからは西嶺雪山に隠れて見えない)。

西嶺雪山を眺める稜線上のコルには、「陰陽界」という名がついています。ここまでは現世、この先は異郷。まさにその境い目なわけです(実際に、この付近で、漢民族とチベット民族の居住圏が入れ替わります、、、、詳しくは後述)。

50年近く前、屋久島をはじめて訪れた時のこと。鹿児島港を出港、錦江湾を出たところで、行く手の洋上に、異様な三つの島が現れました。噴煙を上げる赤く色鮮やかな山肌の硫黄島を中心に、左手前に緑のリュウキュウチクに覆われた真っ平らな竹島、右遥かに黒々とした原生林の中の黒島、、、、。それまで関西から遠出をしたことが無かった少年の僕に、“異境への旅立ち”を強く印象づけたのです(実際、この辺りを西へ進むと、中国大陸に、南へ進むと、琉球から台湾に向かいます)。

どうも僕は、現世から異境へと移り変わる“狭間”に、強く惹きつけられる傾向があるようです。

その三島列島から西へ2500㎞、全く同緯度上(北緯30°30′~50′)に位置する、西嶺雪山にやって来て、50年前と同様の感慨に浸ることが出来たのは、何かの縁かも知れません。

さて、四川盆地とチベット高原を隔てる“グリーンベルト”の、盆地の縁に面した側に西嶺雪山は位置するわけですが、チベット高原の東端に接しているのが、大渡河(長江の一大支流)寄りに峰々を連ねる来金山です。西嶺雪山・来金山とも、北は四姑娘山に発し、標高5000m前後の稜線が南北100㎞近くに亘り連なっています。その間に深く食い込んでいるのが、青衣河(やはり長江の一支流)上流の宝興江です。

中心都市は・県都(宝興県)の宝興(Bao-xing)。先々月(7月初旬)、宝興から来金山の峠を経て四姑娘山へ向かった際の紀行文の第一回目を「雅安でのバス待ち時に見たチョウ」として紹介したのですが、そこでストップしたまま今に至っています。そのあと宝興の町の紹介なども行う予定でいたのだけれど、順序を入れ替えて、先にこちらの紀行(東拉紀行)を紹介して行くことになった次第です。


【東拉紀行 2010.8.7 ④】

僕は、人文的な分野においては知識も興味もありません。適当に、自分が感じたことを記しているだけなので、内容には責任を持てない、ということをご了解下さい。まあ、おおむねある程度は当たっているのではないかと思うのですが。

チベットのことを、中国では「西蔵(シーザン)」と呼びます。でも、本来「蔵」自体がチベットを指すわけですから、「西蔵」は西チベット、ということになるはず。「東蔵」はあるのでしょうか?たぶん(今の中国には)無いと思うのですが、旧・東チベットは、確かに存在していたのです。チベット全域の東半分、現在は四川省に組み入れられて、北東の阿壩蔵族羌族自治州(州都は馬爾康)と、西北~南の甘孜蔵族自治州(州都は東寄りの康定、西寄りの中心都市が理塘、西北寄りの中心都市は甘孜)が、それに相当します。

四川省は、成都市をはじめとする18市と、3自治州から成っています。【かつて四川省の一部だった重慶市は、10余年前四川省から分離され、省と対等の直轄市(ほかに北京市、天津市、上海市)に格上げされました。成都と重慶は、なにかにつけて比較され、「2都物語」(本家はパリとロンドン、ちなみに「3都物語」は京都・大阪・神戸)の名の書籍(小説なのかノンフィクションなのかは不明)などもしばしば見かけます。以前は列車で10時間以上かかりましたが、今は時速200㎞の新幹線が、350㎞余の両都市間を、2時間ジャストで結んでいます。】

