今回は、好文亭奥殿にある紙張り壁です。好文亭は、戦災と落雷で2回焼失したそうですが、復元されているそうです。たぶん、紙壁も初めからの姿なのでしょう。写真は好文亭奥殿の見取図です。
見てまわった限りを写真のように表示してみました。緑色が紙壁で、茶色が土壁です。部屋の内と外も表示しました。紙壁の場合、周囲に黒い木枠がついていますので、わかりやすいと思いますので、好文亭に行ったときは気をつけて見てみてください。写真のもとになった好文亭の見取図は、好文亭にあったパンフレットのものです。
弘道館にも紙張りの壁があります。3.11で被災して修復したときに、廃棄する古い壁紙をしおりにして記念品として配ったようです。弘道館の紙壁の中には、土壁も板壁もないということでした。確かに、中に何もないからなのでしょう、修復後の地震で、紙壁にしわができている部分もあるようにようにみえます。一方、好文亭は、中に土壁か板壁があるようです。この違いは何なのでしょう。
わびさびを意識した茶室は土壁が多いのでしょうが、武士の部屋は白壁が普通だと思います。それが好文亭では、土壁のままがたくさんあるようで、いかにも斉昭らしいといえそうです。また、漆喰の白壁にしないで、紙壁にしたのは、費用を惜しんだというより、早く仕上げるためというほうが事実に近いのでないかと思うのですがどうでしょう。壁紙の紙漉きを特注するということは、当時としては、決して安いものではなかったのではと思うからです。
梅、竹、清の間は、明治になって移築した部分だそうですが、紙壁なのはそれだけではないので、はじめから奥殿の半分の部屋は紙壁だったのでしょう。菊、桃の間は厨(くりや 台所)だったそうですが、ほかにも土壁の部屋があるので、厨のために土壁だったというわけでもなさそうです。松の間が藩主夫人の間だったようなので、上級者の部屋を白壁のようにしたのでしょうか。
なぜ紙壁なっているのかということについては、2種類の壁の部屋がはっきりと2分されているようなので、それが一番大きなヒントのような気はするのですが…。