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翔ぶ勇気・・・池さとし

2008年01月16日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

 川柳だけに限ったことではない。文学は溌剌とした精神の若さにこそ存在するということを、明確に意識するべきである。

 常に前へ前へ進む気概・姿勢なくして、今日の川柳を語ることは出来ないのではなかろうか。
 
         既存の思考や手段、枠組みを否定するわけではない。

 むしろ、それらの諸要素を十分認め、かつ咀嚼した上でそのことをベースに、更なる積み重ねをする。

 あるいは又、その枠の外に飛び出してみる勇気も、これからの川柳界には、一層必要になってくるような気がしてならない。

 つまり、川柳をつくるという行為は、非常に数多くの反省的思考を繰り返しながらも、その場に定着をきめこむのではなく、未来へ向けての情熱を象徴的に発信していくひとつの証でも言い表せるだろう。

 カオスの状態、そんな中からの萌芽はというと、やはり開拓、発見というような人間の本能的な闘争心の発露があってこそ、確立されてくる。

          川柳という十七音字の短詩の世界。

   音楽の世界にいろいろな分野があるように、川柳とて例外ではない。

 千差万別と表現してもいいくらいの、様々なかたちの川柳が毎日量産されている。

 さまざま傾向の川柳が存在するのは、当然のことであり、お互いにそのことを充分認め合って今の川柳界は成り立っている。

               言うなれば共存であろう。

   21世紀の川柳などと言うと、何か非常に大袈裟に聞こえるが、

    コトバを変えると「現在を生き抜く川柳」と言うことでもある。

 川柳の働きには、いろいろなファクターがあり、そのいずれかと、川柳人は深くかかわり合いを持ちながらの日々である。

                            続く・・・。
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