市の下の行政単位は、日本とは相当に異なり、非常に複雑です。例えば成都市(一応東京都に相当するとしておきましょう)で言えば、市の下に、9つの区(大都市の中心部、東京23区の様なもの)、都江堰市(位置的には八王子市に相当)など4つの市、及び6つの県から構成されています。県と(大きな市の中の)小さな市の違いは、僕にはよく解らないのですが、市のほうが、都市的様相を帯びていると考えて良いでしょう。

さて、四川省には、上記した「旧・東チベット」に相当する2つの自治州を除くと、19市(涼山イ族自治州を含む)の許に、149の区・県・市が存在します。その大半は、人口100万人前後(ほぼ全てが10万人を超します)、面積は多くが100k平方㎞前後か、それ以下です。その中で、人口10万人以下の自治体が2つあり、ひとつは、人口5万人の金口河区(楽山市)、もうひとつが、人口6万人の宝興県(雅安市)。ただし、前者の面積が50万平方㎞台なのに対して、宝興県は300万平方㎞を越えていて、人口密度からすれば、金口河区と比べても、他の全ての自治体と比べても、圧倒的に少ないのです。宝興県の人口密度は、149自治体のうち、断トツの最下位ということが出来ます。

一方、旧・東チベットの2つの自治州の下に置かれた、31の自治体(全て県)は、大半が面積400平方㎞を越え、かつその多くは、人口5万人未満です。人口10万以上(いずれも11万)の県は3県あり、汶川県、茂県、康定県で、前2つは400万平方㎞台、後者は1100万平方㎞強ですから、その三県にしても、上記の(旧・東チベットを除く)149の自治体の全てに比べれば、遥かに人口規模は小さいことになります。すなわち、面積ではほぼ半々の、四川盆地を中心とした漢民族(+イ族)居住圏と、旧・東チベット地域は、人口密度に於いて、その数値が極端なまでにかけ離れているわけです。

そして、漢民族居住圏の中で、唯一、東チベット的数値を示す(面積が広く、人口が少ない)のが、宝興県。漢民族居住圏最奥の地は、数字の上でも、そのことを示している、と言えるのです。


宝興は、一部の人々にとって“係恋の地”とも言える存在でした(今は簡単に行けますが、20年ほど前は、様々な制約があって、外国人が入るのは、非常に困難だったのです)。百数十年前、ダビット神父たちによってパンダが発見(現地の人々は古くからその存在を知っていたのですから、正確には“発見”でなく“確認”というべきなのでしょうが)された地であり、その他の植物・動物・昆虫についても、この一帯で発見・命名された種が数多く存在します。

もっとも、僕が今回ここを訪れたのは、別に珍しい動植物を探しに来たわけではなく、カラスアゲハやミンミンゼミの調査に当たって、成都から比較的近いこの地を選んだのに過ぎません。

前回(7月上旬と中旬の2回)は、宝興から真北に向かい、来金山の峠、およびその向う側の四姑娘山を訪ねました。ちなみに、峠の手前の宝興江源流に位置するQiao-Qi(漢字が書けないのでアルファベット表記にしておきます)の町は、それまでの漢民族居住圏とがらりと変わって、チベット族の居住圏となります。

ほかの山奥の町でもそうなのですが、現在の(国民総旅行ブームの)中国では、いたるところが大観光地化されつつあり、このQiao-qiも町中がカラフルな新築のチベット民家(全て宿泊施設)で埋め尽くされています。同じ作りの、豪華な新築宿舎が百軒近くも並ぶ(その割には宿泊客の姿はほとんど見かけない)“古鎮”には、ちょっとうんざりです。

そんなこともあって、宝興から西方のもうひとつの谷に位置する、龍東(「ロンドン」と発音します、こちらも漢字が出てこず、とりあえず“龍”の字を当てておきますが、あるいは“隆”なのかもしれません)に向かうことにしました。宝興の町の道路標示に、龍東の先の“東拉山大渓谷”まで17㎞、の表示があり、地図には載っていないその渓谷の近くまで行ってみようと思ったのです。

