「千の風」でおなじみの新井満氏
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千の風になって ~ 新井満 |
のチャリティーに行って来ました。
新井氏が昭和39年新潟地震で被災された時の18歳の日記の朗読を聴きながら。。。
又、泣けた。
千の風を創るべくして創れた背景が・・・ これだ!
マグネチュード7・7を体験した高校の教室での大惨事。
ガラスの破片が突き刺さって泣き叫ぶ級友。
波打った廊下と校舎。
信濃川の水がなくなっている。
その後不気味な音を出しながら5mもあろうかと思う津波が背後より襲ってくる。
足元は、流氷が割れていくように地面が割れ、人が呑み込まれていく。
この半日の恐怖がその後、嫌、死ぬまで自分の中から消えることの無い体験がまだ、夢に出て来る・・・と、講演で淡々と語る。
その後、精神から肉体を蝕んで十二指腸潰瘍で大腸に大出血して一命を取り留めたけれど、経過が悪く一年大学留年、保養に努める。
84kgあった体重が1年で半減。
今もやせたまま・・・
大学復学後も誰も自分だと気付いてもらえなかったと言います。
高校時代は相撲部で優勝もしたこともあるという。
現代ではこの症状をPTSDと呼んでいる。
彼のお母さんは産婆さんで1000名以上の命を取り上げたそうです。
濁流から逃れて泥だらけで家に着いたとき、ガタガタになった我が家の二階で、放心しきった母がぼんやり立っていたといいます。
知らない内に肌身離さず持っていた持ち物が、苦手な泥だらけの数学の教科書だったと・・・あとで、我に返ってその時の無我夢中の自分が・・・今も、記憶から消えることは無い・・・とおっしゃっていました。
翌年は、「東京オリンピック」浮かれている余裕も無かった。
私が、新井氏に着目するのは、あの広告競争の最先端を走り続ける「電通」という会社で、定年まで勤め上げたという堅実な実績。
その中で書籍出版・数々の受賞・千の風が世界で100人以上カバーされている。前人未踏。
それにしても、一サラリーマンがその数々の功績におごることなく、サラリーマン生活を捨てず、定年まで勤め上げた事が・・・・何よりもの私にとっての人間的な魅力であります。
この震災の体験が・・・なまっちょろい名声に浮かれることなく、次の山を確実に見据えて次々と芸術の頂点を極めてゆく・・・・ただいま、悠々と印税で暮らしていける老後は「人生設計において、大変緻密でクリエイティブですばらしい!」
彼から新潟の誇りでもある「良寛さま」の話題も出てきます。。
ちなみに「良寛さま」をいいという人には私は親近感が湧くのです
私の母方のルーツが山形。父方が佐渡。
この両方に縁のある方が良寛さま。
偶然か必然なのか・・・自己分析を今している。(なーるほど)
新井氏がPTSDによる自己喪失感「自殺願望」の頃のお話がとても興味深かった。
大学の校舎の屋上から飛び降り自殺をしようと思ったけれど出来なかった。
「お母さんの顔が浮かんだから?」・・・ちがう!
「死ぬのが怖くなったから?」・・・ちがう!
・・・それは、その屋上の鉄柵を登りきる体力が無かったから・・・
「死ぬという行為も・・・・体力が必要だとしみじみ感じた(笑)」
新井氏はポツリ笑う。
上智大学のすぐそばの四谷の川べりに(私も好きな風景)レンギョウ(連翹)の黄色い花が一面に咲いていた。
それを見ながら「この世には、こんなにも美しいものがあるんだ。」
と、死を止まったという。
そして、啄木の一握の砂の句集より
「大という字を百余り砂に書き死ぬのをやめて帰り来たり」
新井氏は空に千回・・・大の字を書いたそうです。
彼がなぜここまで時代の寵児に君臨し続けてこれたかが・・・。
見えてきた。
函館大沼を終の棲家にしたのも・・・何かのえにし(縁)偶然ではない。
啄木が生前、「この函館で死にたいと思う」といふ一節が・・・浮かぶ。
新井氏に死線を超えたものをいつも感じていた。
新潟生まれの新井氏。
(私も佐渡の血が流れているので・・・前世で祖先が知り合いだったりして。。。???そうだったらいいなー。。。)
それから、芸術ホールいっぱいに映し出された、函館の明治40年と昭和9年の大火の写真とビデオ。
函館の半分が焼け野原の様相を見、・・・東北大震災とも現実味が重なって来た。
新井氏は言う
「自然は人の命も奪うけれども・・・人に命を吹きかけてもくれる表裏の関係である」・・・と。
ずしりと旨みのある講演。詩の朗読。ちょっとだけ歌。啄木が遭遇した函館大火のエピソード。
新井満氏の・・・森羅万象、満ダーランド。。。
充実感がある方なのです。大人の魅力でもあります。
次の「ラストワルツ」も、地味に・・・ヒットしそう。。。
死生観を歌にパッケージするのが絶妙。
ニーズは100パーセントになりうる。
そういえば、上智大学は日本で一番早く授業に死生観を教示した大学ではなかったろうか?(日本人がきちんと問題意識をもてない苦手な分野)
ついでに、アルフォンス・デーケン氏を思い出す。新井氏と重なる。
A・D氏にツーショットでそっと抱かれた時の大きな温かさを思い出す。
死ぬと言うことは、そう悲しいことではない。。。ごく自然な当たり前のこと。
いずれこのときのお話は、記述しておきたい。
菅原明子の「一期一話」 アルフォンス・デーケン 1 of 3<button class="vspib"></button> |
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●ゲスト アルフォンス・デーケンさん(哲学博士・上智大学 名誉教授) www.youtube.com/watch?v=gEkdPY99XSw |
昭和9年函館大火の記録映像 1934年3月21日<button class="vspib"></button> |
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* 函館市で大火。24186戸焼失、2166名死亡。 * 東日本で暴風雨。727戸倒壊、50名死亡。 1934 3.21 Fire in the city of Hakodate. 24186 ... www.youtube.com/watch?v=hr3-c35Koms |