青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

なぜか中国Ⅳ

2018-03-16 20:45:16 | 「現代ビジネス」オリジナル記事

「チベット自治区」だけが「チベット」なのではない、ということを知っていますか?

2月9日記述 2月16日付け「現代ビジネス」掲載記事の元記事


チベット自治区の州都ラサの寺院の一部が消失したというニュースに続いて、四川省雅江県の増西村と八角楼郷で大規模な山火事が発生し、何人かの人が逮捕された、というニュースが入ってきました。この2つの事件は、相互に関連する、政治的な出来事に違いないでしょう。

雅江県(旧・東チベットの康定と理唐の間、標高4500m超の高原の峠に挟まれた谷あいに県都があります)は、筆者の主要フィールドの一つです。殊に、八角楼郷は、メイン中のメイン。これまでに、無数の美しい写真を撮影しています。ただし、観光的には全く無名の地です。


雅江西方の峠下(標高4400m付近)からミニャコンカ7556mを望む。

四川省は、見事に東半部と西半部に分かれます。

東半分は、標高200-500mの四川盆地を中心とした漢民族居住圏。四川盆地には、現在は国家直轄都市となった重慶市と、四川省省都の成都市の、中国でも有数の巨大都市(人口はそれぞれ3500万人前後、1500万人前後)を有し、極めて高い人口密度を誇ります。

一方、西半分には、世界の7000m峰の東端に位置する標高7556mのミニャ・コンカや、世界の6000m峰の東端に位置する標高6250mの四姑娘山など、チベット高原の東半分が含まれます。

中国有数の過疎地帯でもある東半分には、成都以外にも数多くの100万都市(総人口1憶人以上)を擁しています。一方西半分は、最も大きな都市(康定ほか)でも10万人余(総人口約200万人)。

この一帯は「東チベット」(いわゆる大シャングリラ)とも呼称されるように、もともとは「チベット」の領土だったのですが、現在では、四川省西部(康定など)と雲南省北部(香格里拉など)に編入されてしまっています。

いわばヒマラヤ山脈の東の延長でもあるのですけれど、ヒマラヤ本体と異なるところは、山脈をブチ切るように、南北に大河が横断していることです(従って、この一帯の山々を「横断山脈」と呼びます)。

西から東に、インドのカルカッタに河口をもつブラマプトラ河水系、ミャンマーに至るイラワジ河水系とサルウイン河水系、ミャンマー・タイ・ラオス・カンボジア・ベトナムを貫くメコン河水系、上海に河口をもつ長江水系(加えて、北寄りに北京近郊に河口をもつ黄河水系、南寄りにハノイに至る紅河水系と、香港に至る珠江水系)。

このうち、四川省西部を南北に流れるのは、西から、金沙江、雅砦江、大渡河、ミン(山偏に民)江などの、長江の巨大支流です。

各大河は南北に流れていますが、道路(国道)は東西に走っています。成都から西へ向かう国道318号線(北緯30度付近、日本では屋久島周辺に相当)と国道317号線(北緯32度付近、南九州に相当)が、チベット自治区に入って合流し、ラサに至ります。

ちなみに、温暖な四川盆地と極寒のチベット高原を分かつ移行帯は、下は亜熱帯、上は亜寒帯の豊富な植生を擁した「グリーンベルト」で、以前に紹介した野生のジャイアントパンダの棲息地です。

この一帯は、本来は「秘境」と言って良い地域だったのですが、10数年前頃から、多くの中国人たちから注目を浴びるようになりました。

自転車で、成都から(中には東の起点の上海から、あるいは昆明経由で南の香港や広東省から)ラサに向けて、この2つの国道(ことに318号線)を走破しようとする人々によって、一大ブームが引き起こされたのです。

路線バス(利用する旅行者はごく少ない)の窓から外を見ると、標高差2000mの急坂を隊列を成して喘ぎあえぎ上下するサイクリストを、何度も何度も追い抜いていきます。

車での走破を目指す人も多く(それらの人は、チベット自治区に入ってから後、さらに北方のウイグル自治区や青海省や甘粛省を巡ります)、マイカーの後方の窓に、必ずと言っていいほど、この地域の巡回道路地図が張り付けられているのを、中国に来たことのある人なら、誰でも一度は目にしているはずです(それらの車が実際に向かうわけではないけれど)。