以下、“東拉山大渓谷”へ行く途中の、小さな村(と言っても、数百m置きに数件の民家しかない)での滞在記、地名が特定できないので、とりあえず「東拉紀行」としておきます。主目的の、カラスアゲハやミンミンゼミのことについては、また別の機会に紹介することにします。

コメントは前回の塔公紀行(東拉から、来金山の山嶺と大渡河の深い谷を挟んで、真西へ100㎞、共に屋久島と同じ北緯30°20′線上に位置していますが、こちらは乾燥した草原の広がる、チベット民族文化圏の真っただ中です)編に引き続き、あや子さんの想像でコメントを入れて行って貰おうと考えたのですけれど、一応僕の手で、短いコメントを入れておきます。


↓成都-雅安:高速バス2時間/45元
↓雅安-宝興:路線バス2時間/20元
↓宝興-隆東:乗り合い包車30分/6元(個人利用の場合は40元)
↓隆東-洪冲旅店:バイク15分/5元(徒歩約1時間)
↓洪冲旅店-東拉大渓谷入口:バイク15分/20元(徒歩約1時間)

旅店=民宿とモーテルの間の子のようなところ、実質的には洗車場で、宿泊客はほとんどいないものと思われます。

洪冲旅店のある場所の地名は、おそらく【雅安(ヤーアン)市/宝興(バオシン)県/隴東(ロンドン)鎮/崇興(チョンシン)村】で良いのだと思います。Qiao-Qiの漢字名は磽磧。

↓ 椅子に干した野菜?が、ちょっとしたアートに。
↓ 村は山の中にあるのかも知れませんね。
↓ 行きに通った民宿?まで戻って来ました。
↓ 汚なく態度の悪い町のホテルより、ここに泊まった方が。


【東拉紀行 2010.8.7 ⑤】

↓ 泊まれるかどうかを確認。O.K.です。
↓ 両親は日が暮れた頃に帰宅、婆ちゃんと子供たちだけです。
↓ まあ人懐っこいこと。この後3日間、ずっとこの調子です。
↓ 3人姉妹の末っ子6歳。


【東拉紀行 2010.8.7 ⑥】

↓左は近所の若いお母さんの一人娘(4歳)。
↓後ろ左は3人姉妹の真ん中(10歳)。
↓中央は3人姉妹の長女(12歳)。隣のお姉さんたちも登場。
↓真ん中は、隣の姉妹の姉(25歳)。


【東拉紀行 2010.8.7 ⑦】

↓右は隣の姉妹の妹(22歳)。姉妹とも小学校の先生だ、独身だそうです。
↓ワンちゃん。
↓この2人はいつも一緒にいます。
↓元気溌剌。


【東拉紀行 2010.8.7 ⑧】

↓ お父さんお母さんが帰って来て夕食です。
↓ 豚小屋の隅っこにトイレ(屋内にも綺麗なトイレあり)。
↓ 僕の部屋。清潔でシンプル。
↓ 子供達の乱入が無ければ、仕事部屋に最適なのだけれど。 


【東拉紀行 2010.8.8 ①】

↓ 朝です。例のポーズで僕が出てくるのを待ち構えていました。
↓ 花を写せとリクエストが。
↓ これも写せと。
↓ これも。美味しい莢豆の花です。


【東拉紀行 2010.8.8 ②】

↓猫ちゃん。
↓長女は大人になったら美人になること請け合い。
↓勢揃い。でもなぜ女の子しかいないのでしょう?
↓三家族(お父さんたちが兄弟?)が一緒に暮らしているみたいですね。


【東拉紀行 2010.8.8 ③】

↓ヒヨコちゃんも写してね!
↓聡明な長女としっかりした二女。
↓わ、わ、わ、わたしも!!
↓必死の形相です。


【東拉紀行 2010.8.7 ④】

↓ 露草を採って来ました。物憂げなお姉ちゃん。
↓ 二女はいつも一歩退いていますが、実は長女にはライバル心が。
↓ 末娘は表情が豊かです。
↓ ツユクサは僕にとって特別な花なのです。


