現代川柳『泥』第四号
評者とは、まったく自分勝手である。作者のこころの10分の1さえも読めずにいながら、作品になんの遠慮もなしにメスを入れてくる。全く無責任である。
立ち上がるたびに零してしまう海
ひかりあうために逢うこと話すこと
風になる前に花くび切り落とす
<動詞・・・に・・・動詞>、この表現法は、時として作品を緩慢にするきらいがある。
あまり、読者に想像させる糸口を与えずに、全てを言い尽くしてしまい、余情に浸ることなく、終わってしまう。
自分は、いつもこのようなことを、繰り返しているだけに、ことさらのように気にかかる部分でもある。
視覚に訴える部分が、非常に大きいことをも考慮に入れるならば、表記へのこころくばりをも一層大切に、そう願わずにはいられない。
ともすると説明調に陥ってしまいがちな表現からの脱出法となると、これはもう作者自身のあくなき探究心に委ねるしかないのだが。
一例をあげるとするならば、意味を調節するための誇張、緩叙、形を調節するための省略、黙説、構成を調節するために逆説、諷論などを積極的に取り入れることによって、作品により一層深みが期待できる。
テイ子作品・・ぽあんぽあん・・・から
豊かな感性の持ち主は、時としてその感性に振り回されてしまうことがある。
感性の乏しい自分から見ると、非常にうらやましい悩みに思える。
作者の持っている感性に、従いて行けない場合に、読み手は、(この作品は、難しいとか、さっぱり解らない)などと言う。
おそらく自分は、その最たるところに位置する。
桃を剥く指よ裏切りはなかったか
感情のおもむくままに、一気に吐いた作品なのだと感じられる。おそらく推敲をしなかった作品のひとつなのではなかろうか。
・・・・よ・・・か この表現法が、作品の安定感を欠いている。
けっして、この作品が百パーセントいけないと言うのではない。
たとえば、(よ)という助詞を削除してみたらどうだろう。これだけで、作者の吐こうとした意図からかけ離れてしまうだろうか。
< 並び順どおり記載 > 共食いの一族ありて地は雪に 不凍
共食いの男女を見てる断末魔
評者とは、まったく自分勝手である。作者のこころの10分の1さえも読めずにいながら、作品になんの遠慮もなしにメスを入れてくる。全く無責任である。
立ち上がるたびに零してしまう海
ひかりあうために逢うこと話すこと
風になる前に花くび切り落とす
<動詞・・・に・・・動詞>、この表現法は、時として作品を緩慢にするきらいがある。
あまり、読者に想像させる糸口を与えずに、全てを言い尽くしてしまい、余情に浸ることなく、終わってしまう。
自分は、いつもこのようなことを、繰り返しているだけに、ことさらのように気にかかる部分でもある。
視覚に訴える部分が、非常に大きいことをも考慮に入れるならば、表記へのこころくばりをも一層大切に、そう願わずにはいられない。
ともすると説明調に陥ってしまいがちな表現からの脱出法となると、これはもう作者自身のあくなき探究心に委ねるしかないのだが。
一例をあげるとするならば、意味を調節するための誇張、緩叙、形を調節するための省略、黙説、構成を調節するために逆説、諷論などを積極的に取り入れることによって、作品により一層深みが期待できる。
テイ子作品・・ぽあんぽあん・・・から
豊かな感性の持ち主は、時としてその感性に振り回されてしまうことがある。
感性の乏しい自分から見ると、非常にうらやましい悩みに思える。
作者の持っている感性に、従いて行けない場合に、読み手は、(この作品は、難しいとか、さっぱり解らない)などと言う。
おそらく自分は、その最たるところに位置する。
桃を剥く指よ裏切りはなかったか
感情のおもむくままに、一気に吐いた作品なのだと感じられる。おそらく推敲をしなかった作品のひとつなのではなかろうか。
・・・・よ・・・か この表現法が、作品の安定感を欠いている。
けっして、この作品が百パーセントいけないと言うのではない。
たとえば、(よ)という助詞を削除してみたらどうだろう。これだけで、作者の吐こうとした意図からかけ離れてしまうだろうか。
< 並び順どおり記載 > 共食いの一族ありて地は雪に 不凍
共食いの男女を見てる断末魔