もちろん極めて少数ですが、なんと徒歩での走破を試みる猛者もいます。


八角楼で出会った、徒歩で成都-ラサを踏破中の中国人。


理塘の周辺には、標高4700m前後の峠がいくつもある。峠と言っても真っ平な道。


ちょうど八角楼での出来事。その若者は、川岸の草原で撮影中の著者を見つけて(車と自転車以外の都会人?に久しぶりに出会った?)喜び勇んで、駆け下りてきました。小さなリヤカーにシェラフとツエルトを積んで(食料は現地調達)、このあと一か月程かけてラサに辿り着く予定なのだそうです。

彼らの目的はチベット民族との親睦(いわば国家の推進する個人親善大使)。苦労してチベット居住圏を訪れ交歓することで、中国国民が一体となって、仲良くなると信じて疑いません。


国道318号線を四川盆地からチベット高原に入って最初の都市が康定(筆者が4年前に大けがで入院していたところでもあります)。標高1300mの大渡河沿いから、4200m超の峠上に至る旧坂の途中、標高2700m付近に町が発達しています。筆者が最初に訪れたのは29年前で、その頃はチベット民族が大半を占める、良くも悪くも素朴な街だったのですが、今や大量の漢民族の移住者とともに巨大な都市へと変革しつつあり、険しい山中までが新興住宅街として開発され、氷雪の峰々を背に、ビルが林立しています。

次の町が雅江。その次が理唐。最後が巴謄。理唐は標高4000m超の高原上の都市、雅江と巴唐は南北に流れる大河に沿った町です。

巴唐はチベット自治区とのボーダーで、外国人はここから西に向かうことは出来ません(南から来た場合は、梅里雪山の麓より北には入れない)。

成都のユース・ホステルに滞在する外国人バックパッカーたちの多くは、このボーダーを突破することを目論んでいますが、成功例は、まず聞いたことがありません。

外国人は、高額な代金を支払ってパーミットを取得し、西安からの列車で北へ大回りしてラサに向かうか、飛行機を利用するしかないのです(中国人にその話をすると「同じ中国なのだから、そんなわけないだろう?」と皆不思議がります)。

お金が必要なことはもちろんですが、いわゆるツアーに近い旅行スタイルしか取れず、自由な行動は許されません。

お金をかけて、がんじがらめになって、無理にチベット自治区に向かうのならば、比較的自由に行動出来て、実質チベット文化圏である四川省西部や雲南省北部を巡るほうが、ずっと有意義だと思うのは、筆者だけでしょうか?

都市伝説めいた、有名な話があります。ボーダーで追い返されそうになった時には、「どこから来たか?」尋ねられます。「ここから先に行ってははダメ、出発点に戻れ」。その時、成都からとか昆明からとか答えずに「ラサから来た」と言えば、チベットに潜入できる、というわけです。

さすがにそれはないでしょうが(もっとも間抜けな中国人のこと、以前は実際にあったのかも知れません)、例えば康定に行った後(同じ四川省内であっても)チベット自治区寄りの雅江や理唐方面はなかなか切符を売ってくれないのに対し、逆方向の成都に向かうチケットは、比較的容易に購入できるという事実があります。




太陽の輪と虹の雲。この辺りの空は、不思議満載です。

今は厳しくなってほとんど不可能ですが、以前(5-6年前まで)はノービザ滞在期限が切れたら、
香格里拉や康定の対外国人役場の窓口で、簡単に一か月延長の手続きが出来ました。大都市の場合は一週間前後かかる更新が、僅か数時間で可能だったのです(今は、ほぼ絶対に不可能)。

それでも、一応滞在の理由をつけないといけません。チベット省境をうろつくことを匂わせたらダメ
です。外国人が観光ルート以外でチベット自治区に向かうことを、過剰なほど快く思っていないのです。

上記更新は、同じ町で続けて2度は出来ません。ある時、康定の交付所で拒否されてしまいました。
「ここから最も近い(といっても7~8時間はかかる)四川盆地入り口の町に行きなさい」。外国人のビザ延長が厳しくなりかけた頃です。「出来るだけ早く香港に戻るのなら、数日の追加は与えても良い」というので、仕方なく受諾することにしました。

係官 香港に戻るなら数日間の追加をしてやる。チベット方面には行ってはならない。
筆者 わかりました。戻ります(リターンします)。
係官 理唐(リータン)に行ってはいけない。
著者 わかっています。リターンします。
係官 リータンに行ってはいけないと言ってるだろう!
筆者 だからリターンすると言ってるじゃないですか!!