【東拉紀行 2010.8.7 ⑤】

↓天気は今一つですが、出発。
↓カラスアゲハの谷まで2㎞ほど。
↓レテノールアゲハ(Papilio alcmenor)。ナガサキアゲハの仲間で、オナガアゲハにごく近縁。
↓真っ裸で川にドブンして、ウ〇〇。


【東拉紀行 2010.8.7 ⑥】

↓お昼に帰って食事。昨夜のメニューと同じです。
↓虫を探そう。
↓イトトンボ写して!(キイトトンボ)
↓蝶もいたよ!(チョウセンコムラサキApatura iris)


【東拉紀行 2010.8.8 ⑦】

↓ (タッパンルリシジミ)
↓ 捕まえたから写して!
↓ こんなチョウも捕まえた、、、。
↓ (これは凄い!日本では絶滅の危機に瀕しているクロシジミです)


【東拉紀行 2010.8.8 ⑧】

↓ 見つけた!写して!
↓ (キマダラサカハチチョウAraschinia doris)
↓ これも写して!(超普通種のアカタテハ)
↓ これも!(世界的超普通種ヒメアカタテハ、こんな機会でもなければ写さない)


【東拉紀行 2010.8.8 ⑨】

↓もっといないかなぁ。
↓いたいた!(おいおい!)
↓捕まえた!(服が汚れる!)
↓私も写してね!


【東拉紀行 2010.8.8⑩】

↓自慢の顔!(オオモンシロチョウ)。
↓私も捕まえなくては(二女)。
↓交尾中のキイトトンボも捕まえた(くやしいなぁ、、、)
↓(ちょっと残酷な気が)


【東拉紀行 2010.8.8⑪】

↓そろそろ再出発しなくては(バイクの後ろに乗って)。
↓検問所でバイクを降りて。
↓無料で今日も少しだけ入れて貰いました。
↓あまり奥まで行かないうちに引き返します。


【東拉紀行 2010.8.8⑫】

↓ミスジチョウ属大型種。もしかしたら新種かも(拙書「中国のチョウ」に記述あり)。
↓樹上からセミが落っこちてきた(ヒグラシの仲間の♀)。
↓ヤナギイチゴに産卵に来たキマダラサカハチチョウ♀。
↓オケラの一種。


【東拉紀行 2010.8.8⑬】

↓渓谷が綺麗!秋10月が最高なのだそうです。
↓奥は、標高5000mまでトレッキングルートが伸びています。
↓外国人は、アメリカ人に次いで2人目だとか。サインを頼まれてしまいました。
↓西瓜も御馳走になって、、、。次回はゆっくりと来なくては。


【東拉紀行 2010.8.8⑭】

↓帰りは予定より遅くなってしまった。
↓途中まで来て待っていたのです。トンボ捕まえたよ!
↓お母さんも自転車で。
↓こちらはお父さん。楽しそうに大きな声で喋ります。


【東拉紀行 2010.8.8⑮】

↓長女の仲良しさんが遊びに来ていました。
↓手が余分です。
↓二人で撮りたいんだってば。
↓もう、しょうがないなあ。


【東拉紀行 2010.8.8⑯】

↓というわけで、再び全員集合。
↓なんだか楽しそうですね。
↓お得意のポーズ。
↓同じポーズを。


【東拉紀行 2010.8.8 ⑰】

↓即席のオリンピック?
↓三段跳びのようです。
↓負けず嫌いの二女は、いつも全力投球。
↓みんな元気!


