★9月29日の記事に、いいね!その他ありがとうございました。
読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
・・・・・・・・・・・・
以下、書きっぱなし推敲無し(時間がない)の、支離滅裂です(内容は、冒頭部分を除いては表題とは余り関係ないかも知れません、笑)。
・・・・・・・・・・・・
あるいは、例えば、大逆事件でも良いのですが、、、。
「マスク」「ワクチン」
今の日本は、ナチス支配下のヨーロッパと、全く同じ状況にあるのだと、気が付いていない、、、。仮にそれとなく気が付いてはいても、それは自分たちとは関係のない“お伽話”“大袈裟な幻想”、、、。真面目に取り組めば、集団性自己中心者たちで構成される大衆(すなわち社会)からは、「知能が低い」「道徳心に欠けている」と無視・排除されるだけです。
ユーチュブで、ワクチン絡みの批判記事が(実質的に)発信できなくなってしまうようです。
それが、どれだけ恐ろしい事なのか、、、。
・・・・・・・・・・・・
昨日、一昨日と、裏山探索に行ってきました。出来るだけ歩き回らず、数か所に腰を落ち着けて観察するべく、弁当を持って行きました。6個160円のコッペパンに、3本75円のバナナと1個75円のファミコロ2個を6つに割って挟んで、一食100円計算。思ったよりボリュームあります。かなり贅沢です。
丘に入ってすぐの樹液の出るコナラの根元をベースに、入口付近の路傍に咲き残っているアザミの花を見て回ります。大型ヒョウモンチョウ類があと一種や二種やってくるかも知れない。
夏までは(5月14日にクモガタヒョウモンを一頭見たきり)数頭のツマグロヒョウモンを散発的に見たのを除き大型ヒョウモンチョウ類には全く出会わなかったのですが、秋口になって一気にツマグロヒョウモンの個体数が増え(これは多化性南方系種なので当然としても)、年1化で6月中旬に既に発生しているはずなのに全く姿を見せなかった他の大型ヒョウモンチョウ類も、相次いで姿を現しました。
まず、今年通算54回目の探索行の9月8日にミドリヒョウモンが、9月19日にメスグロヒョウモンが、相次いで出現、今(9月末時点)やミドリヒョウモンは、最も数多く見られる蝶のひとつになってしまいました。
両種とも、6月にも7月にも全く姿を見せることがなかったので、ほぼ諦めていたのです。でも、突然多数の個体が現れだしたということは、もしかすると他の大型ヒョウモンにも遭遇するチャンスがあるかも知れない、と淡い期待を懐いていたわけですが、いとも簡単に、期待通りに現れてくれました。
9月28日ウラギンヒョウモン、9月29日オオウラギンスジヒョウモン。これで、日本産大型ヒョウモン9種(「新しい分類で11種に増えたよ」という人もいるでしょうが、それについては後述)のうち、かなりの山地に行かねば出会えないギンボシヒョウモンと、ほぼ絶滅寸前の状況にあるオオウラギンヒョウモンを除く、東京近郊低地帯にも棲息している7種中(5月14日に一度だけ現れてそれっきり姿を見せないクモガタヒョウモンを加えた)6種が撮影出来たわけです。あとはウラギンスジヒョウモンだけですね。
ツマグロヒョウモンは問題ないとしても、写せたのが僥倖だったと言っても良さそうなクモガタヒョウモン以外の5種については、8月の時点ではほぼ諦めていたわけですから、予想外の展開です。ミドリヒョウモンは最普通種となり、メスグロヒョウモンの雌もかなり普通に見られます。
最も多く見られるのは、いつも行きと帰りに通っている、入口付近の(この間までヒガンバナが咲いていた)放棄田横の路傍ですね。ファミマの隣にあるアパートを出て順に、次のファミマ-セブンイレブン-ローソン-3つ目のファミマを通って、塩船観音寺の参拝所受付、その横のハイキングコース入口(そこまでは住宅街の中)の路傍に、春からずっとアザミが咲き続けています(普通に考えれば春の個体はノアザミで秋はノハラアザミなのかな?でもいつも同じところに咲いてるし、ちゃんとチェックもしていないのでよく分かりません)。
数か月に一度路傍の草は綺麗に刈り取られて丸裸になってしまうのですが、アザミだけは色が鮮やかなためか刈り取られずに残っているのです。