とにかく、外国人バックパッカーたちがチベット民族と個人的に触れ合うことを、戦々恐々としているのです。

理唐や雅江では、しばしば暴動が起こります。その度に外国人はオフリミットされてしまいます。むろんその方面に向かうバスの切符も売ってくれません。

チベット族の人たちは、漢民族の前で本心を表すのはマズいということを、十分に承知しています。
中国人旅行者たちにも、表面上はフレンドリーに接しているようです。

旅行者たちは皆お人よしですから、歓迎されていると思っています。とんでもない。

相手が日本人だとわかると、それはもう堰を切ったように本音を吐き出します。「奴らを〇してやりたい」どのチベット人も、異口同音にそう語りかけてきます。

チベット高原を走る道路はおおむね立派で、なおかつ、ボーダーを間違ってうっかり超えた友人(もちろんすぐに追い返されたけれど)によると、チベット自治区に入ったとたん、さらに立派な道路
になるそうです。

そして道沿いの、どのチベット民家も、豪華なことこの上もない。そんな家を建てる収入など、とてもあるはずがないのですが、国家に従っている限りは非常な優遇を受ける、ということなのでしょう。


筆者が最初にこの地域を訪れたとき、康定からの路線バスで理唐に向かう途中、八角楼のすぐ手前の標高4600mの峠頂(といっても高原状の緩やかな地形)でバスを乗り捨て、パルナッシウスなどの高山蝶の撮影に取り組みました。

夕方近く(と言っても午後3時頃)そろそろ撮影を終えて先に進もうと思ったのですが、甘かった。
もちろんバスはない(あっても途中から乗るのは難しい)し、ヒッチハイクもなかなか出来ません。
やっと一台のトラックに乗せてもらうころが出来ました。

雅江の町で夕食。再び出発した時には日が暮れて、真っ暗な闇の中の行軍です。トラックの目的地は、理唐まであと10数キロの小さな民家です。地元のタクシー?を読んでもらって、理唐に到着したのは真夜中の0時近く。

外国人が宿泊可能なホテルは、閉まっています。でも一階の片隅から明かりが漏れていたので、ドアを思いっきりドンドン叩いてみました。

流暢な英語を話す、若い美しい女性が出てきました。


筆者は、途中で休みつつ、のんびりと走るトラックの運ちゃんや、理不尽な料金を請求されたタクシーの運ちゃんに腹を立てて(本来なら親切を感謝しなければならなかったのでしょうが)、ほとんど切れかかっていたものですから、中国人に対して怒り心頭の状態です(もっともトラックやタクシーの運転手はチベット族)。

彼女が顔を出した瞬間、本来なら「泊まることは出来ますか?」と訊ねなければならないところを、とっさに「中国人はだい嫌いだ!!」と口走ってしまいました。

しまった、と思ったのですが、彼女は笑いながら、鸚鵡返しで「ミー・トゥー!!」。
 
若くして(当時20代半ば)ホテルを経営をする(両親が地元の権力者)チベット人で、学生時代にイギリスに留学していたそうです。

その後、仲良くなって、この町で度々行われる鳥葬に一緒に参加したり、ドライブに連れて行って貰ったりしました。

名前を出すのは不味いでしょう。チベット語の姓名が、「ハッピー」と「フラワー」に相当するので、 日本語で「幸田花子」とつけてあげました。ダサい?かもしれないですが、本人は結構気に入ってくれています。

4年前、筆者が康定の病院に入院したときは、何度か見舞いに来てくれました。その後会っていないのですが、理唐や雅江での暴動が報道されるたびに、大丈夫だろうか?と心配しています。


