現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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言文二途  日本語観5

2013-07-16 | 現代日本語百科2025
日本語が言文二途であることは言文一意運動を見てその歴史をさかのぼると、それは話しことばの断片と書きことばの記録を対比するようなことになる。漢語を入れて日本語とし和語と対比して記録するならどのような文体が生まれたか。和漢混交文体においてそれが現れるのでまとまった言語資料には平家物語などを思いつく。それはまた鎮魂を謡う口頭表現であったもの文字にして伝えようとした。日本語であるならその資料のままに言文を推測することにもなるが、和文体で書かれたものを言文一致とみる考え方もあるので物語文学や女流日記などに捉えることになる。しかしこれはそのような文体が文学作品のひとつに現われたということであって、書きことばはやはり取り入れた漢文日記があったので、その事実は言語の状況として言文二途である。しかし日本語観としてはどうとらえていたかの意識を探るのは困難でるが、言と文とが日本語であったこと、それはどこからわかるか。 . . . 本文を読む

179  衣服をまとうことから

2013-07-16 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 831  両者の確執に身をやつす を、例題にしている。身をやつす という慣用句が、両者の確執 と意味内容が合わないとコラムは解説する。やつす の意味が古語で理解すると、その衣服をまとってみすぼらしい身分になったときなどに用いるし、憂き身をやつす となると、熱中して身も細る思いのようになる。それが、身をやつす 身もやつす となって用いられると、あまりよくないことにかかわってしまうことが多くなる。両者の確執を、兄弟げんかのような仲裁というようなことになると、不和が起こったりして、身が細る思いとなる。コラムは、確執 の意味を解説しないが、確執に夢中になることはない というのは、よくわからない。確執に思い悩むことはある。用例を検索して、たしかに姿を変えている様子に使うことが多いので、外見の変化に表現を見るこの語は身をやつすとなったときにその 身 という語に強調されることになってしまうのだろう。 . . . 本文を読む

言語と思想  言語観4

2013-07-16 | 日本語百科
言語と思想についての研究を言語観に取り上げる。人間の思考は言語に規定されているか、、言語が思考を決定付けると主張すると見なされているウォーフは、言語は認識に影響を与える思考の習性を提供すると述べているようである。サピアとウォーフの仮説として知られる。言語相対説にあって、1930-40年代には言語学以外にも、議論された。1921年、言語-ことばの研究序説を著わしている。チョムスキーの普遍的生得説が対立することにもなる。この議論で有名な色の問題は、虹は何色だと聞けば即座に七色と答える日本語で、どうしてと聞くと、せきとーおーりょくせーらんし、と言うので、その覚え方で実際に見たか数えたかと確かめるようなことである、わたしたちの言葉に色は、光の関係だけで、あか、くろ、しろ、そしてあとひとつあるのが、あお、というようなことを説明したりする。これは明らかに、言語観だろう。概念また思考を先に持つ所に一方で言葉を与え、一方でまた文字の体系をを与えているのである。 . . . 本文を読む