ニュースに目を引くものがあった。初めてだからということである。しかし、それはまた、はたして何を招来するものであろうか、と。そのニュースに合わせて、関東の地域での放送であったが、日本語学校支援がなくなったことを報じていた。支援事業のひとつには大阪府のサイトがある。詳しくその概要を知ることができる。大阪府/日本語教育学校支援事業について www.pref.osaka.lg.jp/kotogakko/nihongo/ また、愛知県の支援基金のサイトがある。日本語学習支援基金 www2.aia.pref.aichi.jp/kyosei/j/kikin/ 公益財団法人愛知県国際交流協会 交流共生課 さらに、横浜市のサイトを見ておく。
横浜市国際交流協会(YOKE)日本語学習支援事業 www.yoke.or.jp/8nihongo/8nihongo_gakushu_shien.html
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文法観がある。それを探ってみると、>象徴的(記号的)文法観、>まとま りを持った 「文法観」 という ものが, 学校英文法、>教育文法観、>日本語教師の文法観、>自分なりの文法観、>中級以降では複合辞や機能語を教えるという文法観がある、>新たな文法観が提示されて、>定形=動詞重視の文法観、>言語観・文法観、>教育のための文法の成立と発展 ―1970年代~80 年代前半の文法観とその後の展開、このように用語例がヒットする。日本語教育では文法観が捉えられ、言語教育に言語観があるようである。日本語教師のページ、用語検索マンボウでは言語化、文法観、に加えて構文観とまで解説をするし、その名称を山田文法、橋下文法、時枝文法、松下文法と挙げている。このような文法観とはなんであるのか、また言語教育にある言語観とは何をとらえているのであろうか。それは具体的な文法体系を解説する理論、学説によるというものであろうから、それぞれの、観、を言うことになる。はたしてそれは文法観であり、言語観であるのか、いま少し立ち入って議論する必要がある。
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