「大塚の民俗」(前島信著)という本に、禁忌のものとしてあげられていました。以前は、こうした生活をしばるいろいろな規制のようなものがあったのでしょう。多くはしつけ的なものだったり、宗教的、縁起かつぎ的なものだったりするようですが、?的なものも多かったのでしょう。写真は水戸八幡宮の大イチョウです。
宅地内にビワ・イチョウは植えない
実のなる木は、実の落ちるのを首が落ちることを連想させるからとか、「成り下がる」で縁起が良くないからとかいわれるそうで、庭木として嫌われたようです。また、寺社に植えられる木々も、「位負けする」などといって避けられたようです。
夜は塩と言うな、浪の花と言え
夜、塩を買いに行って、塩を下さいというと、在庫があってもありませんと店の人は答えたものだとも聞いたことがあります。塩の「し」が死に通じ、闇の夜も死を連想させるからなのでしょうか。
九の日に餅は搗かない
九は苦に通じるので避けられたのでしょうか。年末、鏡餅の餅つきも12月29日は避けたようです。
出かける前に爪を切るな
夜、爪を切るな(この本にもあります)は、暗いから深爪をしがちだということのようですが、これなどは出かける前の気のせいたときに切るとあぶないという感じなのでしょうか。
足袋(たび)をはいたまま寝ると親の死目に会えない
死者に死出の旅路(しでのたびじ)のための足袋をはかせたからなのか、あまり甘やかさないということなのか、どうなのでしょう。
は、縁る・寄る・縒る(紙縒り・・のように死を縒る)
など、塩夜ー死をよる。
と、読み替えてしまいますが
逆に
昼は塩といってよいのだと、考えると
昼は
放る・干る・簸る
(ひる 【簸る】 ... (穀物に混じるくずやごみを取り除くために)箕(み)でふるいわける。)
と、読み替えられ
塩昼ー死をひる
と、いうことではないかな?
と思えます。
ゲンをかつぐというのは、
今でも、ありますが
(お開き)(あたりめ)は聞いたことがある人も多いと思いますが
マッチをする―マッチをあたる
などは、昨今の若い人は,マッチもしらないかもしれない。
個人的には、
この塩の話は、初耳でした。
一辺倒ですが・・・
これも、
寄る死を、お切り
と、解釈できます。
日本語の面白い所は、
同じ発音でも、違う意味になると、いうことだとも思います。
夜の商売で、蜘蛛がでてくると
歓迎されます。
「良くも、来た」「良くも、来た」
(夜蜘蛛、来た)
と、解釈して
客の入りを暗示するようで
ゲンが良いようです。
盛り塩なども客商売の店の玄関に置かれますが
これは、お清めではなく
平安時代だったか?
想い人が牛車にのって近くを通りかかったとき
牛が塩を求めて、玄関まで入ってきて
その結果
想う人にあえる。(引き寄せれる)
と、いうことで、塩を盛ったということがもとで
お客さんを引き寄せる・・・という
(逆に言えば、来てください・待ってますという合図?)ことになぞらえて、塩を盛るそうです。
の「夜蜘蛛」の部分です。
夜の蜘蛛は、
一般的(一般家庭)では、
嫌われます。
夜蜘蛛で、縁る・苦も
となる為、
蜘蛛も 来るし
苦も来る。と、いう事のようで
さっさと捕まえて、外に出すようです。
(殺虫しても、かまわない。ということでもあり、逆に夜の商売の時は、大事にする)
言霊(音霊・行霊)が発動するのを
防ぐために、打ち消す・基をかけるという形で
封印のおまじない・・などが行われたのだと思います。
歴史的に、陰陽師などにより、「呪」(しゅ)ー(紐づけ)の考え方が知れ渡ったせいなのか、
元から、民間信仰的に派生したものか、どうかは判らないのですが、いつごろから、こんなおまじない?や俗信が登場してきたのか、気になります。