上記したメスグロヒョウモン雄初見個体(9月19日)も、ウラギンヒョウモン初見個体(9月28日)も、オオウラギンスジヒョウモン初見個体(9月29日)も、全て同じところです。アザミへの訪花が一番多いのはミドリヒョウモンで、数本のアザミに何頭もが群れ飛んでいました。大半が雄、全部相当のボロ個体(ほかの3種もミドリヒョウモン程ではないけれどそれなりにボロ)です。
ちなみに、春~夏には散発的にしか見られなかったツマグロヒョウモンも9月に入って一気に数が増えたのですが、やはり最初に出会ったのはこのアザミ。他の各種と異なり、本種の場合多化性(未チェック)なので、第2化以降の個体は新鮮です。
ヒョウモンチョウ類には余り興味はなかったのですが、改めて考えたら相当謎の蝶たちなんですね。
日本本土最初の絶滅種としてシジミチョウ科のオオルリシジミと「どちらが先に姿を消してしまうか」と、しょうもないところで覇を競ってるオオウラギンヒョウモン。危機の状況はかなり前から指摘されていたので、それなりに探索撮影を行っていました。
30年ほど前、大分熊本県境の阿蘇外輪山でも撮影しました(宗兄弟の一方とこけちゃいましたの人の車にヒッチハイクで載せて貰った話は前にしたと思う)。
ツマグロヒョウモンほうは、怒涛の出世ですね。衰退一途のオオウラギンヒョウモンとは対極の位置づけにあります。なんか、いつの間にやら東京の都市部における最普通種になっちゃっています。
僕が中学に入った頃(1960年前後)には、関西でもまだそれほど普通種では無かったように記憶しています。神戸の東灘区にあった甲南中学校の裏山の谷に居ると聞いて探しに行ったことがあります。
一方、オオウラギンヒョウモンは、当時に於いてはそれほどの珍種扱いにはされていなかったように思います。京都の伏見区と宇治の間の木津川の河原に探しに行った記憶(父親との唯一の外出)が薄っすらとあります。
この両種に関しては、明暗がはっきりと分かれてしまっているわけですが、他の大型ヒョウモン各種に関しては、正確なとことがよく分かっていないように思われます。繁栄しつつあるのか、衰退しつつあるのか、以前のままの状況を保っているのか、、、。そして「以前の状況」というのはどういう状況なのか?
例えば今手許にある27年前(奥付発行日1994.5.6)に刊行された蝶のハンディ図鑑(松香宏隆著/PHP研究所)*を見ると、例えばオオウラギンスジヒョウモン(オオウラギンヒョウモンではない)の項にはこう記されています。
>個体数は多くない。一見環境が変わっていないと思われる場所でも、なぜか近年ヒョウモン類は減少している。
*「カラー・ハンドブック/地球博物館No.1蝶」この小さな新書版サイズの図鑑、僕は大好きで、、、松香氏の簡潔的確な解説やコンパクトで統制のとれた生態写真も素敵だけれど、なによりも編集の岩橋順一郎氏による構成が素晴らしい! 「近所の蝶図鑑」も、これをモデルに想定しています。
ちなみに、この図鑑のオオウラギンヒョウモン雌の写真は、上記「こけちゃった」ヒッチハイクのときに写した僕の写真です。
オオウラギンヒョウモンについては、この図鑑の解説にはこうあります。
>乾燥した藪の無い草原に棲息。過去に多産地であった奈良県三草山では(野焼きを止めたことで)藪が深くなって絶滅した。
そうだ、思い出した、確か父親との唯一の小旅行の時も、最初に三草山に行って、それから宇治川堤防に回ったんだっけ、、、。
三草山にしろ、阿蘇外輪山にしろ、一言で表現すれば、最もつまらない貧弱な植生環境ですね。
オオウラギンヒョウモンだけでなく、シルヴィアシジミとかチャマダラセセリとかツマグロキチョウとかウラナミジャノメとか、、、日本で絶滅の危機に瀕している蝶の多くは、一般的な物差しで見れば実につまらない環境に棲んでいる。つまらない環境(ただの草原、ただの荒れ地、、、)が“原自然”として残っているとすれば、大変な僥倖であるわけです。そこは人間社会にとって無価値な存在でしょうから、もっとつまらない環境(文明的空間)に置き換わる。上手くそこに便乗出来た種は繁栄しますね。ヤマトシジミとかキタテハとか、ツマグロヒョウモンもその一つかも知れません。