【東拉紀行 2010.8.8 ⑱】

↓食事だよ~。今晩も同じメニュー。ある意味、大感動です。
↓食後のバトミントン。これが延々と続きます。
↓僕も参加したけれど、十数回に一回ぐらいしか勝てない。
↓25歳お姉さんと、若いお母さん。2強の対決です。


【東拉紀行 2010.8.8 ⑲】

↓陽が暮れて来て、やっと終了。
↓夕闇の中で、はい、パチリ!
↓やっぱり駆け込んで来ました。



【東拉紀行 2010.8.9 ①】

↓3日目の朝。
↓朝早くから野作業です。
↓男性陣は豚の解体の準備。
↓これからが本番なのだと思います。


【東拉紀行 2010.8.9 ③】

↓ただ一人の妹分なのです。
↓得意のポーズ!
↓25歳のお姉さんと、三姉妹の真ん中と一緒に、山に草刈りに。
↓50mほど離れたところの家の横から山に入ります。


【東拉紀行 2010.8.9 ②】

↓3日続けて同じメニュー。でも僕には特別に卵が2つ。
↓立ったまま朝ご飯。
↓動き回っていないと落ち着かない性分なんだろうなぁ。
↓妹分がやってきた。


【東拉紀行 2010.8.9 ④】

↓オジサンが背負っているのは、木の皮みたいですね。
↓どうやらトウモロコシ畑のようです。
↓見下ろした民家。
↓豚の解体作業をしているオジサンたちが見えます。


【東拉紀行 2010.8.9 ⑤】

↓チョウがいたよ!
↓葉の裏に何かが張り付いています。
↓ストロボを発光して写すと。
↓キコモンセセリの仲間。


【東拉紀行 2010.8.9 ⑥】

↓トウモロコシ。
↓ツユクサの一種。
↓ノジギクの一種。
↓これは何の花だっけ?


【東拉紀行 2010.8.9 ⑦】

↓収穫を終え、下山します。
↓たぶん豚の餌だと思うけれど。一部は人の食糧かも。
↓下の家も旅館をやっているのですね。
↓栽培している花を採っちゃダメだよ!


【東拉紀行 2010.8.9 ⑧】

↓戻って来ました。
↓豚の解体も、ほぼ終了です。
↓22歳のお姉さんのお出迎え。
↓美人だよね!


【東拉紀行 2010.8.9 ⑨】

↓僕にもおすそ分け。これがとても美味しい!
↓隣のお母さんと姉妹。
↓男の子がいたぞ!写真取らせて!!でも照れ屋なのです。
↓女の子のほうが強いようです(負けてあげている)。


【東拉紀行 2010.8.9 ⑩】

↓やっぱり主役は私!
↓隣の伯父さんと。
↓いつも無表情なのが凄い。
↓3人で仲良く。


【東拉紀行 2010.8.9 ⑪】

↓誰かがセミを見つけてきた。木に止まらせて撮影。
↓見たことのない変わったセミです。
↓またいたよ~(これはナメクジ!)
↓こっちも綺麗だから写して~!


【東拉紀行 2010.8.9 ⑫】

↓部屋に持ち帰ってヒグラシと2ショット。
↓帰る前にもう一回カラスアゲハの谷に出掛けます。
↓サファイアフチベニシジミ(Heliophorus sapir)がいた!
↓渓谷入口に到着。


【東拉紀行 2010.8.9 ⑬】

↓クロアゲハ&カラスアゲハ。
↓花はフジウツギ属(ブッドレア)。
↓10数分置きに回り廻って来ます。
↓カラスアゲハ。


【東拉紀行 2010.8.9 ⑭】

↓カラスアゲハ(だと思う)。四川省産は、ミヤマカラスアゲハとの区別が至難の業。
↓ルリモンアゲハ(Papilio paris)もカラスアゲハの仲間。
↓ルリモンアゲハ。
↓カラスアゲハ(中国西部産にはクジャクアゲハという別名が付いています)。


【東拉紀行 2010.8.9 ⑮】

↓戻って来ました。洗車中のトラックが2台。
↓足下をタイワンタイマイ(アオスジアゲハの近縁種)が舞っています。
↓トラックの間を飛び交うタイワンタイマイ。他ではなかなか写せないのに、皮肉なものです。
↓男の子もまだいました。隙を狙ってパチリ!


