さよなら2010年

2010-12-31 | イラスト

今年もありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。


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あの時の僕

2010-12-21 | イラスト

今晩は、満★乳斎です。現在2010年

12月21日が終わりそうなところですが

いかがおすごしでしょうか。


今夜は、かつて僕がこのブログにのせてきた文章を

だいたい、同じくらいの日付のものを選んでのせてみます。


少しづつ言ってることが違うかもしれませんね。


では。2005年、12月20日

日本の国へ


エールを送るーーーーーーーーっ


フレーーーー フレーーーーー


ニーーーーーーッポン


フレッ フレッ ニッポン
フレッ フレッ ニッポン


パフ パフ



はい。


次、2006年、12月20日

前を向いて歩こう




前だけを向いて



歩き続けよう



なんか、短い文章ばかりですね~。

やけにポジティブなのも気になるな・・・

さ、では2007年、12月20日


♪ ックリスマス~ッ ♪

♪ ゴマ~を~ 食べ~ま~しょ ♪

♪ ゴマ~ね~ ♪


坊や、サンタの白い袋は全部ゴマなんだぞ!

坊や:「えっ~!!」


ワーハッハッハッハ。



ゴマ普及委員会 
満★乳斎



で、2008年、12月22日



父:「お前たち、ちょっと」


  「ここに座りなさい」


息子:「えっ 何?」


父:「ここに来なさい」


  「話がある」

息子:「遅刻しちゃうよー」


父:「お父さんから学校へ連絡するから」


息子:「え、ほんと!」

父:「うん。ま、座りなさい」

息子:「は~い」


父:「マリ子、お前も」


娘:「は~い」


息子:「何、話って」


父:「お前たちいつも何時間寝てるんだ」


息子:「昨日は・・・8時間」

   「ま、だいたいそれくらいかな」


父:「マリ子、どうだ」


娘:「そのくらいかな」


父:「そうか」


  「お父さんが子供の頃はな」


  「毎日14時間は寝てたぞ」


娘:「なにそれ」

  「半分以上じゃん1日の」


息子:「だよな」


父:「それじゃ聞くぞ」

  「いまからもう一回寝ていいって言ったら」

  「どうだ」


息子:「ま、学校なけりゃね」


父:「お父さんなんかな、もう夢の中で楽しくてな」

  「起きるのやでな」


娘:「ふーん」


父:「なんかいつも旅してたな 夢で」

息子:「見たい夢がみれたとか?」


父:「それもある たまにね」


息子:「でも、さすがに10時越えは無理だよ」

   「起きちゃうよ」


娘:「目覚めちゃう」


父:「じゃ、寝てられるんなら」

  「寝ていたい?」


息子:「うん」


父:「マリ子はどうだ」


娘:「寝てたい」


父:「そうか」

  「じつはな」

  「ずっと、ぐっすり寝ていられるおクスリがあるんだ」


チラ


息子:「何それ」


父:「ミンザイっていうクスリというクスリ」


  「これを、こう」


  「飲む」


  「しばらくすれば、もう眠くなる」


  「ほら 飲んでみなさい」


息子:「  」


父:「おまえは  このくらい」



娘:「  」


父:「マリ子、このくらい飲めるかな」



  「はい  飲みなさい」


息子:「学校、休んでいいんだね」


娘:「私も?」


父:「いいんだよ」


  「学校んなんか」


  「いかなくていいんだ」


  「すきな夢を」


  「ずっと」


  「見続ければいい」





息子:「 父さん  」



ん~、なかなかあたりがでませんね。

この日付は。

でも行きましょう。2009年12月25日




ゆうすけ:「こんばんは」

     「いつも当ブログを読んでくれて本当にありがとうございます。」

     「前回のアワー・ハウスはゆっくりと書き足していく予定ですので」

     「どうぞたまに開いてみてください。」


     「ネバーギヴアップ。」


客:「おじちゃん」


ゆうすけ:「デニーズへようこそ」

     「   」

客:「おじちゃん、これ」


ゆうすけ:「ご注文ですか?」


客:「最後の夜デニセット、ちょうだい」


ゆうすけ:「夜デニセットですね」


客:「最後の夜デニセット!」







そして、今日。

という訳です。
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持ってる

2010-12-11 | イラスト

流行語で話題の

「持ってる」


斎藤投手のあのすがすがしいコメント

記憶に残っている人多いのではないでしょうか?


そんなブームにあやかり僕なりに考えてみました。

自分はなにを「持ってる」のかと。

旬の話題でブログへのアクセス数稼ぐぜ!



で、答え。


仲間を持ってる!


ここまでパクってどうすんだって話ですよね!

