目まぐるしく変わる「高度情報化した社会」
私達の生活は、それで本当に便利で豊かになったのだろうか?と、いう類のエッセイやコラムはずいぶんお目にかかりはしたのだけれど・・・さて、答えはというと全肯定も全否定も出来ないのが、これまた世の常なのかも知れない。
「この間ね・・R大学に行っている息子がね・・父さん!新聞とテレビの情報だけで政治や経済の流れを知ろうとしたって、ほんのさわりの事でしかないよ。もっとインターネットで何が真実なのか、何処が出処なのか、もっと探求しなければ本当のことなどは解りはしないんだよ!って、息子にとくとくと、教えられていたのよ・・・。」
友人とのちょっとした会話の抜粋である。
どこの家庭にもある、わが子が大人の門をくぐりかける年代の一シーンでもある。
ひとりの親としては、とても複雑で眩しいことでもある。
「まだ息子には負けはせん!」という自負は多少あったとしても、このネット社会においては、どこの親にとっても娘、息子には到底適わない情報の機器でもあり、情報のミスマッチの危機でもあるのだ。
先般、民主党党首選挙の前々日、田中真紀子氏を小沢一郎氏が料亭へ招いて「党首選挙に出馬してくれないか?」という要請があり、真紀子氏は「小沢さん!私よりあなたが出るべきだ!」と伝えたら「わかった」と、小沢氏が応えたという。
情報の出処は真紀子氏である。
そんな料亭での会話の受け答えまでもが瞬時に報道にリークされ、ネットの記事になってしまう。
そんな情報はマスコミとの「相乗り」ではないのだろうか?
「一体情報とは何だ?」と、頭を抱えてしまうのだけれど、ここは、アメリカの情報の定義をネットで調べてみる必要があると思い検索を試みることにした。
あった「情報とは、インテリジェンスの略である。」「いろいろな情報を収集しながらきちんと分析できる人のことをインテリジェンスという。」
妙に納得しながらそのページを読み終えた。
日本人の情報の定義は一体何だろうか?
朝から晩まで政治家や世相をあーだこーだの核心のあるニュースなのか論調なのか・・・まったくのお子様ランチボックス的な重箱の突き合いが情けない。
かの美しき日本語を雨で濡らすのは情緒があっていい時もあるが、ただ、わーわーとコメント合戦しながら視聴率にこだわるテレビ界。
こんな世相の情報の鳥たちは、何が真意であるかさえもおぼつかない「利害だらけの相乗り情報化」あたかも、お遊戯ごっこのようにも見えるときがある。
川柳は、案外こんなところで出番を待っているかも知れません。
情報攪乱時代にあって、せめて川柳くらいは攪乱に騙されず、錯乱もしない社会情報のご意見番の位置は決して揺らぎのないものでありたいと切に願うことしきりです。
情報は分析力。改めて自分に言い聞かせているところです。
久保裕美子