真夜中に灯りが漏れていた、左側の扉を叩いたら、、、。

この地域への最初の訪問から数年間、成都から康定を経て、あるいは昆明から香格里拉致を経て、
何度も行き来をしました。

雅江の町から西方は、最初に通ったときは夜中、漆黒の闇の中を4~5時間走り通したのです。谷底を走っているものとばかり思っていました。完全な漆黒の世界です。ごくたまに、うっすらと車や家の灯りが、亡霊のように浮かび上がります。

後に昼間に走って、実は大半が4500m前後の高原上を走っていることが分かりました。標高3000mを切る河沿いの雅江の街以外は、常に4000mを超す天空の地なのです。

始めのほうで記した、徒歩で走破中の青年に出会った「八角楼郷」は、雅江県の東端の、康定寄りの標高4600mの峠の下方です。

そのどん詰まりの川の源流付近(標高3800m前後?)に沿って、素晴らしいお花畑がありました。ある年、雅江の町を拠点に、丸2日間そこに通いました。そして、手あたり次第、その草原に生える全ての植物(200種近く)を撮影。

お花畑といっても、いわゆる高山植物ではなく、日本の田畑の雑草と同じ仲間の野生種が大半です。田畑のいわゆる雑草は2次的に成された植生ですが、それが天然に成立しているのです。いわば「人里植生」の原型。


八角楼東方の峠に上る道。初夏には白いシャクナゲの花で埋め尽くされます。


八角楼の天然お花畑。

実は、その翌年再訪したのだけれど、草原自体が無くなってしまっていた。あたらしい山岳ハイウエイの建設が始まっていたのです。

最後に訪れたのは4年前。もうどこだかわからないほど、完璧に変化していました。


この国道318号線(上海-エサ、最後はネパールとの国境に至る)は、筆者が1960年代の半ばからメインフィールドにしている屋久島とほぼ同じ、北緯30度線を前後して走っています。屋久島の位置は、正確には北緯30度13分-28分の間。雅江の街はジャスト30度なので、町を貫く雅砦河に沿って少し北に行けば達するはずです。

しかし(結構メイン道路のはずなのに)路線バスがない。屋久島の海岸に相当する、2つの川の合流点まで、徒歩とヒッチハイク。

途中見た光景には、かなり驚きました。明らかに、(成都からラサへ、チベット高原を東西に横切る)
鉄道建設が行われているのです。

ヒッチハイクした車は、凄い高級車でした。一目で政府の高級官僚とわかる役人が、お供を連れて乗っています。おそらく鉄道建設現場の視察なのでしょう。

快く乗せてくれて、はじめは拙い中国語で、その偉い人とフレンドリーに会話していました。

突然訊ねられました。

高級官僚氏「ところで君はアメリカは好きかね?」
筆者は笑顔で答えました「もちろん好きですよ!」
高級官僚氏の表情が微妙に変ったようです。

しばらくして再び同じ質問が。
高級官僚氏「君はアメリカが好きなのか?」
筆者「ええ好きです、、、」
今度は、明らかに怒りの表情。

三たび同じ質問です。
高級官僚氏「本当にアメリカが好きなのか?」
筆者(さすがに空気に気づき、でも今更嫌いとも言えないし)「中国も好きだしアメリカも好き」
お付きの人たちは凍り付いています。
一瞬、車を放り出されるかと思いました。
お付きの人たちが取り成してくれて、何とか目的地まで辿り着けたのですが、、、。
あとは無言、生きた心地がしなかった。

どうやら、中国の真の敵は、日本ではなく、アメリカのようです。

具体的には何事もなく済んだのだけれど、心の中では中国で一番恐ろしく感じた出来事です。


中央の山(格業)は標高6204m。麓の標高(約4500m)


チベット放牧民の小屋。この辺り(理塘-巴塘間)も屋久島と同緯度地域。


雅江の街中にて。昔は日本でもよく見かけました。


 理塘の隣町(ここで真夜中にタクシーに乗り換えた)。


空気が澄んでいるからか、標高が高いからなのか、、、昼間でも月の表面の模様がはっきりと見える。


みんなフレンドリーです。八角楼にて。



★連絡先
infoあayakosan.com あを@に変えて








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なぜか中国Ⅲ

2018-03-16 10:35:07 | 「現代ビジネス」オリジナル記事



中国の都市と地方の「格差」は本当にあるのか?