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満流、経営哲学

2010-12-04 | イラスト
あきれられても、続けようと思います。

経営哲学。


満★乳斎です。


昨夜、皆様にお伝えした内容を復習しましょう。


職場の前に落ち葉があれば掃く。


以上。



そして、今夜はこれ。


習慣をつくらない。


習慣、習慣ってうるさいので天の邪鬼的な発想で

ただ、逆にしただけ。

でも、習慣というのが僕は心から嫌いです。


あれは病だと思う。


刹那にやってればいいでしょう。


適当に行き当たりばったりやってりゃいいよ。


で、どうでもいいよって精神が大切だよ。


自分自身が持って産まれた業、カルマってやつからは


逃れることはできないんだし。習慣なんざただの知恵熱です。


輪廻の思想だけの業ではないんだよ。産まれた時点で


既に、力が作用している。その人その人に、気の流れがある。


それに添わなくてどうする。教育とは、心身ともに健やかに育ち


成人までの時間を過ごすことが最も重要なこと。


心の健康、体の健康。


そして、成人となってから。


営みに筋道をつけ治めるのが経営。


心身の健康をもってすれば、何とかなるよ。


後は、自分の業と向き合うこと。


生活にすじを入れる際の基準は


いかにそれを意識をいれずに行うか。


すじはもともとついているのだから。


人生のラインというのは実は産まれた時から


ひかれている。業。


ま、そこが非常に難しい訳なんだけど


自分の業を悟ることがどれほど難しいか。


それは誰にも分かるものではないし。


死ぬまで分からないし。


死んでもなにも分からないしね。


5のW。when where who what why。

すべてが不明。


しかし、あなたは存在するし


職場も存在する。


職場がない成人は心身の健康もない。


その仕事というのは環境との間で


さまざまな具体的行動を伴うだろう。


生きる為の行動。


哲学的に俯瞰してみようというのなら


職場の前に溜まる落ち葉を思い浮かべればいい。


単純に掃けばいい。


悩めるうちは掃けばいいんだ。


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満流、経営哲学

2010-12-03 | イラスト
えー、皆様。


今晩は。満★乳斎です。


私も、会社役員のはしくれとして

ちょっと説教たれてみたくなりました。

このブログをお借りして

ちょっと語ってもいいですか?



はい。



では参りましょう。



経営哲学とはなんぞや・・・



たとえていうならば。


今日のような風の強い日に。


あなたの職場の前に落ち葉が大量に吹き溜っていたとしよう。


それを掃く訳だ。


清掃員なんてのはこのたとえの中にはいないので。


あなたがそれを掃く訳だ。


掃いても、掃いても


落ちてくる葉。


雨に濡れて重くなる葉。


風の流れがそうなるようになっているから


どんなに掃いてもなくなる訳がない。


第一、このたとえ自体が意味分からないかな。


だとしたら、文をどんなに重ねても意味が出る訳がない。


それは風に舞う葉とて同じこと。


そうなのだからしかたない。


しかし、ぐっとこらえて頂きたい。


何故って、あなたは経営哲学を学びたいんでしょ?


この虚無をぐっと、飲み込んで下さい。


文を続けます。


掃いても、掃いても、きりない訳です。


あなたは何を思うでしょう?


あなたはいつ、諦めるでしょう。


どのように克服するのでしょう。


あなたの職場の前には大きな木があり


この季節に暴風が吹くと葉が落ち


それが舞ってあなたの職場の前に溜まる。


どうですか?


何を感じますか?


刻一刻と溜まる葉を目の前にしてあなたは何を思いますか?


それを掃かなくてはいけない。


この木さえなければ。


そう思う方がいるかもしれない。


木をどうにかしてやろうと考えるかもしれない。


しかしどうでしょう。


この世界にとって、あなたより大切なのは


木ではないでしょうか。


同じく生きる存在として、あなたはその木よりも


価値があるのでしょうか。


あなたの職場はその木よりも価値があるのでしょうか。


あなたの生涯をまかなう為にどれだけの存在が


犠牲になっているのでしょうか。


その木が生きる様と、あなたが生きる様


どちらが様になっているのでしょうか。


木にきまってますよね。


経営とはすなわちそういうこと。


現在の経営者はすべてがあべこべであるということ。


価値の基準がまるでさかさま。


同業他社と共存すらできない集団が


自然と共存することなどありえない。


自然と共存することができない生物は


滅びるというのはとても単純な答え。


いたって簡単な答え。


自然に意味がある訳ない。


なのにその中で意味を作り出し


バカやってるのは誰だい。


都合良く勝手をやるのはどいつだよ。


今、あるものはしかたない。


あなたの職場はあるわけだ。


で、落ち葉はこんこんと溜まっている。


だから、それを掃くだけ。


糧を得る為の本業が許す分だけ


掃くんですよ。


ただ、掃くんですよ。


なんでもない。


でも掃くんですよ。


そして、戻って働くんです。


働いて、糧を得て生きる。


前に葉が溜まれば掃く。


食事をとって生きる。


風が吹けば葉は溜まる。


一生懸命生きる。


目の前に、木がある。


あなたがある。


なんでもない。


ただ、ある。


そして生きている。



そのあなたを企業ととらえてもらえれば


これが満流の経営哲学です。

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