これからの話

2024-10-20 | 思想
すでにAIってのがある現在、人間発の創造性ってどう発揮すればいいんだろう。

これまでの膨大な蓄積はすでに習得済みなわけで、その中身はかつての人間によるものな訳だけど、それらが情報となった時点で素材に変わりそれを完璧にディレクションしてくれる生成AIがいるわけだ。その仕組みを開発したのも人間な訳だけど、もうできてしまった訳だ。さあ、どうする?

過去のクリエイティヴィティが若き才能を刺激し、新たな名作が生み出される。
そんな時代を俺は生きてきた。精一杯の小遣いでCD、DVDを買い作品に酔いしれたものだ。また、常に能動的ありたいという衝動も保っておりインプットからのアウトプットは必然と心得てきたつもりだ。


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Rock’n’roll

2019-11-17 | 思想
今、大切な感覚って
ロックンロール
だよな。












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MY WAY

2006-10-05 | 思想
もう迷わない。
MY WAY
世界の終わりを信じて来た。
どうやって終わるのか考えて来た。
終わりを認めないことは驕りで
それは背徳だと信じて来た。
だが、今思う。
どうでもいいじゃないか。
MY WAY
終わりと下世話な野望、両方抱えて普通に暮らす。
MY WAY
善、悪。どちらだけでもない。
善の力で飛躍するし自分を辱めて快楽、堕落に溺れたりもしよう。
MY WAY
両極と供に生きていこう。
普段身を置くところはどちらにでもふれる真ん中。
MY WAY
心は真ん中に置いとく。
これが一番心地よい。
真ん中って確信するには極を知らないとね。
人によって真ん中は違うんだから。
極に縛り付けられる不幸に合わないように。
MY WAY
普通でいい。これがオレの思想の結論。
MY WAY
世の中、なんて簡単なんだろう。そう思うんだ。
ほとんどなんも関係ないことばっかし。
MY WAY
オレはたんたんと、生きていける。
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性について

2006-09-01 | 思想
性について


何故、性的な表現は隠されるのか。

性について、未だ私は分からない。

だが、分からないなりにも深く考えた。

その考えの変遷を今回記そうと思う。

思想に入れていいのかな、、、


昔から性について考えて来た。

本能的な興味の時代。

おそらく男性にとってこの
性欲というのは非常に重要な問題である。
モジョとも表現されるが、これが
薄い人間はつまらない。
やはりベースとなる生き物としての
欲求は強い方がおもしろい。

10代ともなれば性欲というものは
どうにもコントロール不能になってくる。
五木寛之氏も終生なやみつづけた
ホルモンの問題。これが思春期を
生み出している。あのなんともいえぬ
空気には動物としての願望を
もって都会生活をおくる人類特有の
切なく、痛々しい時期なのだろう。

男性としての自我が芽生えた段階で
それまでのお子様生活にはヘドが出るわけだ。
個人差があるが、やはり対象として面白いのは
より大きな欲求を抱えるものである。

私はあらゆる作品の魅力は下半身から
やってくるものだと信じて来た。
とくに、欧米のカルチャーはそうだと。
スポーツもそうで、あのストライカー
の熱気は下半身からでて来るのだろう。
そうでないものは奇麗ではあるがつまらない。
うまいが面白くない。

それを前提として、しかし完全に解放
するのもどうなのかと思う。これは
抑える事で性欲が増すなどという意味では無い。
ちなみに、下ネタが若者に抵抗なく入っていったのは
1960s、それ以前の白人主導社会では性は隠す
対象出会った。
ビートルズのメンバーの会話をみるとよく下ネタで
盛り上がっていた。映画アハードデイズナイトで
乱交だ!とはしゃいで部屋を出るシーンは印象的
だった。それが'64年である。来日時、加山雄三に
4人の合作で女性器の絵を送ったという話も
凄いセンスだな~。でも、これというのは
ドラッグやスラングとも通じるもので私の
理論から行くと反抗の為の村的行動に見える。
ウッドストックでクスリをやりながら
フリーセックスというところまで行き着いている。
60年代に。しかし、不思議な事にそこは楽園では
なかった。様々な問題が議論されて来たが
私が特に思うのは快楽がなぜ幸福感を持続できないのかと
いうことである。メンタルはクスリで、それもキチンと選べば
健康でいられるものは沢山ある。そして大きな問題である
性欲も満たされている。後の生活は仕事くらいしらふでやれば
いいわけだし、なんであのコミュニティが崩壊したのだろう。
現在のオランダがそれに近いがなぜ世界はそこへ向かわないのだろう。

とうことで、巷の下ネタは反抗の意味を持たない
低次元の村化としか思えない。アジア回帰とでもいおうか。
もともと日本には欧米の性の価値感とは別のものがある。
もっと普通である、本当は。田舎に行くと秘宝館というのが
あるが、私はそれが大好きだった。純粋に楽しい。
パワーの源である性をこの日本でオープンにするのなら
街そのものを作り替えるくらいの熱意があってもいいんじゃないか。
それがアジア的街の再興でもあるんだし、非常に価値があると思う。
風紀体形を根本から見直す。今の風紀観念は白人石文化発なので
湿り気の多いこの国には合わないだろう。だから変に欲求が暴走して
犯罪になる。もとからの変質者もいるがそういうのは、社会に入れないのは
同情の余地なし。どう処理するかは歴史をみればいい。昔の人は凄い刑を
やってたんだね、異常性癖の人に。驚きです。