上記の(日本で絶滅の危機に晒されている)各種ですが、例えば中国では大都市の市街地で発生していたりします(日本では“山地草原の蝶”として絶滅寸前のヤマキチョウの姉妹種も、中国の昆明とか成都などでは都心の真ん中に発生している)。
繁栄と衰退は紙一重なんですね。人間(日本人)の常識的物差しによる“環境の豊かさ”の指標に沿えば、上記の蝶たちの棲む環境は、一見極めて貧弱に見えるわけですけれど、それぞれの蝶たちにとっては、最も好適な環境なのかも知れません。
(話が飛躍しちゃいますが、笑)中東の自然環境だって、そこに根付いたイスラム系の社会構造だって、我々日本人の常識でもって、一概に否定するわけにはいかん、と思うのです。
ところで、よく分かっていない、ということでは、ヒオドシチョウの所でも述べたと思いますし(まだかも知れません)、ある意味モンキチョウでも、イチモンジセセリでもそうなのですけれど、いわゆる普通種ではあっても、未解明の部分が山ほどあるのですね。
例えば、周年発生経過について。別に特殊な種だけではなく、大抵の種について言えると思うのですが、、、、「年何化」と安易に判断して良いのでしょうか? 飼育下ではともかく、野生の状態では、様々な要因が折り入って、意外に複雑な様相を示しているような気がするのです。
移動(長距離/短距離に関わらず)とか、個体数の増減(一つの同一母系集団の世代ごとの個体数だって、ちょっとした圧力のかかり方で、例えば百単位から億単位の間で常にぶれていて、その“ぶれている”ということ自体が「正常である」という)とかの関与の仕方で、カレンダー的な進行をとるとは限らない。
ヒオドシチョウはもとより、大型ヒョウモン類も、夏のはじめに新世代成蝶が出現しているはずなんですけれど、僕はほとんど全く姿を見ていません。9月になって(「9月になればCome September」ボビー・ダーリン1961年の自作曲、歌ではなく本人の弾くピアノ、日本人受けするマイナーな曲調で、日本で独自の大ヒットとなったですね)、どっかに行ってた、あるいはどっかに隠れてた、そしてその間に何らかの事情でもって(特に雄が)ボロボロになった個体が、一斉に我々の前に現れる。
そんなわけで、“9月になれば”入口のアザミに何種もの(ボロ)ヒョウモンチョウ類が、次々とやってくるのです。“そんなに上手く行くわけがない”と思っていた、と先に記したのですけれど、訳は仕組まれていたので、上手く行って当然でもあったとも言えます。
アザミの花には雌もやってきますが、基本は雄なようです。もっともメスグロヒョウモンに関しては、最初 に見た雌は林の中、新鮮な個体です。同じ日(9月19日)、入口のアザミでボロ雄も撮影しました。この場所のアザミでは雄しか出会っていませんが、実は雌もアザミに来ます(ミドリヒョウモンなどでもそうだけれどこの時期の雌は雄よりはやや新鮮)。ただ場所はやや離れていて、丘陵に入って20分ほど進んだ、反対側の入り口の駐車場や簡易トイレの近くの路傍土手に生えるアザミ。ここに多数のミドリヒョウモンやツマグロヒョウモンとともにメスグロヒョウモン雌もやってきます。
一昨日(9月28日)トイレに行こうとそこを通ったら、数頭のメスグロヒョウモン雌が吸蜜に訪れていたので、撮影しました。ふと気が付くと、中に(一見薄汚れて見えた)別の大きな蝶が混じっていました。アサギマダラです。
霞丘陵周辺で出会ったのは、初めてです。この場所と入口の中間付近、運動グラウンド横の尾根道をほぼ毎回歩いていて、そこにヒヨドリバナが群落を作っています。ちょうど今が開花盛期です。アサギマダラは、このヒヨドリバナの仲間(知名度の高い種は秋の七草フジバカマ、同じ連の園芸逸出種アゲラツム=オオカッコウアザミなども含む)が大好きで、この花が咲いていると、必ずのように舞い降りてきます。
秋口になって、アサギマダラが来ているかも、と何度かチェックに来ました、しかしアサギマダラには出会えず、9月8日、ここで最初のミドリヒョウモンに出会ったわけです。その後も何度か訪ねたのですが、いつも来ているのはミドリヒョウモンだけでした。ここにはアサギマダラは居ない、とほぼ結論を出しかけていたのです。
アザミの花の数mほど上を、ふわふわと舞っていました。降りて来て花にとまるのを待とう、と思っていたのですけれど、そのままどこかに行ってしまいました。出来が悪くても写真を撮っておけば良かったです(一枚だけ超ピンボケ写真あり=撮影種数にはカウントしていない)。