【東拉紀行 2010.8.9 ⑯】

↓昼ご飯を食べてから帰ることに。7食続けて同じメニューです。
↓大人は白いご飯。子供達は、残った混ぜご飯(これが実に美味しい!)。
↓最後に記念撮影。
↓また来るね!


【追記】
その後も何度か訪れ、いろいろな興味深い事実が分かって来ました。それらについては改めて紹介する予定です。
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未発表草稿「雲の彼方の白い国 ~成都-昆明“裏街道”をゆく」から

白い崖 【成都/雅安/ミニャコンカ/康定/塔公】の前半      

成都から高速動ジャスト2時間で、“世界の屋根”入口の町・雅安。かなりの大都市(ここでビザの再更新も可)ですが、街中に人力自転車が走り回っていることなど、なかなかに風情のある街です(僕は成都で宿泊せずに、ここまで来て泊まることが多い、ごくまともなホテルで個室シャワー付き一泊800円ほど)。国道318号線は、ここから青衣江(長江水系)支流の二朗河を遡り、チベット高原を目指して、一気に標高3000mの二朗山の峠まで駆け上ります(現在は2700m地点にトンネルが開通)。

↓雨の雅安と夜景


雅安のすぐ先から青衣江のもう一つの支流・宝興河(宝興からは西河)を遡ると、来金山の峠(標高約4200m)を越え、四姑娘山に向かうことも出来ます。来金山の峠の手前には、チベット族の集落・碊磧があり(通常チベット族のエリアは稜線を超えた向こう側にあるのですが、深い渓谷の源頭部周辺などでは稜線の手前に見られることもあります)、右側の山嶺の続きは、成都市民のスキー場として名高い西嶺雪山5364m(大邑原始森林、僕の長年のフィールドの一つ)、途中の宝興の町から東河を遡ると、000年前、ダヴィット牧師によって最初にパンダが発見された小集落(龍東)を通り、やはり標高5000mを超える東拉山と、その懐の渓谷に至ります(途中の小さな旅籠屋での4日間の子供たちとの交流を、ブログ「青山潤三の世界・2010年東拉紀行」で50回近くに亘って掲載していますので興味ある方はご覧ください)。

なお、この宝興県は、中国全土の“漢民族文化圏”の最奥の行政地域、そのことは数字上での証明も出来ます(上記「東拉紀行」の冒頭に説明あり)。


宝興の町の広場。夜には市民挙って踊り続けます。   
東拉渓谷の宿の子供たち。なぜか女の子ばかり。





撮影は全てバスの車中から窓越しに(このあと登場する写真の多くも同様です)。
雅安を出てすぐ右に宝興河が分かれます。最初の町が芦山。民家の壁が、芦山紹介の(ちょっとセクシーで色っぽい)絵で統一されています。



巨大な白い石(と言うよりも岩!)を満載したトラックが、ひっきりなしに通って行きます。
漢民族文化圏最奥の宝興渓谷は、パンダが最初に発見された地であるとともに、石灰岩の一大産地でもあるようです。道路の両側には断崖絶壁が続き、あちこちに石を切り出したと思われる採掘跡が露出しています。



宝興河(大きな滝がいくつも流れ落ちています、左)源頭の峠(来金山、写真左)を超えると、その向こうに標高6250mの四姑娘山(写真右)。峠の手前から先はチベット文化圏に入ります。峠を下った辺りから大渡江支流に沿って登山口の町・日隆に至る(反対方向に進むと後述する塔公に出る)道路沿いには、この地方独特の不思議なイラストが描かれた石壁の民家が続きます。