で、ここまで来て、さっき私は村の人間が性を楽しむのは
低次元と書いた。これが非常に難しい問題なのだ。
今の私はそれを低次元だと思っている。もし思っていなければこんな
文章を夜中に打たないだろう。いつも自分の生活と関係ない
ことで悩んだりせず女の子にモテルようにかんばって
いるだろう。好きな子にアタックして、何遍もトライして
オッケイがでればいろいろ楽しい事をするだろう。

最近思う。
何故人は街を作るのだろうかと。
村で動物的に楽しくやるのが一番なんじゃないかと。
勃起したペニスの像を担いだり女性器に似た岩を
拝んだりするのが本来の姿なんじゃないかと。
それすなわち子孫繁栄、命を喜ぶ姿ではないか。
果ては母なる大地への愛、そして自然との共存
につながる。女性を賛美することはそこに
通じているのだろう。素晴らしいじゃないか。
古代の祭りでは性交がメインイベントで
人は神のまわりで結ばれた。フリーセックス。
それは宇宙とつながる事でもあった。

こうだんだん考えていくと、何故それを
止めるのだ!何故隠す!?ってなってくる。
ダヴィンチコード読者は知ってると思うが
中世キリスト教の歪んだ教えか?
本来のキリストは子を残したかもしれないのだぞ?
キリストの母、マリアを崇めるのは
女性、大地崇拝でもあるという。

んん。難しい。

で、ここからはオカルトです。
キリスト教の根本には何があるのか。
それは復活です。
一度死んだキリストが復活したから
その教えに尋常でないパワーが生まれた。


ここら辺りがより尊くなりたいと思った時の
性への躊躇いがあるのではないか。
僧侶達は性から離れていて欲しいと
どこかで思う。世俗から離れていて欲しいと。
仏教を全くの哲学として捉えた場合は
少し違って来る。人間として生々しく生きた
センスある和尚は沢山いる。ブッダだって
子供がいるし。イスラムもいい具合に
性を取り込めている。だから平和なのだろう。
全世界がイスラム教ならもっと平和なのは
事実。
でももっと考えると仏教は冥土へ死者の
魂を繋ぐもの。いかにして成仏するか。
イスラムのコーランは人間社会が安定する
為のシステム。

これに対し、ユダヤ教やキリスト教は
現在の、現世以後の超駑級のつづきが
あるように思う。選民思想や、終末思想
その先に自分達だけがすすめる楽園があると。
光り輝く楽園。そこではアダム時代
のように永遠の命が約束されている。

淫らな性は嫌われる。
このあたりの教えによって布教活動は
始まるし、現在のカルト宗教だってこの
心理をうまく突いている。
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随想 あれこれ

2006-08-07 | 思想
おはようございます。
満です。


いい目覚めのおかげで今
非常に心地よい気分です。


頭も妙に冴えてまして
この機会にいろいろなアイデア
というか、その断片を記そうと
思う。

かねてより私が最も気になる
対象というのは新しさであり
次を造る力である。

現状を見渡せば余りにもそれらが
失われているように感じる。
そのために喪失感に襲われる事も
日常茶飯時。同時代に対する
無関心につながる。余りにも
何もないのだ。

一方で世間はそうした危機的状況を
危機として捉えずマスメディアは
今迄にも増して娯楽を煽る。
小泉首相のあの異常な楽観的姿勢。

まずその、現実の同世代の空気と
社会との間のギャップに疑問を抱く。
更に考え進めていくとそれが意図的
であると気付く。

政治や情報の送り手にはもはや先を
見通す力はないのではないか。
それだけならよいが混沌を利用して
自らの利潤を貪るだけの存在になり
果てているではないか。

利潤のみの追求と書いたがそこには
金銭的な利益以外も含まれる。
例えば自分の信念を貫こうとするもの。
浅はかな思想の上に成り立つ信念ほど
厄介なものはない。それを押し進める
のは単なるエゴ以外の何ものでもない。
小泉首相の政治的行動は彼のエゴ
により支配されている。

この段に来ると私は怒っている。
現在の支配者層に対し、隠しようの
無い憤りを覚えている。
本ブログ内で度々汚い言葉を使って
来たがそれらの対象は属にいう
エリート達である。

純粋に新しいものを造る創作意欲
が半分。現在の腐敗と闘いたいと
いう戦闘意欲が半分。

さて、あれこれ書くはずがいつもの
思想コラムの概要文になってしまった。
以下、アイデアの断片を記す。

プレスリーとパーカー大佐の関係。
それはロバートジョンソンと悪魔
に通じる。名声を得るため、スキル
を得るため魂を売った人間の辿る
悲惨な運命。しかしそうした二面性
はアーティスト、作品に魅力を
与えている。ブライアンウィルソン
に関していえば彼は何も売っていない。
彼の作品自体は全く彼自身から
発せれられている。彼の場合は
グループが兄弟、親戚であった事
そしてアメリカの音楽産業が保守的で
あったことが起因し、深みが出ている。

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