2月7日記述 2月16日付け「現代ビジネス」掲載記事の元記事




中国は、2月16日、2018年の春節を迎えました。旧歴の元旦で、新暦の日付とは、毎年異なります。ちなみに昨年は1月31日。おおむね、日本の節分および春分の日の前後。中国では新暦の「1月1日」は“ただの普通の日”、圧倒的に「春節」が大事です。

人々は、都会からそれぞれの田舎に帰ります。我々外国の旅行者は、うっかりしていると、泊まることも、食事をすることも、出来なくなる羽目になります。



春節の行事の一つ、山道で先祖を供養する 広東省紹関市翁源県貴聯村2015年春節 Monica Lee撮影

ところで、この原稿は、春節の6日前に、アシスタントMが借りてくれたアパートで書いています。Mは今日から10日間、昨春生まれた赤ちゃんのお披露目でご主人の実家で過ごします。その間、筆者が一人で食事が出来るよう、2週間分のお米を買い置きしてくれました。

残り財産は2000円を切ってしまっています。次の原稿料入手は月末。それまでの20日間(せめてMが帰ってくるまでの10日間)、これで過ごさねばなりません。朝食兼昼食が白飯(日本から持ってきたお茶漬け海苔が4袋あるので半分ずつに分けて振りかける)、夕食が近所の食堂で100円のヤキソバ(焼きビーフンをはじめ様々なバリエーションがある)、、、2000円あれば楽勝です。

と思って、さっき夕食を食べにアパートの外に出たら、ウァー!真っ暗、まるでゴーストタウン、全てのお店が閉まっています。まだ春節初日まで6日もあるというのに、、、、、。
一時間近く探し回ったけれど、どこも開いていません。この辺りは大都市郊外の工場地帯なので地元の人はほとんどみんな田舎に帰ってしまっているのです。都心まで出れば食べ物屋は見つかるでしょうが、交通費諸々が勿体ない。

というわけで、これから10日間、朝昼晩を白いご飯だけで過ごさねばなりません。中国の油だらけの食事に比べれば、“唯の白いご飯”は最高のご馳走なのだけれど、さすがに3食10日間はきつい。でも仕方がありません。

実は、これまでも、春節の時期には、苦労をして来ました。例えば、2007年(今はすっかり有名になってしまった)雲南省の菜の花に撮影に行ったとき。

それ以前から毎年のように訪れているのですが、春節初日前後は避けていました。しかしこの年は、うっかり大晦日に当たる日に訪れてしまったのです。ホテルの食堂は営業していないし、町の中探しまくっても、食事を出来るところは見つかりません。

途方に暮れていたとき、バスターミナルからホテルまで乗ったタクシー運転手のおばちゃん(中国の地方は女性のタクシードライバーが非常に多い)が、困ったことがあったら連絡頂戴な、と名刺を渡してくれていたことに気が付きました。

連絡を取ったら、早速やってきてくれました。どこに食堂があるのだろうと思っていると、着いたのは、おばちゃんの家。実はご主人はお医者さんで、どうやら町一番の裕福な家庭のようです(と言っても、せいぜい日本の中流の下あたり)。

春節の間、私たちが面倒を見てあげる、といって、高校生のお嬢さんと、中学生の弟さんが、
つきっきりであちこち案内してくれました。

日本で言うおせち料理を食べながら、年を越す(世界の終わりかと思うほどの膨大な数の爆竹花火の轟音に包まれます)直前、急患が出たとのことで、ご主人(凄いハンサム)は、着の身着のまま飛び出して行きました。お医者さんは偉いなあ。

春節元日の朝からは、3人で菜の花の村を訪れました。姉弟の親友だという、道端の売店の子供たちに会いに行きました。広い個室を与えられている姉弟2人と違って、友人の部屋は、壁に取り付けられた狭い(寝台列車のような)ベッドです。

身分は大変な違いです。でも、本当に仲良しらしく、全然そんなことは感じません。

春節2日目の夜は、車で1時間、隣の貴州省の一族の村(雲南省・貴州省・広西壮族自治区の境付近にあります)での新年の集まりに、ゲストとして呼ばれました。ここでも爆竹花火、その余りの凄さに見とれ、撮影するのを忘れてしまった。

三省の境には、その数年前にも訪れたことがあります。その時見た光景が今も目に焼き付いています。ほとんど垂直の崖の道を、年配の男の人(たぶんお父さん)に手を引かれて、ウエディングドレスを着た花嫁さんが下りてきた。待っていた車に乗って、これから結婚式に向かうところなのでしょう。なんだかひたすら感動して、この時もうっかりシャッターを切るのを忘れてしまった。

中国の「田舎」のことを、皆さんは、どれぐらいご存知でしょうか?

