ぶらっと歩きの際、たまたま出会った発掘現場です。水戸市だけでも、発掘調査が1年間に200ヶ所を越える年があるようですが、私などはほとんど気づかないようです。。
二中見晴らし台入口付近の発掘調査(三の丸2丁目 36°22'26.5"N 140°28'52.9"Eあたり)
平成27年8月に見ることができた発掘現場です。石組みの水路や、カワラケが見えます。水戸城は、すでに70次を越えた調査が行われているようです。城内一帯は掘れば何かが出てくる場所なのでしょう。
大手門瓦塀発掘調査(三の丸9)
平成27年10月の写真です。この時、門の北側にある2列の瓦塀が発見されたそうです。平成29年の調査で南側の瓦塀も確認されたそうです。写真手前に見えるのが、2列目で後方の瓦塀です。その左側に見える逆L字型が1列目前方の瓦塀です。明和1年(1764)の水戸城火災で城郭の多くが焼失したので、その再建のために焼かれた瓦がつかわれたらしいとのことです。
史跡の発掘調査(市営柳河町住宅向かいあたり)
平成31年10月の写真です。住宅建設の際に発見されたようです。こうした作業もお年寄りのよいアルバイト兼、生涯学習になっているようです。
柵町発掘調査(36°22'16.6"N 140°28'49.1"Eあたり)
令和2年4月の写真です。下層に朝比奈弥太郎屋敷が、上層に川崎倉庫があったようです。写真は下層部分のようです。このあたりには、中御殿や重臣クラスの屋敷が並んでいたようです。朝比奈は、幕末の争乱で市川三左衛門とともに諸生党のリーダーだった人で、最後は八日市場の戦いで戦死したそうです。川崎倉庫は、水戸藩士だった川崎八右衛門が築いた川崎財閥系の企業だそうです。その後は丸高製氷になったそうです。発掘時に建てられていた表示板を見ると、こうした発掘調査は専門の会社が行っているようでした。今はすでに埋め戻されて、プラウドマンションが建築中です。
囲裏窯跡発掘調査(見和1丁目 36°22'48.5"N 140°26'37.6"Eあたり)
きのう撮ってきた写真です。盛り上がっているのは切り株です。写真奥の崖下に沢渡川があります。小字(こあざ)名・囲裏(かこえうら)をつけた登り窯跡(のぼりがまあと)の遺跡だそうです。七面焼きとほぼ同時期の窯だそうですが、陶土の精製はそれより悪いそうで、日常品を焼いたらしいとのことです。ただ発掘はこれからで、まだよく詳細は分かっていないそうです。段差が至るところにある水戸は窯を築くには適しているようにみえますが、土の性質で穴が崩れやすかったでしょうし、良質の陶土があったかという点でも、製陶にはどうだったのでしょう。