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水戸の見て歩き

水戸の酒の話(25)

2023-12-12 20:37:20 | 水戸

6ヶ条の申し合わせ書
 徳川光圀は、水戸へ隠居して後、江戸にあった大日本史を編纂する史館(彰考館)を水戸城二の丸に移したそうです。江戸史館では退出時に酒が振る舞われていたそうですが、水戸でも同様だったそうです。でも、江戸とは違って無骨で真面目な武士がそろっている水戸城中では、酔態を見せてはいけないということらしく、そうしたことなどに注意して自粛するため、6ヶ条の申し合わせ書が作られていたそうです。写真は、水戸城二の丸跡にある彰考館跡の碑です。

 

市川翁介
 光圀お気に入りの臣下に市川翁介(おうすけ)という人物がいて、御使いによく遣われたそうです。ある時、御使いに行った先で、翁介を困らせようとしたらしく、三汁十一菜の料理が出たそうですが、箸がついていなかったそうです。翁介は小柄(こづか)を抜いてお膳の縁を削って箸を作り、料理を残さず食べてしまったそうです。そのあと中酒(食事後に出る酒)が出ると、杯では面倒だ、膳にあるものに残らず注ぐようにと給仕に指図して、皿などまでにも酒を注がせて、少しも残さず飲んでしまったそうです。翁介は礼法を知っていたらしく、箸の先は2,3分(6-9mm)くらいしかぬれていなかったそうです。

 

久木久敬
 明治の評論家・久木独石馬(ひさきどくせきば)の祖父・久敬は水戸藩士だったそうです。維新後、新政府から大警視(後の警視総監)就任の要請があったそうですが、断ったそうです。もし引き受けていれば、「薩摩警部に水戸巡査」という言葉はなかったかもしれません。藤田東湖の妹を妻とした久敬は、酒豪だったそうで、同じく酒豪の東湖とは、酒量を競って痛飲したそうです。

 

茨城日本酒めぐり
 10日にエクセルみなみ6Fで「茨城日本酒めぐり」がおこなわれていました。いばらき地酒バーオープン1周年記念の企画のようでした。20~30cc入り小コップに、11枚綴り1000円のチケット1~3枚で試飲ができるというスタイルでした。蔵元の人と一緒に、16酒蔵の銘酒が3種類ずつずらりと並んでいました。水戸からは明利酒類と吉久保酒造が出品していました。16酒蔵の外に、火災にあった結城酒造の酒もあったようです。

 

杯燗器?
 引退した高等学校校長先生たちが焼いたという、陶悠作品展が10月に偕楽園公園センターでおこなわれていました。中に、たぶん杯燗器だろうと思われる作品がありました。下の壺に炭火を入れて、上に置いた杯の酒を温めるのでしょう。もみじの葉をくべれば一層風流かもしれませんが、保温程度でしょうか。

水戸の酒の話(24)


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