都市部との凄い格差、貧乏極まりない、、、本当にそうなのでしょうか?

確かにその通りなのかも知れません。月収100万円近くを稼ぐ都市のエリートに対し、1円2円の稼ぎを得るために、汗水を垂らして働いているのは、事実です。

でも筆者には、田舎の人々がことさら貧しいとは思えません。言葉の綾になるでしょうが、貧乏ではあっても、貧しくはない。








お医者さん姉弟の友達が住む町 2007年春節

中国の人々を、とりあえず3つに分けてみました。

A大富豪。 
B田舎の人々(地方都市住民ではなく、本当の田舎の村の、農民・漁民)。
Cそれ以外の人々(沿海・内陸にかかわらず、都市の住民)。

Aについては評論のしようがないです。桁外れなのでしょう。筆者個人的な感覚では、とてもまともな人たちであるとは思えません。

いわゆる都市の「富裕層」はCに入ります。都市の「貧民層」もCに入れました。横綱と幕下の違いはあっても、同じ土俵上で戦っているからです。

それに対し、BとCは関連性を見だすことが難しい。早い話、土俵が違うのです。

中国では、身分が「都市戸籍」と「農村戸籍」に厳密に別れています。ここでは詳細は略しますが、「農村戸籍」の人々には、都市で暮らすうえで様々な制約が課せられています(例えば移動一つをとっても複雑な手続きが必要な場合があります)。

「農村戸籍」の人間が「都市戸籍」を取得するのは、並大抵のことではないようです。全ての田舎の住民(以下、漁村・漁民なども含め「農村」「農民」と表記)は、都市戸籍を得ることを、人生の究極の目標としている、と言っても過言ではないかも知れません。

都市で暮らす人間が「都市戸籍」住民だとは限りません。「農村戸籍」のまま都市で働いている人のほうが多いのかも知れません(当然収入には大きな差があります)。

ところで、あくまで例えですが(実際にはそんな単純な問題ではないので)、農民は、都市に出稼ぎに出ます。中には、首尾よく「都市戸籍」を得る人もいるでしょう。

中国の社会は、今の日本とは違って、家族(あるいは一族や村)単位で構成されています。個人はパーツです。稼いだ金の多くは、家族や村に還元されるのです。

農民自体の収入は、(戸籍を問わず)都市で働く人々の稼ぎに比べて、それはもう驚くほど少ない。しかし、それとは別に、(都市で働く農村出身者経由で)お金は入ってきています。物価はもちろん安い。相対的には、果たして貧乏と言えるのでしょうか?

もうひとつ別次元での「例え」を挙げます。都市の富裕層はお金を持っています。億ションを保有している人もいるでしょう。社会的な地位や名声を持った人も当然多くいます。

それら(お金そのほか)は「実在」するものなのでしょう? 都市における経済は、右肩上がりで急速に上昇していきます。物価も収入もどんどん上がっていく。それは永遠に(右肩上がりで)続くものなのでしょうか? 何らかの巨大なクライシスに面した時、「お金」も「億ション」も「地位や名誉」も、一瞬にして霧散してしまうことはないのでしょうか?

人々が「現実」だと信じている社会は、もしかすると「バーチャル」の上に成り立っているのではないでしょうか?