いつまで経っても戻って来ないので、飛んでいた地点をチェックしてみたら、藪の中にちっちゃなヒヨドリバナが咲いていた。アサギマダラはヒヨドリバナ一択なんですね。ならば、近くにどっさり生えているわけですから、ここで写せなくても、そこに行けばよい。今頃、きっと沢山のアサギマダラが吸蜜に訪れていることでしょう。
なんと、きれいさっぱり、一株残らず刈り取られていた! 山肌全体がツルッツルです。クロッカスとか、栽培植物が逃げ出して咲いてるものだけが、ぽつんぽつんと残っている。雑草は全て刈り取られてしまっています。むろんヒヨドリバナも。
いや、今回に限ったことではないのです。春以来、霞丘陵一帯(たぶん日本中)どこも同じです。せっかく野草(概ね所謂雑草)が咲き競って、蝶も沢山やってきそうな状況になったと思ったら、そのつどきれいに刈り取られてしまう(逸出園芸植物、およびアザミのような目立つ花を例外として)。
人間が手をかけたものは大切に、勝手に生えてきたものは排除する。分かり易いですね。
いや、もちろん僕だって一応理解できるんですよ。人間にとって利用可能な(必要な)空間は保持、リスクは排除、、、それを全面否定はしません。人間が生活していく上に於いて、ある程度は当然なことでしょうから。
雑草が生い茂ってしまうと、山道も歩けなくなってしまう。「道」を確保し続けるには、年に何度か整備しなくてはなりません。それはそうでしょう。でも、なんだかなあ~、という想いがあります。山道ってのは、常時歩いていれば、整備することもないわけだし。それはともかく、ここまで完璧に丸裸にしなくとも良いのではないかと。
「里山」「雑木林」「山地草原」、、、、それらの存在の持つ意味(由来なども)を、今一度、深く考えてみたいのですね。
この、「アパートの裏山の蝶探索シリーズ」の最初の辺りで、“マルバアオダモ”について取り上げようとして、そのままになっています。凄く大きなテーマなんですよ。それでもって、一歩踏み出すことが出来ないでいる。
関連事項を、断片的に、少しだけ取り上げておきます。
「里山」の概念を、最初に一般メディアを通じて(具体的な作品で)広く紹介したのは僕である、という自負(とまでは大袈裟かも知れんけど)があります(1987年「ギフチョウ」あかね書房)。
里山は、人間によって構成管理され、放っておくと遷移が進んで消滅してしまう、よって常に人為による調節が為されなくてはならない。それは分かるんですよ。里山は人類(ことに日本人)によって為された、自然界における素晴らしい発明です。だからこそ、その根源的な部分(現実の一つ向こう側にある基本的問題)を凝視し続けなくてはならない。
無数の人々が里山について語っています。しかしその思考の出発点は“人間によって構成された「里山」”です。里山が、どのように作られていったかに触れる議論は、僕の知る限り為されていないのではないか、と思われます。
人間がアレンジメントして里山を作り上げ、それを管理し続けることを否定的に捉えるつもりはありません。しかし「里山」の未来を正面から考えるためには、人間が関わることで存在する里山と、人間が関わる以前に存在した里山(それを構成する生物の本来の姿)を、今一度、双方向的な視点から、俯瞰的に捉えて行かなくてはならないと思うのです。
里山の起源、人類が関わる以前の里山の構成要素、それは把握可能な空間ではなく、個々の素材の動きの連動として表現されるものです。例えば急峻な地形、風衝地、河川氾濫源、山火事跡地、年間季節の遷移、、、といった、動きによって齎された“実態なき実態”です。地球の、永劫的な気候の変貌と、それに伴う生物たちの移動と定着の繰り返し。「動き続ける極相」が、その主役であるわけです。
動かすのは人間ではなく、様々な、例外(無意味な事)を本質とした、外的な要素です。
・・・・・・・・・・
雑木林を(人間が管理せずに)放っておくと照葉樹林になってしまう、、、と言う事で、ボランティアとかを募集して、疑似里山生活の再現(というか陳列)を行っています。一斉草刈りもその一環ですね。ロープを張って「今、環境保護整備運動中なので、許可なく立ち入らぬように」とか、なんか矛盾したことやっています。
