現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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生き急ぐ、死に急ぐ

2013-05-28 | 日記
死に急ぐとは、しなくてもいいのにそれをしたがために死んでしまうことである。それでは生き急ぐとはどういうことか。これもまた、いまはそんなにしなくていいと思われるようなことを必要以上にしすぎたために生きていることを終わってしまうようなことである。死に急ぐからできた言葉だという。要するに仕事を張り切りすぎたということか。これはよく考えてみるとどちらも寿命を全うしたようなことで、急いだわけでもないが、はたから見ればそう見えたことになる。そんなに無理をして体を壊すようなことであったのが通り越して死に至るわけでもあってどうしたかと死んでからまわりが述懐することである。どちらであっても寿命だったとすれば死に急いでも生き急いでも変わりはなかったことである。しかしどうしてこんな言葉ができたのだろう。これも気にいるようなことではない。も と言うのは死にざまからできたといわれる生きざまと話して来たことに似たような続きようだからだ。気にいることでなければうっちゃればよいがそうはいかないこともあってしぶしぶ書くようなことである。 . . . 本文を読む

述語と話法  日本語の文法について その36  述語16

2013-05-28 | 日本語文法
日本語に話法はあるか、ないというのがその答えだ。はたしてどうか。ない、となると議論の要はないが、それでは、ないとならないことを見てみる。直接話法と間接話法なら聞いたことがある。それは引用によることだ。しかし日本語文法ではそれを特徴づけるものはない。あるとすれば引用符号を使うか使わないかでかき分けるなりする。その書き方で符号を外してもぼうびきの会話スタイルを小説の文体などで見かける。そこに文法の法則が働いていても、話法としての特徴はない。 すると話法とはそもそも何か。説明を求めれば、他人の言葉を伝える際の種々の様式のこと、口から発した発話だけでなく、心の中で思った思考内容も含まれる、とフリー百科事典では解説をする。そこには加えて、そのため発話と思考を合わせて言説、discourseと呼ぶ者もあると注をつけ、さらにまた引用という用語で代用する場合もあるとなる。言説引用と話法と文法の区別がつかないのが日本語である。 . . . 本文を読む

文法のいろいろ

2013-05-28 | 日本語百科
ほんとうにいろいろであるからそれが一つであるような説明はそうしたことだろうか。学説の名前を付けて文法論があるとそれは論があるのであって文法は一つだというような反論が出てくる。それもその限りでは言語現象で日本語なら日本語ではその通り、一つの文法がはたらいていると解釈できる。しかしその日本語文法でも文法論に5大、3大文法または学説とかあって、そのほかに規範文法と言い、これは学校文法とすることがふつうであって、そこに教育文法とかいうと、その文法は文節文法だよと説明したりしてそれは橋本文法とどう違うのかと思ったりするから、文語文法、口語文法、古典文法、現代文法となかなかわかりにくくなるようなことで、そのとらえ方が一つだと考えをまとめるのは普通の人々にとってはかなり大変である。しかしそれだけではないのである。言語における探求はさまざま側面を見せてその限りで分析をしていくと文法また文法論はその立場方法によることになる。 . . . 本文を読む

いきざま、しにざま

2013-05-28 | 日記
使いにくい言葉だ。くわえて、やりざまとつい言ってしまってこれはどうしたことか。遣り様だろうが。やりようといえばそれなりにわかるところ、仕業とも言いたかった。しわざである。いきざまを言われてそれは使わないから死に様だと言って見せてこれも、しにようのことだなと思ってそれは生きたあかしなんだろうかとふと思っている。死に際に何を見るか、何を見せるか、そういうことなんだろうか。辞書によれば死ぬときの様子が死にようだとそのまままであり死に際となるとその死んだのはどうして死んでいったかを説明するようだ。死に方が取りざたされるのはその生きようが良くないものであったのか、それとも普通に死んだのではなくて劇的にとか運命に翻弄されてとかそういうことか。しにざまという発音がきつく意味に与える何かがあるならそのざまにあるのだろう。様を見ろとかなんとかいうたぐいだ。そこで死に方や死にようではなくて死に様なわけだ。ざまぁみろはともかく死に様は良い意味では使われないのか、あるいはそれを補うために生きざまが使われるようになったというのが辞書の説明のようだ。 . . . 本文を読む

139  声をかけてください  

2013-05-28 | 日本語新百科
日本語誤百科 12ページ  お声掛けください を、例題にしている。お声掛け と、ください の組み合わせで、その意味が、声を掛けてもらうことであって、相手を呼び止めて、ちょいと、もしもし、というようなわけである。ことば自体にあやまりがあるわけではないので、待遇用法の適不適に議論がある。この声をかける行為が自発的に行われるならまだしも、相手に対して用があるときにこちらの方から言うのを、逆転して、用がある人から言ってくださいというような要求をすることになって、その場面に応じた物言いでは用法が難しいことになる。つまり、サービスを売る側が、そのサービスについてまず、お声掛けをください というように、言ってみれば、サービスを要求しろというようなことになる。だから、サービスを買う側になると、まずそちらから応対をしてくれ、というようなことだ。とくに、お声掛けください の場面は、黙って突っ立ているか、振り向きもせずに通り過ぎてゆくか、極端に言えばそこに誰もいないのである。新たなサービス商法に客に付きまとうことを避けるような応対が行われる場合があってこの語の必要性もあるのだろうか。 . . . 本文を読む