↓写真の約半数はオートバイ(有料)の後ろに乗って片手での撮影(でもカメラはちゃんとしたのを使っている=キャノンEOS)。


↓町が近づくと絵が青い色に。


国道318号線に戻り、西へ進みましょう。次の天全の町を過ぎると、あとは峠のトンネルまで標高差2000m強の登りです。いわゆる“亜熱帯から亜寒帯へ”の例えそのままの植生の移り変わりが見事で、チョウの種類も極めて豊富、盛夏7~8月には、野生アジサイ(Hydrangea asperaの一群の2つの種)が渓流沿いの路傍一面に咲き競い、それはもう見事なのですが、通行する車の数が余りに多いため、命がけの撮影・観察を覚悟せねばなりません。せめて、バスの窓から、移りゆく植生を眺めて貰いたいものです(大抵の人は、この区間眠りこけている)。

↓二朗山に至る318号線。


二朗山のトンネルを抜けると、眼前の光景が一変します。それまでの鬱閉した原生林の中の道とは対極の、褐色の岩礫とそこにへばりつくように生える草本からなる、チベット高原の世界。天気が良ければ、眼下に流れる大渡河の遥か上に、ミニャコンカ山系の白銀に輝く雪嶺を仰ぎ見ることも出来ます。


大渡河の畔まで、標高差1000m程の道を九十九折に下降、下りきった地点を右に向かえば康定、左に向かえばミニャコンカの入り口・海螺溝(磨西)に至ります。磨西までは路線バスで小一時間(成都からは沢山のバスが出ていますが、途中で捕まえるのは至難の業です、康定からはタクシーや包車となります)。

(以下、省略)

↓四姑娘山と巴朗山(チベット文化圏)
        

↓西嶺雪山(前回と今回の震源地に挟まれた地域)


↓ミニャコンカと二郎山(チベット文化圏)
    

↓巴朗山~二郎山(漢民族文化圏の末端地域)

(●前回の震源地は「都江堰~」の字の辺り)
(●今回の震源地は、芦山周辺)

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テスト Aporiaほか 梅里雪山 2012.7.1-11 続き

2013-01-20 19:38:57 | その他

Aporia hippia ミヤマシロチョウ

Aporia lhamo スジグロチョウモドキ

Aporia delavayi ワイモンシロチョウ

Aporia agathon タカムクシロチョウ

Aporia monbeigi ヘリグロワイモンシロチョウ

Delias wilmani ワイルマンシロチョウ

Pieris davidis ミヤマスジグロチョウ

Pieris davidis ミヤマスジグロチョウ

Pieris sp.(dubernardi?)

Pieris sp.

Pieris sp.

Pieris dubernardi オオミヤマスジグロチョウ

Pieris dubernardi オオミヤマスジグロチョウ

Colias erate モンキチョウ

Gonepteryx aspasia
スジボソヤマキチョウ
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テスト Aporiaほか 梅里雪山 2012.7.1-11 続き

2013-01-20 19:38:57 | その他


Aporia hippia ミヤマシロチョウ


Aporia lhamo スジグロチョウモドキ


Aporia delavayi ワイモンシロチョウ


Aporia agathon タカムクシロチョウ


Aporia monbeigi ヘリグロワイモンシロチョウ



Delias wilmani ワイルマンシロチョウ



Pieris davidis ミヤマスジグロチョウ




Pieris sp.(dubernardi?)



Pieris dubernardi オオミヤマスジグロチョウ


Colias erate モンキチョウ


Gonepteryx aspasia スジボソヤマキチョウ
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テスト Aporiaほか 梅里雪山 2012.7.1-11

2013-01-20 19:20:55 | その他

Aporia hippia ミヤマシロチョウ

Aporia lhamo スジグロチョウモドキ

Aporia delavayi ワイモンシロチョウ

Aporia agathon タカムクシロチョウ

Aporia monbeigi ヘリグロワイモンシロチョウ

Delias wilmani ワイルマンシロチョウ

Delias wilmani ワイルマンシロチョウ

Pieris davidis ミヤマスジグロチョウ

Pieris sp.(dubernardi?)