萌芽更新林の維持とか、薪炭林の復元とか、、、それらはウインドウショップの陳列物ではないのですから、 実際の活動の中で結果として生み出されるものです。里山・雑木林・山地草原が「陳列物」としてではなく、人間社会の中軸に成り立っていたのは、そこで実際に生活が行われていたからです。そこには(現代の価値観からすればたぶん)“屑”と見做されるであろうネガティブな要素も大量に混在していたはずです。その「無価値な存在」を無視・排除して、「美しい日本」みたく、いいとこ取りしようとしているのが現在の日本です。
科学・文明の発展による様々な「人類の英知」の御蔭で、里山・雑木林・山地草原とかは、実質お払い箱になってしまっています。それを、綺麗ごとを並べて、形だけ残そうとする。止めちゃえばいいのです。自然は人間のペットではないです。照葉樹林に戻しちゃえば良いのです。
2つの次元に於いて、問題ないです。
好適環境(冷房とか)が完備され、インフラが完備され、医療が完備され、、、、自然の脅威、、、台風、豪雨、猛暑に地震、、、有害ウイルスに、殺人スズメバチ、、、、何だって、人類の英知をもって徹底管理すりゃ良いわけですから。
それと、照葉樹林になっても、里山・雑木林・山地草原、、、は残ります。直接人間の役に立つべく用意された空間ではないけれど、「動き続ける極相」としての素材は全部残る。それが、人(の都合)ではなく、風や日や水によって動いて行くとしても。
科学の発達で、何もかも(冷房とかワクチンとか等々で)コントロールできるんだし、はっきり言って、本物の風とか光とか雨とか、要らないんでしょう? だったら、見世物の様に、「自然の産物」を陳列棚に入れてパフォーマンスに勤しむのは止めて欲しい。
それか、いっそのこと、文明をストップしてしまえば? 里山の生活に戻れば良いのです。それなら僕も大賛成です。
もう一度、そこから考えて行こうと。
・・・・・・・・・・・
以下はAnother Storyです。
ウラギンヒョウモンについての訳注が必要ですね。
近年DNA解析で、従来の日本産ウラギンヒョウモンは、3種に分けられることになったそうです。具体的なことについては僕は何の知識もないし、それで良いのかも知れないと思いますが、本質的な部分に於いて、違和感を覚えます。
同様に、例えば同じ北半球(ユーラシア)広域分布種のエゾスジグロチョウとか、熱帯広域分布種のキチョウとかも、近年はDNA解析に基づいて、日本産を複数種にしていますね。
しかし、想うところ(この言葉好き!)あって、僕は同意し得ないでいます(少なくとも決定は保留しておきたい)。
この“想うところ”というのは、結構大きな思いです。単に気紛れの思い付きではありません。僕の全人生(大したことないか、笑)をかけての想いです。「コロナ問題」「差別問題」等々、全てに繋がってきます。
と言う事で、「ウラギンヒョウモンの種分割」については、軽々しく書きたくはない、敢えて曖昧な記述をします。
その話とは無関係だけれど、ウラギンヒョウモンにはオオウラギンヒョウモン、エゾスジグロチョウにはスジグロチョウという、東アジアに固有の分類群が存在するわけですね(概念の違いで、姉妹集団ともアウトグループとも位置づけられる)。そのほかのいろんな蝶でも似たような組み合わせが、、、、おっととと、、、止めましょう、そういった話は、紙に書いちゃ真意が消えて価値が無くなってしまいますから。
種の分類(種ほか分類群の分割ないしは捉え方)というのは、いろんな立脚点から光を当てて行くことによって、いろんな異なる事実が浮かび上がってくるのですね。
無数の異なる次元での組み合わせ。体系的な解析が不可能で、俯瞰のみが到達し得る手段。類型は曖昧であってこそ成り立つ、という事です。
まあ、僕が何を言おうとしているか、分かって貰えない事でしょうが、、、。とりあえず僕はウラギンヒョウモンを一種として扱っておきます。別に3種でも良いし、実際(光の当て方次第では)そうなのかも知れないし。でも、問題は、それが事実かどうかという事なのではなく、種というものをどのように捉えるか、と言う事なのであって、、、。
