奉侍廿三夜供養(日吉神社 酒門町1432)
文化9年(1812)。境内にある石造物群の中にあります。「月廿三日」「男女」が読めます。23日に建立されたようで、普通なら吉日とするところですが、二十三夜の供養なので23日という表示を選んだのでしょう。下が埋まっていて読めませんが、「男女」の後には、〇○講中という文字があるのでしょう。この講中は男女が一緒に参加していたのでしょうが、こうした書き方は初めて見ました。上部には、雲に乗った日と月が刻まれています。「廿」は二十と読みます。
廿三夜尊(中丸町36°23'08.5"N 140°24'33.1"Eあたり)
文政2年(1819)「十一月」とあります。二十三夜塔の建立は、11月が多いそうです。Y字路の角の部分にあります。道祖神的な発想があったのでしょうか。
二十三夜供養塔(鯉淵東薬師堂(鯉淵町862-1)脇)
文政6年(1823)。石造物群の中にあります。これも11月の建立のようです。「東講中」とあります。鯉淵東を略したのでしょうか。
二十三夜(開江町36°24'02.7"N 140°23'53.4"Eあたり)
文政6年(1823)。道路脇の広がった歩道のあたりにあります。これは2月の建立のようです。
廿三夜塚(藤井町36°26'31.7"N 140°24'18.8"Eあたり)
文政8年(1825)「十一月吉日」とあり、道しるべを兼ねているようです。下方の左右に、「左石塚」「右太田」とあります。上方にある梵字はサクと読んで、勢至菩薩をあらわすようです。これもT字路の角にあります。