時代の一歩先をゆく
今晩は、満★乳斎です。
タイトルにもあります通り今回は少し先へ視点を向けてみましょう。
まず始めに、根っこの部分から。
この100年くらい、自分の人生の主役は自分でした。
当然かと我々思う訳ですが、それまでの人類の歴史をみると
実はこれがとても特異なことであることが分かります。
貧しい庶民にとって、自分の人生はまるまる家族に捧げられているし
身分の高い人間であっても、属する組織なり国なりなんなりのために
生きていました。
人が人生を自分の為に謳歌する。こんなことができたのは本当に最近の
ことなんです。20世紀末にそれは極まりました。
行く所までいった結果、その主たる自分に不安が生じ
「自分探し」なる本末転倒な現象が21世紀の幕開けを重苦しいものに
してしまいました。人は環境により作られる。環境から解放された
人は居場所を失ってしまったのです。
さて、これからの10年。自分の人生は再び環境のもとにおかれます。
2011年の3月11日におきた震災により、一夜にして世界は
かつてそうであった様に、自分の力ではどうにもならないものへと
変わりました。その変化に気付いていないおくれた人のことを
野暮と呼びます。
人生を楽しむなんてのが恥ずかしいフレーズとして響く時代が
やってきました。単純に「生きる」これなんです。
なんのため?と、変化に弱い人は思うかもしれません。
家族のためです。「自分の大切な家族」のためです。
家族がいません、という人は、まず家族を作って下さい。
自分探しの旅じゃなくて、家族を求めて下さい。
捨て身で家族を求めて下さい。
自分以上に大切な家族の為に生きる。自己犠牲のこころ。
この単純明快な流れが根底となり、色々と変わっていきます。
自己犠牲なしにはなにも始まりません。
中心に自分を置いている限りは時代遅れであり
過去の遺物です。
大人が家族の為に必死になることほど強いことはありません。
子孫のことを想えば当然、母なる大地を気遣わねばなりません。
どんどん、重苦しくなる訳です。
まともな生業が気楽な訳がないのです。
これまでの糧は、大地と子孫を犠牲にするものばかりであった。
この瞬間を生きる自分自分の為に。自分が楽しむ為に。
その価値観がいかに間違っていたか。
ファッション。