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アテルイ(蝦夷アイヌ酋長)の評価・・・二例

2008年08月21日 | 川柳
ミュージカル「アテルイ」公演の成功を祈る
京都 清水寺 貫主 森 清範

 本年めでたく「わらび座」が創立50周年を迎えるにあたり、岩手県の作家・高橋克彦氏の『火怨』を脚色したミュージカル「北の燿星 アテルイ」を8月8日を初日として一年間、「たざわこ芸術村」劇場で定期公演されます。そして平成14年は「アテルイ没後1200」の記念の年にあたり、岩手・宮城両県での公演、さらに翌15年は一年間をかけて北海道から九州まで全国公演が予定されており、熱烈に歓迎いたすものであります。


 さて、ここに私が一文を呈しますご縁は、いわゆる東北の「蝦夷」と戦った坂上田村麻呂公が当山の創建にかかわる大本願であったからであります。


 田村麻呂公は、宝亀11年(780年)妻室の安産を祈願して参詣し、妻室とともに霊験あらたかな清水の観音の大慈悲を信じ篤い観音帰依者となったのであります。
 一方、平安遷都を実行した桓武天皇は東国経略をすすめましたが、高い独自の文化を持ち勇敢な彼らに中央政府軍は大変苦戦を続け、ついに延暦20年(801年)坂上田村麻呂公が大将軍となり四万の兵を率いて出兵、激戦をくり返す中で、武闘第一主義の無理を看取して宣撫と民生に力を注ぐ政策をとり、アテルイ側もそれに帰順したために、田村麻呂公は、「蝦夷」の大将アテルイと副将モレらを同伴して京都に帰り、朝廷に二人の人物・武勇を惜しんで助命と東北経営に登用すべく嘆願をいたしましたが、残念ながら受け入れらず、両雄は非業の最後をとげたのであります。


 そこで、田村麻呂公は、この二人の霊と敵味方の大勢の御霊を清水寺観音御宝前にその誠を呈し祈念し重ねたのであります。


写真:京都清水寺にあるアテルイ・モレの碑
 平成6年、平安遷都1200年を記念し、水沢・江刺一帯の方々と関西胆江同郷の人々により、当山南苑の聖地に「アテルイ・モレ顕彰碑」が敵味方の恩讐と1200年の時間を超えて建立されました。まさに鎮魂の碑であります。


 私たちは、この「アテルイ」の公演を通して、これまでの中央からしか見てこられなかった歴史観を見直し、現地から文化や人間性を発信する意味を深く汲みとらなくてはならない。そして歴史は単に過去の記述のみではなく、そこに生きた人間を彷彿とさせ、未来に向かっての創造的生き方を共に学ばなければならないと考えます。


 最後に、ミュージカル「アテルイ」の全国的公演にあたり、より多くの方々に参観いただきますよう切にご成功を祈念申し上げます。            合掌。

 

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