https://www.youtube.com/watch?v=TO4jn3HGI84 コブクロ桜
今朝コブクロの音楽を流しながら、キッチンの整理整頓を2時間ほどして出社。
昨日よりずんずん通勤路の桜たちも色づいて来た。
昨日姪のMちゃんが中学修学旅行の引率で来館した。勤務上の時間制約もあり、昼食を娘と夫とお寿司を食べ五稜郭の外堀と、松陰町の桜並木を見て別れた。
職業上、すぐに生徒の元へ帰っていったが帰り際、私が大好きだった義兄の7回忌の話もそこそこで別れねばならなかった。
「おばちゃんねー。。。私今年で46歳になったの。お母さんが亡くなった年なの。私の年で24歳の娘がいるなんて私には考えられない(笑い)。。。」
「あーーーそうかー・・・それにしてもあなたは若すぎるわ!。。。でもお母さんもお父さんもベットで寝る事もなく一瞬で逝ったのは子供孝行なことだよね!」私
「私もそう思うよ!仕事抱えながら両親を看病するなんて大変だから。。。」M
「ところで、久美子ちゃんも(姪)亡くなる3ヶ月前に函館に来て満開の五稜郭の桜とこの松陰通りの桜を見て、最後に生まれ故郷で亡くなったお父さんの病院も見れて嬉しかったと手紙もらってたのよ。。。」私
「そうだってねーーー」M
外科の看護婦さんで、亡くなる2ヶ月前まで外科手術を担当して、56歳で亡くなった久美子ちゃん。
釧路ではたくさんの患者さんに誠心誠意尽くし、妻としても母としても祖母としても頑張りすぎた久美子ちゃん。
葬儀の遺影は五稜郭の満開の桜の木の下で私が写したものだった。
父親も30歳そこそこで膀胱がんで亡くなった。久美子ちゃんも膀胱がんで亡くなった。
大好きな父を助けられなかった悔しさが彼女が看護婦の道を志した動機だった。夫も自慢の兄だった。
釧路から函館に来るたび、父との思い出の場所や、荼毘にふされた葬儀場など行きたがり、いつも大粒の涙を流し自分を癒していた久美子ちゃん。
私は、6年前直腸がんの手術後だったので・・・・お互い励ましあっていた。
医者の無用心。看護婦の無用心とはこのことだ。。。。
彼女は、仕事を休みたくないばかりに膀胱から出血がありまずは、自分の信頼できる開業医のところへ行った。
普段から頑張る彼女を知っていた医師は「疲れから来ているだろう少し様子を見よう」ということになり、様子を見ていながら「もしかして?」と、
膀胱がんを疑った彼女は、大学病院へ行き手術を受け人口の膀胱をつけた。・・・だが華奢な彼女は徐々に様態が悪化してついに旅立った。
術後彼女の美しい文字(父も美文字)で、函館の桜の美しさや、遺してゆく息子孫たちや母のこと妹のことを案ずる手紙をもらった。
彼女は生前「人間の開腹した臓器ほど美しいものは無い。まるで宇宙の縮図が体内にあるようだ。。。」と、言ってはばからなかった。。。
生涯、優秀な父親の残像を追いかけていた人生だったと思う。
久美ちゃんが荼毘に付される前、自宅の前に車は止まった。そのすぐ隣に色違いのお屋敷が2件続いていた。
その向こうには大きな病院があった。
開業するときそこの院長先生が久美ちゃんを欲しくて自分と同じ家を建てて、一緒に働いて欲しいと、そこまで嘆願され一緒に病院の発展に尽くした彼女。
理想の男性も世界一好きな人も父親だった。同じ病気で死ぬのも因果なものだ。。。
・・・・・・と、コブクロの「桜」を聞きながら、あのツィギーのようにか細長い久美ちゃんを偲んでいる。
折りしも、彼女の祭壇を飾ったのも長男であった。(独立してフラワーアレンジメントが職業)
昨日、久しぶりに逢った姪のMちゃんとも久美ちゃんの話題に少し触れた。
「叔母ちゃん・・・前は250人の中学の生徒だったけれど・・・今「上美生」(かみびせ)という少人数の中学なの。
だけど、自分のマンションから車で30分くらいのところだけれどとてもきれいなところ。。。今度、ネットで見てね!」M
「上美生・・・なんて・・・すごくいい地名だね!!こりゃー・・いつかブームになるかも!!」私
「人生顔をしっかり上げて美しく生きなさい!」と、言われているようだ。。。
桜は生も死も同時に併せ持つ代名詞のような季語だけれど・・・上美生は地名そのものが代名詞に感じる。
上美生・・・・・の地名に出会って二日目。・・・・他人のような気がしない(笑い)
今日の日ハムは・・・吉川投手。札幌ドーム・・・・たのんまっせ。。。桜のように散るな! 上美生でGO!!ざんす!!