Pieris dubernardi オオミヤマスジグロチョウ

Colias erate モンキチョウ

Gonepteryx aspasia スジボソヤマキチョウ
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テスト 

2013-01-20 19:13:44 | その他
The Butterflies of Meili Snow Mountain 梅里雪山的胡蝶
Tribe Lycaeini
       
Helleia ouang シラユキムラサキベニシジミ[梅里雪山明永氷河末端下alt.2300m 2012.7.1]


上左:Helleia ouang シラユキムラサキベニシジミ[梅里雪山明永氷河末端下alt.2300m 2012.7.1]
上右:Helleia li オナガムラサキベニシジミ[梅里雪山明永氷河末端下ait.2300m 2012.7.11]
下左:Helleia pang シロオビムラサキベニシジミ[梅里雪山雨崩村上雨崩 alt.3100m 2009.6.14]
下右:Helleia tsuang メスアカムラサキベニシジミ[玉龍雪山東麓alt.3100m 2008.7.23]

 


   



   

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大鵬のこと 続き

2013-01-20 15:32:47 | その他
今でこそ70kg近いメタボなのだけれど、少年時代の僕は40kgあるかないかのチビでガリガリ体型でした。しかし相撲が大好き。小学校の校庭で毎日のように相撲を取っていたものです。強かったのですよ!長身で突っ張り(佐田の山タイプ)のノザキ君は苦手だったのだけれど、四つ相撲のヒラノ君やタカギ君やテッチャンとは良い勝負を繰り広げていました。鳴門海や若乃海を真似た変則仕切りから、がっぷり四つに組んでの「左下手出し投げ」「打っちゃり」が得意技。

僕が大鵬の存在を知ったのは、相撲関係者を除く(今生きている)日本人の中では、最も早い時期だったのではないかと思います。当時必ず見ていたNHKの大相撲中継で、「将来の有望力士」として幕下以下の何人かが紹介されたのですが、その中に「納谷=大鵬の本名で旧四股名」がいました。おそらく1957年か58年、「栃(栃錦)若(若乃花)」の全盛期の頃です。なぜか分からないのだけれど(珍しい名前のせい?)深く心に刻まれたのです。

その数年後、「大鵬」として一気に番付を駆け上がり、瞬く間に大ヒーローとなってしまいました。駆け出し当時から知っていた僕としては、ちょっと自慢ではあったのですが、僕の贔屓は、ライバルの一人「北葉山(後の大関、柏戸以外で大鵬に最も勝った力士で、大鵬以外で柏戸に最も勝った力士)」。現役当時の大鵬は、憎っくき存在でしかありませんでした。

でも、何らかの形で、縁があったようです。ずっと後年、大鵬のお嬢さんが、「貴闘力(関脇)」と結婚しました。「若貴時代」に、同部屋の「安芸の島」とともに僕が応援していた力士です。「大鵬部屋」も「大嶽部屋」として彼が引き次いだのですが、博打疑惑で相撲協会を解雇されてしまった。さらにその後、大嶽部屋所属の(大鵬以来の)ロシア出身力士「露鵬」を応援、ところがその露鵬も、八百長疑惑で相撲協会を解雇されてしまった。実は僕は、この露鵬の事件(一種の冤罪?)に非常に強い関心を持っていて、機会があれば真相解明に取組みたいのですが、このときから全く相撲に興味を失ってしまったのです。

大鵬は、事件の後も、彼ら(「貴闘力」「露鵬」)のことを心配し、温かい目で励まし続けていたと聞きます。僕にとっての大鵬は、現役時代の(「巨人・大鵬・卵焼き」の)無敵の大鵬ではなく、晩年の一代年寄りとしての、心身ともに苦難を重ねてきた、“忍の人”大鵬なのです。
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練習中 Limenitis helmanni 梅里雪山

2013-01-20 02:17:00 | その他
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練習中 Limenitis mimica 梅里雪山

2013-01-20 02:15:47 | その他
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練習中 Limenitis cottini 梅里雪山

2013-01-20 02:10:52 | その他
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テスト Limenitis 3spp. 梅里雪山

2013-01-20 02:01:50 | その他
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