反マスク、反ワクチンが僕の立場なのだけれど、別にそれ自体に反対しているわけではなくて(コロナの脅威自体は認めるし、別にマスクもワクチンも強制されたらします、笑)、それによって為される空気の形成に対する違和感、と軌を一にしている、という事です。
・・・・・・・・・・・・・
一昨日の写真。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/f3/0bd45aded9df14a25d632850d90779aa.jpg)
キチョウの交尾。コリアス草原からモンキチョウが姿を消して久しく、一方、キチョウは(モンキチョウの様に世代によって大量発生することは無くても)ずっとコンスタントに発生を繰り返しているようです。モンキチョウ、キチョウ、それぞれの周年発生経過は、それぞれ興味深いことだらけです。まだ越冬には早い時期なので、このペアはこのあとどう過ごすのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/77/35fc3a0f75c8b23868ad1d4ce9879474.jpg)
ウラギンシジミ(たぶん非越冬型の)雄。長い間、雄の開翅中の写真が撮れないでいました。飛んでいる時は、翅裏面の銀色が煌めいて良く目につくのですが、、、。止まって翅を開くと、鮮明な赤がかえって枯葉などに紛れ込んでしまうのですね。やっと、目の前で翅を開いた個体をカメラに捉えた。珍しくスムーズに作動しています。何枚もシャッターを切って、その最中、以前のヒカゲチョウの時のように設定間違えたりしてないだろうか、いちど画面チェックしておこうかな?いやまさかそんなことはないだろう、とチェックせずにいたら、その「まさか」でした(笑)。何故か、直前に設定が変わってしまっていて、せっかくの写真が色違いになってしまっていた。あとで補正を施して何とか見れるようになったのですが、本来はもっと鮮やかな赤なのです。それにしても、勝手に設定を変えてしまう(使用者への忖度に基づいている?)カメラには、腹立たしい限りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/40/046ca9d9f885bc71e34577c49f7bdb4a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a2/0006e79a3e9ff0d56f97d6c6268b8c56.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/db/92aad095cce89650e94466cff2ffe231.jpg)
ミドリヒョウモンの求愛と交尾。雌雄とも結構ボロになってから交尾するんだ、、、。親蝶になってから2~3か月は経っていると思うのですが、それまでどこで何をしていたのでしょうか? 当然そのまま拒否し続けるのだろうと思っていたら、ちょっと目を離している間に交尾して、なおかつ、マヌケなことに、蜘蛛の巣に引っかかってしまいました(そこに他の雄が求愛に来て、長い間三頭でジタバタしていた)。やってはいけない事だとは分かっていましたが、(僕は蜘蛛よりは蝶のほうに愛着があるので)解離してあげました。蜘蛛には悪い事をしてしまったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/cd/3e5a7041c34a907de1b5b1eb325b0293.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/eb/ddab52feba4b314e7e7e2e0fc4b295fe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/0d/e9ef81be0f29c598ee606418539c2490.jpg)
