子どもの声を聴くことと〈ゆとり〉が必要
権利条約が提起する「新しい子ども観」とは、どんなものでしょうか。子どもたちは保護されるだけではなく、養育されなくてはいけません。のみならず、子どもには参加の権利がある-権利の行使主体、小さな市民なんです。参加とは、まず子どもの意見を聴くことです。そうして、大人と子どものいい関係を築いていく…。
私は「語るは“かたる”の始めなり」とごろ合わせで言います。「かたる」は熊本弁で「参加する」「仲間になる」ですもんね。
先人たちの素敵な言葉があります。
「子どもはだんだんと人間になるのではなく、すでに人間である」(コルチャック)
「子どもの声は聴くに値する」(大宮勇雄)
〈ゆとり〉がなければ、子どもは育ちません。スクールの語源は「ひま」です。教師は「ひま人」でなきゃいけない。今でもこの原理は大事。
いじめや不登校に直面した時は、もつれた糸をきゅっと引っ張ってはダメ。子どもの声を聴きながら、ほぐして解決しなきゃ。また、勉強の分かりの遅い子は、時間をかければちゃんと分かってくれます。
デンマークには、「ギャップ・イヤー」という制度があります。高校を出たらすぐに大学に行くのでなく、自由と経験が保障されている。浪人でもニートでもないんです。