西洋人の日本語発見より、露西亜への漂流民の記述を紹介した。講談社学術文庫版のあとがきによると、これは1989年の創拓社版にはなかったのを補訂している。ポルトガル人、オランダ人、アメリカ人らの日本語観、日本語研究を取り上げていたもので、それにロシア人が加わった。四海より臨む日本を取り囲む周辺はそのかなたに人知れず流れ着いた人々の世界があったのである。日本に宣教、貿易のためにやってきた人ではなく、漂流して過酷な状況でやむなくその運命を受け入れたものであろうが、生き延びた人たちの異郷の地での活躍は決して見過ごされない。日本語教育史の視点には留学生教育をすえるものではあるけれど、また布教のために日本語をかの地で教えてきた人たちも多いことだろう、そのなかにあってロシアからヨーロッパへ、そして革命にあって、パリからアメリカ大陸へと日本語の関心は運ばれていく様子はそれを知るものとして何ほどを感じるであろうか。 . . . 本文を読む
日本語観として、ものは辞、言霊思想、宣命、文章経国を見てきたが、いずれも言葉の、こと、わざ、である。古代において言葉が事端であったかと思わせる日本語観にはもう一つの宣揚がある。それは、大和歌を言う。やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり . . . 本文を読む
海の日
2013-07-15 | 日記
海の日、休日だ。国民の祝日に関する法律によって定めている。海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う、そうだ。この日に出勤をして仕事とあいなった。これもまた祝日法の改正により、いわゆるハッピーマンデー法のためであるというと、なんだか、ややこしい。学年暦が予定されるときに月曜日休日が多くなってこの日だけが授業回数の不足のあおりを受けた。それでほかの授業日との調整で月曜日の休日返上と相成った。さらにほかの日においても授業日が優先されている。月曜日休みが多いのは、大いに助かるが、その他の振替で仕事となるのはいささか、どうだろうか。世界でも珍しく、海の記念日から海の日になって休祝日となっているのに、その日をまた出勤するとは何とも中途半端なことだ。 . . . 本文を読む
日本語誤百科 31 ページ お金の心配はかかりません を、例題にしている。お金がかかりません、また、心配をかけません という二つの表現をとることになる。それを、お金の心配 としたために、かかりません と、かけません とを、混交している。話題の は を使っているので、お金の心配については費用がかかりません というような言い方をしていることになるので、お金の方に意味内容がある。これを、お金の心配をおかけしません というつもりで、お金の心配はおかけしません となると、心配する気遣いだけの表現にも見えて、実質、費用が問題になるかどうかがわかりにくい。また、この例題を、お金の心配がかかりません とすると、微妙なニュアンスで心配がかかることを告げることになる。留学をを延長すると、お金の心配がかかります、というような具合だ。 . . . 本文を読む