ミドリヒョウモン産卵(附:ツマグロヒョウモン産卵)。入口近くの樹液が出る木に隣り合って生えるコナラの木。大型ヒョウモン類の食草はスミレですが、卵を直接食草に産み付けることはしません。ミドリヒョウモンは、高木の太い幹の樹皮に産み付けます。一方、ツマグロヒョウモンは地表の他植物の枯れ枝などに産み付けます(写真下/東京都瑞穂町2021.7.18)。他の各種はどちらのスタイルなんでしょうか?(たぶんミドリヒョウモン・タイプが主流?それにしても、卵が孵ってから食草に辿り着くまで、ずいぶん距離があります)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/98/7d97a1221fb0010184dfdb2131ffa5bf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/1f/77cfafbecf01a0ac759f951d9c11eceb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/bc/6883dd4db2790410cdea27923cf1547c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/43/2d2c3734cab67a779e8a5ca38fa66de5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/80/52dc4c4c771c452e40f13b13bb7479db.jpg)
中国の(日本産と同一種の)大型ヒョウモン各種も紹介しておきます。写真上から、
ウラギンスジヒョウモン/雲南省梅里雪山明永村2011.8.11
メスグロヒョウモン(雄)/広西壮族自治区龍勝県芙蓉村2009.5.20
ミドリヒョウモン/四川省全天県二朗山2010.8.10
クモガタヒョウモン/広西壮族自治区龍勝県芙蓉村2009.5.20
ウラギンヒョウモン/雲南省梅里雪山明永村2011.8.11
*メスグロヒョウモンとウラギンスジヒョウモンは、それぞれ日本産とは雄交尾器の形状が異なります。しかし種としては同一種と考えておきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/13/177c6e3de6a9e3100cdf3d0e7377e25c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/d1/139e603d8d11efc40abf7eaf73ed44df.jpg)
ヒメジャノメ(附:コジャノメ)が現れました。春以来、霞丘陵で見るヒメジャノメ属の種は、全てコジャノメだったのですが(それも非常に多く)、ここにきて初めてヒメジャノメが姿を現しました。本来ならより普通種であるはずのヒメジャノメが、これまで全くいなかった。霞丘陵七不思議のひとつです(あとの6つはこれから考える)。ちなみに、下写真はコジャノメ。4月23日、最初に撮影した個体です。今回撮影した上写真のヒメジャノメは、全く同じ場所(1mも離れていない?)に出現。それも不思議です。
・・・・・・・・・・・
去年の暮、パソコンが壊れてしまって途方に暮れていた時、友子さんの父上に買って戴いたパソコンを使っています。
>これを使って、昔やっていたように、日本の蝶の写真を写して仕事に結びつけるように。一からやり直しなさい。
その言葉を念頭に置いて、「裏山探索」をスタートしたわけです。
今日は友子さんの60歳の誕生日です。
全く偶然なのですが、昨夜段ボールのひとつを整理していたら、1994年(最初の方で記した松香さんの「カラー・ハンドブック」と同じ年ですね)に刊行した、牧林功・解説/青山潤三・写真の「ポケット図鑑:日本の蝶(成美堂出版)」というのが出てきました。30年ぶりに見ました。
この時、同じ出版社の同じシリーズで「日本の高山植物」も担当していたものですから、僕自身はそちらのほうにかかり切りになっていて、蝶のほうは、友子さんに写真を全部預けて、丸投げにしていたのです。牧林氏は、根気よく写真をピックアップして本を完成したのですね。
日本産全種がほとんど僕一人によるもので(一部借用写真あり)、今思えば、よくもまあこれだけ写せたものと、我ながら感心してしまいます。原版が劣化してしまってはいますが、上手く処理すれば何とか使えるようになると思います。
今回の分と併せ、新旧40年を挟んだ写真で、新たな「ハンディ蝶図鑑」作戦に挑戦してみます。