BOROKUSO

2011-06-20 | イラスト



こんにちは。いろいろなものをボロクソにします。


ご注意下さい。





オールデンというバカブランドのゴミプレーントゥ、最悪。地獄!

クソ色からしてゴキブリ。重い。クソ!


この靴が大好きな人は沢山いて、表面のしわの入り方も

こだわるんだとか。ファック!全員ダンプカーにはねられますように・・・

クレイジーな私のこの靴は無造作にしみったれたしわが入ってしまったので

もう価値はない。腐ったうじ虫

買った時から価値などなかったけどな。こんな靴になんか。ハエの卵


磨かないと、駄目らしいからうざい。腐った匂い


面倒にもほどがある。ゴートゥヘル!


で、磨いてたら


ブチッと糸が切れる始末。悪魔!

質実剛健じゃない。


うんこ野郎


この靴を履くと、何故か雨が降る。ヒロシのネタじゃあるまいし

自虐でもなんでもないけど、この靴を履くとまず、雨が降る。

重いし、水のシミが気になるし、しわは変なだし。

最悪。






うんこ野郎









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次回予告

2011-06-12 | イラスト

えー、みなさんおはようございます。


満★乳斎です。


反原発やら原発推進やら、管おろしやら・・・


うるさいですね。この国は。



さて、いよいよ新シリーズの登場です。


タイトルは


BOROKUSO


僕の持ってるトラディショナルなファッション・アイテム達を罵詈雑言で吊るし上げたい


と、こう考えています。


このブログを薄汚い言葉で埋め尽くしたい。


もう、そういう気分です。


そういうのがお好きな方は、楽しみにしていて下さい!


では。
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PAST ME

2011-06-11 | イラスト

新しい歳を迎えた直後に僕が送った文章をまとめてみよう。


26

PROLOGUE

新しいムーブメント、それは内面から起こる。
私たちの内面を変えていき流れを生み出す。

'50年代スタートのビート文化。
ビートの嵐が吹き荒れたおかげで、既存を壊す
動きは非常に力強い。今の政治体制、文化は
すでに破壊されている。

それを加齢臭ただようポンコツ達がなんとか
カモフラージュしている。
無い未来を信じて。猿達ががんばっている。

只、そろそろ壊すだけではダメなんじゃないかと
私は同世代に言いたい。
壊すのに皆が目を輝かせていたのは'60年代後半
がピークであろう。日本でも。

長髪でミリタリー・ルックのグループ・サウンズ
がどれほど過激だったか。それは当時の激怒する
大人の存在なしにはあり得ない。戦中派。
殺人経験のある人間にニュー・センスで挑む。
だからかっこいい。

今の子供は攻撃できるような大人がいないことが
不幸である。いるのはヘタレ・ビジネス・マン。
あぶく銭を撫でて遊ぶ変態野郎ども。いや野郎とも
呼べない。ただのゴミだ。あとはそこに行けない
しがないピープル。

これまでセンスの発信源はアメリカだった。
それはアメリカの時代だったから。
しかし、現在はもう文化面で引っ張っていけて
ないのだからもう忘れよう。
そこにはノスタルジアしかない。

今私たちを覆っているのは壊し尽くした空虚感だ。
もう壊すものは無いのに未だに激しくやっている
人たちは基本的にオッサンと変わらない。

今私たちは非常にまっさらな所にいる。
フリー。でも無気力、みたいな。
残念ながら喜びの開放感ではない。

だから流れを生み出さなくてはいけない。

人種分け

福沢諭吉いわく
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

正しい。
人間を人種に区切り、その上下で差別等
していては優秀な人間を埋没させることになる。

ただ、上下の差別がいけないのであって
人間を特色によって分けるのは必要なことである。
新しい世の中にはこれが必要である。
そこで、勝手ではあるが人種を5段階で造ってみた。

1、ヒップ・スター

2、クラフト・マン

3、凡人

4、アホ

5、ゴミ

では、解説していこう。
まずはヒップ・スター。
彼等こそセンスの担手である。
破壊者であり創造者でもある。
人を率いることができる。

だが、弱点としてはかなりひらめきで
動いている感がありもろい。
タイミングが合わなければ不発で終わる
危険性大。現代、ほぼ全てと行っていい
ヒップ・スター達がその芽をつまれ
腐ってしまっている。

2番目。クラフト・マン、日本男児に比較的
多い人種。大きなセンス等は関係なく
自分の技術を高めることに全てを捧げる。
職人や秋葉原の住人達はここにくる。

時代の波にも飲まれにくく、強い。
只、最近もの造りの現場から情報を発信
しようという動きがあるが、これは意味
が無い。彼等は基本的に内を向いており
人間関係というよりは情報交換で集まっている
だけである。センスを生み出すことはできない。

インター・ネットの出現はヒップ・スターと
クラフト・マンが組んで生まれた奇跡だった。
生み出された後の加工やアレンジは彼等の
得意技である。

3番目の凡人。
彼等が社会を構成している。割合も一番多い。
多少、他人種によっている部分の人間もいるが
その追求度が甘ければ凡人。

最近の風潮としてここに収まっては行けないと
凡人はダサイとせかすようになっている。
が、そのアドバイスは危険である。それは
言葉を変えれば満足するな、と言っているのだ。
人を焦らせ、不安にし、そこにつけこんで商売
しようとしているだけである。

凡人の美学、ルーティンの美学を打ち出さなく
てはいけない。友人から聞いた話であるが
明治の日本に来たヨーロッパ人に
「何が一番美しかったですか」と聞いた所
「船を漕ぐ船頭さんです」との答えだった。