農村の収入は、右肩上がり、とはいかないでしょう。いつまで経っても、ほぼ平行線のまま進んでいきます。収入の格差は、都市部と開くばかりです。

しかし、明確に言えることは、土地と資源は、都市の「現実」とは無関係に存在し、極端に増えはしなくても、消滅もしない(「資源」に関しては様々な影響を~汚染とかも含めて~都市社会から受けているでしょうが)、紛い無き「現実」の世界です。

都市では、給与とともに、物価も急速に上がっています。ここ数年で4倍になったなど、様々な報告がなされています。収入も横ばいでは取り残される。皆が右肩方向に上がっていかざるを得ません。

それに対し、農村部での物価は、筆者の知る限り、この10年20年の間に急激に上がったようには、とても思えません。上昇しているとしても、横ばいに近い、緩やかな右肩上がり程度、と言って良いでしょう。

もとより、農村と都市を同じ価値観で比較すること自体がおかしい。次元が異なるのです。

もしこの社会が、都市と農村が全く別個に成り立つならば、いくら格差があっても問題ではないはずです。農民は、横ばいのままの収入で、生活必需品に関しては、何一つ不足なく暮らせるのではないでしょうか。決して貧しくはありません。

筆者は今、30年間に撮影した膨大な量の写真を整理中で、そのほとんどは野生生物なのですが、人物の写真も少なくはありません。あることに気が付きました。都市部で撮影した人物は、大抵が無表情。それに対して田舎の人の写真は、老若男女皆が皆、満面の笑みを湛えているのです。その笑顔が物語っています、格差は本質的な問題ではない、と。


四川省雅安市宝興県隴東鎮東拉村

しかし、大前提があります。農村が、都市のほうを見ていなければ、という。問題は、農民の意識が、常に都市のほうを向いている、という事実。

都会の情報が入ってきます。インフラ、住居、食べ物、ファッション、、、全てが都会の方が魅力的です。しかしそれらは高額で、自分たちは手に入れることが出来るほど裕福ではない、という思い。そこに「格差」が生じます。

実際は、大して素晴らしいものではないのかも知れません。でも、そのことが分からないとしても、それは仕方がないことです。

バーチャルは、人を惑わせます。

例として一つだけ挙げておきます。ファッション。業界関係者には申し訳ないのですが、果たして人間にとって、どこまで必要なものなのでしょう?

衣服は、低温や外敵から身を守る、局部を隠す、ここまでは解ります。生物共通の、異性に対しての興味を引き付けるディスプレイとして必要、と言われれば、そうかも知れない、と思います。しかし、今の人間社会において実質的に大した意味を成しているとは思えません。

筆者は、基本薄着、というよりも1年中ほとんど同じ恰好(Tシャツ一枚)で過ごします。清潔さを保つことは大事なので、100円ショップでTシャツとブリーフと靴下を3セット揃え、常に洗濯、それとズボンを2本(1000円)、ポケットが沢山ついたサファリジャケット(1500円)、それらを年間通して使いまわしています。寒いときは、貰ったジャンパーを羽織ります。清潔でさえあれば、それで充分だと思う。衣食住の衣に関しては、年間3500円ほどの出費です。

しかし、どうやら多くの人々は、少し暑くなれば薄着をし、少し寒くなると次々と着込んでいるように思われます。予算もかなり割いているのではないでしょうか。

2度や3度の気温の変化でいちい衣服を変えていれば、筆者のように極寒の高山や熱帯のジャングルに行ったときに、どうするのでしょうか、、、、そんなところには行かない、と言われれば実も蓋もないけれど。
  
筆者は30年間、普通は一般人の行かない奥地の自然環境、いわゆる「秘境」を徘徊しています。ローカルバス、ヒッチハイク、徒歩(1日50㎞ぐらいは歩く)、むろんツアーなどには一切参加しません(この前の隕石探索が人生初めてのツアー)。

いわば、冒険家、探検家のように、、、、しかし実際は似て非なるものです(正直、彼らに対して失礼)。著者の場合は、好んで「冒険」しながら「秘境」に行っているのではありません。

たまたま調べたい対象が「秘境」と言われるような地(というより誰も知らない普通の地)に棲んで(生えて)いることから、そこに辿り着くために(なおかつ予算節約のため)、必要にかられて、仕方なく、さまざまな困難を伴う冒険まがいの行動を取っているだけで、秘境に辿り着くことと過程の困難自体を目的とする探検家・冒険家とは、根本的に異なります。

プラントハンターや、昆虫コレクターとも違います。いわゆる「珍しい生物」には興味がありません。身近な「普通の生物」の、例えばその祖先のような存在を探っている、と理解して下さい。「マニアック」と言われると、非常に腹が立つ。本人としては、極めて普遍的な、人類に役立つ活動をしていると信じているのです(笑)。

秘境に行くことも、途上の冒険もしなくて済むものなら、部屋の中で終日顕微鏡を覗いていたい(筆者のライフワークは蝶の生殖器の構造解析による系統考察)。夢は、熱帯の島のビ-チで若い美女に囲まれ、ヤシの木に吊るしたハンモックに終日揺られて過ごすことですが、いつか叶うのでしょうか?

