まだ続く 私の人生

2018-07-30 | イラスト

横浜市の動物園の1つに父のレストランがあった。

そこが、規模、売り上げ共に最大でその店を奪還

するための作戦を練り上げた。

 

綿密に作戦は練って挑んだのだが

想定を超える波乱が起こり、その末に

店長が電撃退社することで決着した。

かに見えたが、古参の社員が続々と

辞めていくことになり、会社が

揺さぶられることになった。

若手社員がかつての部下を

呼び寄せ、私もキーパーソンや

様々な形で体制を維持した。

新店長となった若手社員は凄まじい努力で

売り上げを伸ばした。しかし、恐ろしい展開が

待ち受けていた。辞めていったもと店長と

動物園の職員がつるんでいたのだった。

市長への手紙でレストランがひどいサービス

をしているとの告発が連発する。

動物園を運営する第三セクターの協会が

それを口実に厳しい指導を突きつけてきた。

中にはあまりにも理不尽な要求もあった。

その内容を知った父は激怒し、協会と

対峙することになる。

 

私は弁護士の力を借り、文章を作成し

協会、市、地元議員とやりとりをすることになる。

父は地域の諸団体に内容を拡散して

支援を仰いだ。その時の関係者達の言動ひとつひとつ

私は一生忘れない。あの時の、あの一言を私は

二度と忘れない。

 

翌年、公募に落選という形で私たちのレストランは

動物園から撤退することになった。その選定に対して

は疑問が多いが、しかし、最後まで全力ファイトで

戦ったことは私の人生において計り知れない経験を

与えてくれたのではないか。協会関係者、一部の議員

市の役人数名を私は一生忘れない。あの出来事を

生涯語り継いでいくだろう。一人一人、丁寧に。

 

動物園のレストランはまるで夜逃げかと疑われる

ような撤退を強いられた。

父、会社にとってこれ以上の屈辱はなかった。

撤退の4ヶ月後。父は心不全で倒れる。

奇跡的に一命をとりとめたが、仕事ができる

体ではなくなってしまった。

集中治療室で危篤状態が数日続いてた時から

会社の意思決定を代行で行うことになる。

その後父の意識が戻り、会社を継ぐ意思を

伝え、交代に向けて動き始めた。

 

つづく

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続 私の人生

2018-07-29 | イラスト

私の人生。

 

店をリニューアルする。

コンセプト、内装を任せてもらった。

若者支援と、飲食の融合を目指す店。

その店はキーパーソンと、若手に委ねた。

病み上がりの料理長も、戻ってもらう。

私自身は経営の中枢を目指し

会社本部へ乗り込むことに。

当時、私に若者支援活動を指南してくれた

幹事長は寝込んでいた。この活動の意義は

世界を変える、と考えるようになる。

 

古参の社員たちが支配する店にはなかなか

干渉しずらく、立ち位置に苦しむ。

父は既に店舗運営は任せきりで

地域のロビー活動や、名誉職で過ごしていた。

会社への危機感は増していった。

 

人事移動の権限を持たせてもらう。

2年前に初めて私が採用した一歳違いの社員を改革の

先行要員として切り込ませようと計画する。

以後、社長名義の社員へのメッセージは私が

ゴーストライターとなった。

 

つづく

 

 

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私の人生ハイな

2018-07-28 | イラスト

私の人生。

 

父がカフェを始めた翌日に産まれた。

この国の経済成長と共に育った。

昭和は呑気で陽気な社会でした。

国産のもので満足だった。

ボブソンを履いて

チャゲアスを聞き、フジテレビを見て

ジャンプを読んでいた。

平成に変わり陰気でシリアスな社会で

絵を真剣に書くようになる。

手塚治虫のファンクラブに入り

ビートルズを知った。

リーバイスを知った。

父の商売は順調で店は増えていった。

阪神大震災の翌年に高校の交換留学でアメリカへ。

ハイな社会を肌で感じる。

帰国後、ハリウッドランチマーケットを知り

12年後に結婚することになる女性と出会う。

9.11の年、大火傷、結核感染、肺気胸で

入退院を繰り返す日々の中

憧れのギャバンスパイスの内定をもらう。

就職後、M&Aの壮絶な混乱に直面。

父はハイテク株暴落や、新規出店の

過度な投資で失敗し、難局を迎える。

2年後ギャバンが味の素に買収されたことで

退社を決意する。ケミカルは受け入れ難かった。

父の店を一店任せてもらう。

大好きな横浜、らしい店であった。

営業は人に任せパーティーを繰り返し

遊び呆けた。そこで書きためた文章や

以前からためていた絵などで本を

自費で出版した。ブログを始めた。

その店は建物の改修の都合で閉店となる。

覚悟を決めて父の会社へ入る。

総料理長と仕事をして、会社の本質を学ぶ。

若者支援活動と出会う。その幹事長と

交友を深め、活動に加わる。

三年後、料理長がクモ膜下出血で倒れる。

傷心の日々を支えてくれた女性と翌年、結婚。

翌年、娘を授かる。かけがえのない幸福を知る。

2年後、かつてホームステイしたアメリカの

友人の結婚式でアメリカへ。ハイな空気に触れ

今後の経営を真剣に考えるようになる。

若者支援活動のキーパーソンと共に独自の

活動を始める。自費出版時に命名した

アラジンエンタープライズの始動となる。

 

つづく

 

 

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I‘ll follow the sense

2018-07-25 | イラスト

someday

you will find that 

I have gone

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青い海

2018-07-24 | イラスト

心地よい風景を想像してみる。

丁度いいデザインを見つけたので

変更してみる。

 

とても心地よい。

取り巻く環境。

申し分ない。

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