※本文は2005年5月25日に掲載された文章です※
PROLOGUE
'98年の夏に私の部屋はひとまず満足のいく空間となっていた。
北に面して左端が机。机自体は小学生時代より使い続けてきた
ものだが、付属物を全て取り払いなかなかシンプルないい机となった。
机上にはPower Mac。
その横にはアナログ、CD等のソフトが前者は「バナナ・レコード」の
ロゴ入り段ボール。後者は「無印良品」のスチール・フレームの棚に
入れられていた。
その横に「Technics」製、ショッキング・ピンクのミニ・コンポ。
そこで壁に突き当たり、そこから西向きに洋服ダンスと本棚が置かれた。
西枕の形でベッドが横たわり、これで部屋一巡。
立付けのタンスも中を整理し、機能的なストッカーにあらためた。
私は椅子に腰掛け、正面の幼稚園のエメラルド・グリーンの壁を
望みつつ満足感を噛み締めた。
マイ・ルーム 2
満足感マックスの状態は、実に短かった。
次に私を襲ったのは、アイテム個々の質の低さに対する不満だった。
まずはレコード・プレーヤー。
そもそもがミニ・コンポの付属であったため
音トビが気になる。
すぐさまヨドバシカメラへ。
そこで私を待っていたのは、めくるめくオーディオ・ワンダランドであった。
レコード・プレーヤーではなく、ターン・テーブル。
SL-1200MK3Dに一目惚れだった。
一旦そのモードにはいってしまうともう駄目である。
「あれが来る迄、この部屋は完成しない」
当然、金銭的にもすぐ買えるような代物ではない。
1ヶ月そこいら悶々とした日々が続く。
こうして手に入れた時の感動は凄かった。
しばらくの間はアナログばかり買っていた。
ビードルズのアルバムが多かったように思う。
音トビを気にせず中古レコードを買い漁るのは
心地よかった。
だが、この平安もすぐに終わる。
先のヨドバシに毎週のように通うことになった私は
もう次の、更に次のアイテムまでターゲットにしていた。
ミキサー。CDJ。アンプ。そしてCD、アナログのソフトの数々。
Bianchiのシティ・サイクルを見つけたのもこの時期だった。
部屋をデザインすることから始まった改革は
それを形成するアイテムのクオリティーを求めるようになっていた。
物欲は拡大し、また手に入れる迄の時間は空虚になった。
まさに私にとっての'99年は物欲に溺れる日々であった。
もともと世紀末思想に犯されていたために
貯蓄など考えたことはなかった。大学生活のゆとりのなかで
収入の限界でものを買う。スリリングな時代だった。
服装面では、'97年夏以降ハリウッド・ランチ・マーケット
寄りであったのから、'98年後半にはバーニーズ・ニューヨークの
扱うブランド群に魅せられるようになっていた。といっても
買える範囲のジーンズ程度であるが。ただ、奥行きは一気に
広がっていた。こういった所も、洋服棚を飾る大切な部屋の
構成要素だったのだ。
バーニーズ横浜店の6階はちょうど私が出入りしだした頃
から、私が欲しいような商品が激増した。それまで
ハイ・ブランドのスポーツ・ラインがフロアの中心だったが
ヘルムート・ラングのデニムを皮切りにストリート感覚に
目覚めはじめる。その後につづくリーバイス・レッド、
グリフィン、フェイク・ロンドン、マハリシ等々の台頭は
刺激的だった。
当時を振り返ってみて、やはりあの感動は忘れられない。
次のものが待ちどうしくてたまらない感覚を。
こうして徐々にハイ・レベルなモノが溢れ出したとき
部屋はすでに限界を迎えていた。抜本的な改革が必要
となったのである。
私は屋根裏も部屋として使う構想をたてるようになった。
父も挫折した危険な空間に挑もうと考えたのだ。
つづく
※本文は2005年5月25日に掲載された文章です※
PROLOGUE
'98年の夏に私の部屋はひとまず満足のいく空間となっていた。
北に面して左端が机。机自体は小学生時代より使い続けてきた
ものだが、付属物を全て取り払いなかなかシンプルないい机となった。
机上にはPower Mac。
その横にはアナログ、CD等のソフトが前者は「バナナ・レコード」の
ロゴ入り段ボール。後者は「無印良品」のスチール・フレームの棚に
入れられていた。
その横に「Technics」製、ショッキング・ピンクのミニ・コンポ。
そこで壁に突き当たり、そこから西向きに洋服ダンスと本棚が置かれた。
西枕の形でベッドが横たわり、これで部屋一巡。
立付けのタンスも中を整理し、機能的なストッカーにあらためた。
私は椅子に腰掛け、正面の幼稚園のエメラルド・グリーンの壁を
望みつつ満足感を噛み締めた。
マイ・ルーム 2
満足感マックスの状態は、実に短かった。
次に私を襲ったのは、アイテム個々の質の低さに対する不満だった。
まずはレコード・プレーヤー。
そもそもがミニ・コンポの付属であったため
音トビが気になる。
すぐさまヨドバシカメラへ。
そこで私を待っていたのは、めくるめくオーディオ・ワンダランドであった。
レコード・プレーヤーではなく、ターン・テーブル。
SL-1200MK3Dに一目惚れだった。
一旦そのモードにはいってしまうともう駄目である。
「あれが来る迄、この部屋は完成しない」
当然、金銭的にもすぐ買えるような代物ではない。
1ヶ月そこいら悶々とした日々が続く。
こうして手に入れた時の感動は凄かった。
しばらくの間はアナログばかり買っていた。
ビードルズのアルバムが多かったように思う。
音トビを気にせず中古レコードを買い漁るのは
心地よかった。
だが、この平安もすぐに終わる。
先のヨドバシに毎週のように通うことになった私は
もう次の、更に次のアイテムまでターゲットにしていた。
ミキサー。CDJ。アンプ。そしてCD、アナログのソフトの数々。
Bianchiのシティ・サイクルを見つけたのもこの時期だった。
部屋をデザインすることから始まった改革は
それを形成するアイテムのクオリティーを求めるようになっていた。
物欲は拡大し、また手に入れる迄の時間は空虚になった。
まさに私にとっての'99年は物欲に溺れる日々であった。
もともと世紀末思想に犯されていたために
貯蓄など考えたことはなかった。大学生活のゆとりのなかで
収入の限界でものを買う。スリリングな時代だった。
服装面では、'97年夏以降ハリウッド・ランチ・マーケット
寄りであったのから、'98年後半にはバーニーズ・ニューヨークの
扱うブランド群に魅せられるようになっていた。といっても
買える範囲のジーンズ程度であるが。ただ、奥行きは一気に
広がっていた。こういった所も、洋服棚を飾る大切な部屋の
構成要素だったのだ。
バーニーズ横浜店の6階はちょうど私が出入りしだした頃
から、私が欲しいような商品が激増した。それまで
ハイ・ブランドのスポーツ・ラインがフロアの中心だったが
ヘルムート・ラングのデニムを皮切りにストリート感覚に
目覚めはじめる。その後につづくリーバイス・レッド、
グリフィン、フェイク・ロンドン、マハリシ等々の台頭は
刺激的だった。
当時を振り返ってみて、やはりあの感動は忘れられない。
次のものが待ちどうしくてたまらない感覚を。
こうして徐々にハイ・レベルなモノが溢れ出したとき
部屋はすでに限界を迎えていた。抜本的な改革が必要
となったのである。
私は屋根裏も部屋として使う構想をたてるようになった。
父も挫折した危険な空間に挑もうと考えたのだ。
つづく
※本文は2005年5月25日に掲載された文章です※