ハイブリッド車を見ていろいろ質問しようとするがトンチンカンになってしまった。新車を見たくて出かけたわけだが、いいなあと思って、その一方で、その語源を知って、ウイキペディアには、ラテン語でイノブタを意味するHybrida ヒュブリダ、とは、笑えてくる、2つまたはそれ以上の異質のものを組み合わせ一つの目的を成すもの。そこでもう少し見ると、日本語としてこの言葉が使われ始めたのは1960年から1970年代のハイブリッド計算機を、そのまま混成回路と呼んでいたようでもある。生物学、コンピュータ計算機、そして動力となるのがハイブリッドカーだ。そして語源、文化、スポーツ、商用手法、風俗とその範囲は広い。 . . . 本文を読む
語るに難しい。辛酸を嘗めるとはこういうことか、官職を得るとはどういうことか。実際に行われた20%しか描いていないと、監督は語った。それは―― 農場といい砂漠のなかで夫の死体を探す、上海から来た妻にゴビ砂漠の墓場を教えてしまう。土饅頭を一つ一つ、砂漠の風に吹かれながら手で土を掘り起こす。堀りだしては確かめる木札に書かれた名前、埋められたのはどこか、誰か教えてと叫ぶ。妻は収容所の宿舎、壕の中で眠りから目覚め、シャベルをのぞむ。死体を埋葬した場所に案内をすることになる。それは食糧にかえるために誰かに衣服をはがれ尻をえぐられた無惨さをさらして打ち捨てられていたところだ。妻の嘆きに荼毘にふす。そして脱走を企てる二人、力尽きた師から、まことに師と思うなら言いつけを聞け、早く逃げろ。そのまま砂漠では凍えてしまう。労働改造所の過酷な情況だ。 . . . 本文を読む
シチセキ
2013-07-07 | 日記
1919年7月7日はカルピスの誕生日だそうだ。そしてあのパッケージは星のマークだから、そうなんだと、天声人語を読んだ。そこで七夕のことが書いてあった。早速に調べて、シチセキでは七夕と漢字変換をしない。七夕とでるのは、たなばた と、入力したときだ。棚幡とも書いた。お盆行事でもあり、笹は精霊、祖先の霊が宿る依代、よりしろである。精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であると説明がある。五色の短冊の五色は、五行説にあてはめた五色で、緑・紅・黄・白・黒をいう。必ず上弦の月となるので、これを船に見立てることもあった。そして夜遅くには月が沈み、月明かりにかき消されていた天の川が現れてくる・・・
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日本語観について、西洋人の日本語発見に、記述の引用がある。ゴロブニンは、日本幽囚記 を書いた。1816年である。魯西亞人艦長であったが日本人に捕えられ、1811年に取り調べを受けている。えぞ松前、野作と書く、野作松前に派遣された通訳は光太夫にロシア語を習っ、馬場佐十郎であったが、獄中のゴロブニンについてさらにロシア語を学んだという。艦長ゴロブニンの手記には、日本国及び日本人論 があり、そこに日本ついての当時の様子を記している。日本人の礼儀、勤勉はそれまでの宣教師たちの見方に通ずるが、興味のある記述は日本が外に及ばない幕府の政策を近隣する東洋諸国は典型があったと感謝しろというような言及である。日本国民を、聡明犀利、模倣力、忍耐強く仕事好きと評して、自国の大帝が統治するに比してのその日本国民の将来を慮っていることである。その観察は幽囚されているににありながら何を思ったのだろうか。日本語の観察の鋭さに同様の思いを持つ。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 826 コピペな上に大うそ を、例題にしている。コピペな という言い方ができるかなと、検索すると、ヒットしてコピペな上に とあった。類似表現に、丸パクリなうえに というのもあった。問題な日本語の、~な の用法である。この用例は一つの現象を示している。コラムはコピペを解説して、他人からの 引き写し という言いかえを提案する。引き写しの作業を具体化すると、すべてを引く、部分を引くと言う過程で、コピーは自在であるし、ペーストもデジタル上であるなら随意のところが可能であるようになった。コピペが何か、辞書にも記載されるようなになってきた言葉である。コピペの技術、複製と転写は進化してその状況は想像を超えるようになった。コピペの略語にふさわしく手軽な行為として可能になったことが実は大問題になると言うことに注意がいる。それを日常で経験するデジタル時代だから、その対応策をどう考えるかだろう。 . . . 本文を読む
国学について日本思想史に詳しく述べるところがあろうが、蘭学、漢学を対比すると言うときに、その流れを見ておく。儒学があったというには正確ではないが、漢学のその流行の盛衰のうち、朱子学がもたらされた16世紀の末から17世紀にかけてのこととしてその前史をたどる。朱子学を批判した陽明学もこの流れをつくる。17世紀になり江戸初期のことである。朱子学派と陽明学派であった。そこに17世紀中ごろから末にかけて、古学が提唱される。古義学派、古文辞学を生み出す。そして18世紀になって文献実証の学とともに、ここに国学が起こり、国学の四大人と称される人があいつで登場する。本居宣長は国学の大成者である。解体新書の翻訳に見るように実学として浸透し始めるので、蘭学はさまざまな抵抗を起こす。蘭学はこの江戸の中期に18世紀の初めころから盛んになる。 . . . 本文を読む
認知言語学が1970年代に起こりその分野で認知意味論が唱えられた。すでに4半世紀を超えるのでその認知も広まった。認知はそもそも概念を利用しているとわたしは見たので心理分析はともかくさまざまに手法が出てくるとそれぞれに議論枠の中のことだと感じていた。だから概念としてのカテゴリーと認知のプロトタイプを相反するもののような当初の議論には反論があったが、それはまた、意味論の研究がまだ見られないなかではなばなしく言語学に押し寄せたような気もした。概念を古い枠組みとしてみるのはよいがそれはそのままで役立つのは形式論理学が持つ外延と内包の操作で論理操作も可能でわかりよくするところもあったからであるが、どうもそういう議論にはなっていなかった。概念作用、概念操作という脳の働きを実体を見つけにくいものとしてしまったようだ。認知の手法で意味分析をしていくとそれ相応の言語経験をもたないと解析された事柄を理解するのは難しいのである。特に外国語学習にそれをもって説明するのは認知しない人に認知をあるかのように見せることになるので危険だと感じたことがある。 . . . 本文を読む