日本語誤百科 29 ページ 経費削減が至上命題だ を、例題にしている。命題を、命令、課題と混同していると解説して、経費削減をすべきだ とすればよいようだが、これは命題にはならないという。命題の意味を、命題文だけに限定してしまったようだ。この意見は早くから指摘があるようで、哲学用語だと思っていた向きには、かく言うわたしがそうなのだが、そのとおりのことで、ドイツ語の哲学用語は日常語から理解できるなどと読みかじっていたものだから、範疇だの止揚だの難しげなな翻訳語はそれなりに理解が必要だとおもいつつ、日常語になることもあるだろうかと思っているので、命題がお題目のことになっても何ら不思議なことではないから、辞書などにもそのニュアンスを説明するようになっていて・・・ . . . 本文を読む
現代日本語にあって日本語の伝統を思う。古代の言霊は受け継がれた。どこにか。延喜式にある祝詞である。儀式における言葉となった。集侍はれる神主・祝部等、諸聞食せと宣る、祈年祭の冒頭である。その文体は宣命体と言われる。幸わう国の儀式は宣命として、続日本紀には、697年、文武天皇の即位時のものをはじめとする宣命が収録されている。757年3月25日の孝謙天皇宣命の転写が正倉院文書につたわる。天皇 我 大命 良末等 宣 布 大命 乎 衆聞食 倍止 宣。そこに現われたのが日本語の書き方である。その文体を宣命体といい、その表記法である宣命書きとは、体言用言の語幹を大きな字で書き、助詞助動詞、用言の活用語尾などは、万葉仮名で小さく右寄せで書く方法であり、乎、乃、波などを一定して使っている。
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言語観が問われたのは言語過程説が提唱した言語本質観である。それまでに言語の本質を論議し言語観を説くものがあった。それが国語学原論によって言語構成観として批判をしたのだから、それは何かというようなことになった。あからさまな意見は国語の伝統的な解釈を進めた国語史によるものであっただけに、それはを明解であった。その言語観がソシュールを相手にしたのは学界の知識を揺るがすことになる。いまだにその解明がなったは言えないだろうが、少なくとも翻訳による学説の修正、批判は高まった。そのすべてを見渡すことは修正に修正意見が出されたりするので、難解な訳語を用いた、一般言語学講義に拠ることになる。その翻訳に新版がある。 . . . 本文を読む