話を戻します。

人類は、無駄を排除し能率を挙げることに力を注いできました。にもかかわらず、それとは別の無駄な存在、本来バーチャルでしかないものが、いつの間にか現実化し、それが基準となって、世界を覆い尽くしてしまっています。

「毎日同じ服を着て出社するのは、社会人として恥ずべきこと」などと言う人がいます。筆者には、どこからそんな発想が出てくるのか、さっぱり解りません。

多様なファッションを否定はしません。でも本来、そんなのはお金をかけなくても出来るはず。バッグにしても、100円ショップの「布製手提げ」と、何万円もするブランド品と、どこが違うのでしょう。

なに、全てがバーチャルな価値観だけで成り立った「偽物」に等しい、と考えても、さほど間違ってはいないと思います。集団催眠を利用した、合法的な詐欺のようなものです。しかし、現実には、世界はバーチャルな空間の中で完結してしまっている。それが基準となり、否定しようにも元には戻れません。

本来、田舎が下、都市が上、というヒエラルキーはないはずなのですが、バーチャルは、都市が上、という幻想を作ってしまいました。というよりも、社会が(無意識的に)そう仕向けているようにも思えます。

「虚=都会」と「実=農村」を、無理やり同じ土俵に上げている。その結果、中国の農民は、都市に出る(可能なら都市戸籍を得る)ことを、人生の全ての目標に置くことになります。

格差に問題があるのではなく、そのような方向性(格差を強調し問題にすること)自体が問題なのではないでしょうか?

今の中国にあっては、格差の「是正」ではなく本質の「認識」が必要。問題があるのは、「地方の遅れ」なのではなく、「都市のバーチャルな発展」なのです。

地方が地方のままで、収入が少なくても相対的に豊かで、皆が笑顔で幸せに暮らしている、、、良いことですよね? いや、国家にとっては、それでは困るのです。

中国は、大国を目指し、大都市を基準として、物価を上げ、給料を上げ、国民の総収入を増やすことに全力を挙げています。田舎が田舎のままで、少ない収入で幸せであってもらっては困ります。田舎という存在は無くさねばなりません。だから、収入の格差にこだわり、煽り、田舎の人々は、それに乗せられる。

中国の都市は、田舎が徐々に発展して成ったものではなく、無理やり作られた(深圳などは、その典型)といって良いでしょう。だから表面的には、豪華で、煌びやかで、近代的に見えても、中身は出鱈目で空疎です。

筆者は中国のほか、東南アジア諸国に行くことが多いのですが、それらの国々を歩いていて感じるのは、それぞれに大きな問題を抱えているにしろ、(インドやアフリカ諸国など、滅茶苦茶大きな問題を抱えている国々ともども)ベーシックな部分では欧米社会とはさほど違わない、世界レベルでの“普通の国”であるということです。

中国以外の多くの国は、田舎が主体になって構成されているような気がします。田舎の存在が認められ、田舎のままグレードアップしていく。全体が徐々に底上げするわけですから、繁栄の速度は遅くなります。

中国は、まず都市ありき、です。大都市圏だけが、一気に(かつ、身分不相応に、出鱈目なまま)繁栄し、お金持ちの大国になった。まあ、成金みたいなものですね。

田舎は田舎のまま生き続けることが出来なくなり、滅亡するか、都市に吸収されるか、そのどちらかしか、選択肢が残されていません。それが、今の中国の姿なのだと思います。

ちなみに、道程は正反対ですが、田舎を切り捨てることによって、猛烈な勢いで大国になった国が、もう一つあります。それは日本。

日本と中国だけが、世界水準から大きく外れているような気が、、、。もちろん、お互いに正反対の方向にです。両国とも、ちょっと“独自の方向に行き過ぎ”ではないでしょうか?


雲南省デチェン蔵族自治州維西リス族自治県立馬花



我が谷は緑なりき





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