なにも考えず、無心で船を漕ぐ人。
無駄の無い筋肉と動きは自然と同化し
まさに感動的であったらしい。
慎ましい幸せ。それは普遍の価値がある。

4、アホ。ずれている人。
只、一歩違えばヒップスターになり得る存在。
ろくでなしや、ならず者といったところ。
だが、こういった人たちはかっこいい。

ライフ・スタイルに筋が通っている。
自分の楽しみ方を会得しており人生を
楽しんでいる。

そして、5のゴミ。
既存の体制で優位なところを目指す輩。
もしくは既に着いているゲスども。

ゴミ発生のプロセスを見てみよう。
幼少期、教育ママのサクセス・ライフ
プログラムをいい子にこなす。
それは何も考えていないからできること。
塾に通い脳みそをほぐされ効率の良い
思考を手に入れる。

洗脳されており楽観主義者となっている。
やがて思春期、性欲がもたげてくる。
「うっせー、ばばー」
とならずに無難に通過。影でキチンと
欲望は満たしている。サクセス・ライフ
プログラムを守ることが最重要だからだ。

あとはポン、ポンとゴミの出来上がり。
追求するものも特に無く、スイスイと
世渡り。金はいつでも身近にあるので
偽りのセンスで人々を誘惑。

以上が5つの人種の内容である。
ノーマルな考えで、世の中の流れは
まずヒップ・スターが造る。それは
革命とも言う。そしてその世界が徐々に
完成へと向かう中で、支配者層が確率。
やがてその中身にゴミが増えてくる。

ヒップ・スターの子でもゴミになる。
世襲を繰り返せばやがてゴミが増えるのは
当然。完全支配体制の元では次世代の
ヒップ・スターは迫害され
アホと同等の社会の底辺に
落とされる。そこでセンスが練り上げられ
再び革命となって爆発する。

この例は主にヨーロッパの社会の話であるが
近代国家となった今の日本にも通用するはずだ。
これ以上ゴミが動かす世界を続けてはいけない。

現在の教育では皆同じ人間として扱う。
これは間違っている。それぞれ自分にフィットする
ライフ・スタイルがあるべき。
こうすれば成功するというのは大人の幻想。
ゴミと化した人間を社会に放出するのは罪である。

義務教育過程では何かと協調性を説く。
ヒップ・スターの鋭いセンスはここで傷つけられる。
「なんとか生き延びてくれ」と願う。

人々の頭の中で5つの人種分けが行なわれ、自分の
ポジションが明確になれば気持ちは安定する。
全部イッショコタのカオスを抜ける人種分け。

私は自分をアホと設定している。
私の意見はズレている。しかし、その後の
ヒップ・スター達に繋がるかもしれない。

そう思いたい。



27



今になって分かった

僕はボビーに憧れてたんだ

彼みたいになりたかったんだ


ボビー・ギレスピー



プライマル・スクリームのボーカル

僕が中学生の頃MTVでスクリーマデリカの
ビデオが流れていた

カム・トゥゲザー、ローデット

14歳の僕は
思春期の僕はその色、音
に反応していた

同時代の音楽で唯一反応したバンドかもしれない

とにかくスクリーマデリカは聞いたアルバムだった

CDウォークマンで何回も繰り返し聞いてた

音量マックスもその時からだと思う


眠気でうとうとしながら

ハイアー・ザン・ザ・サン
を聞いて酩酊での覚醒というのを

そういうのが好きだったんだと思う
あの頃からずっと

今も



僕が絵にたいしてのインスパイア湧き出るのも
そういうドロドロした中に身を置いてる時なんだと思う


ぶっ殺してやるっていう

そういう気分で絵を描いてたのを思い出した

今日。



28


みなさんおはようございます。

満★乳斎です。

梅雨前の穏やかな午前中いかがお過ごしですか?

僕は休日ということで今起きたばかりです。午前10時。

微かに聞こえるのは、すずめの鳴き声。

まだカーテンは開けてない。天気はどうかな?

心地いいな~



29



窓から外を見て!


車が走っているよ


真っ赤な車が走っている。




外を見て


まるで音が聴こえるよう


ひゅーひゅー風の音


りんりんベルが鳴る


大きな木が揺れている



外を見て


おじいさんが歩いている


すたすたと歩いている


どんなに陽気がいいんだろう


僕は手を振る


ハロー  ハロー


外を見て!


シュークリームをのせた車だよ


おいしそうなシュークリーム


食べてみたいな


モグモグと


外を見て!


この穏やかな町並みを


過ぎ行く人たちの笑顔を


流れる自然の営みを




目に焼き付けておいてくれ



30


車にのろうよ



31



昨日、ラジオのジャムザワールド15ミニッツで

アップルコンピューターのWWDCがクローズアップされていた。


アップルの今後の展開として、リビングへの進出というのがあった。

テレビをどう取り込んでいくか、などなど。

i padでかなりリビングに食い込んでいくことは間違いないだろう。

コンピューターよりも、家電よりの存在になりそうだ。

そしてその際、モノとしての価値が高いアップル製品はますます

需要を拡大していくことになるんだと思う。かっこいいから。


僕がそれと出会ったのは16歳の時。アメリカ滞在中にお世話になった家

にあった。ヒッピーの家だった。僕の家のコンピューター確か富士通

のはカリカリ気色悪いイメージだったけど、そこでみたMacはモノとして

かっこよかった。かなりのローテクでそれを何に使ってたのかは

忘れたけど、自分がコンピューター買うならMacだって思った。

更に、高校の先輩の家におじゃましたとき

そこにもありました。Mac。その先輩にはいろいろ教わった。

フォトショップ、イラストレーターこの二つのソフトの魅力。

多くのアーティストはMacを使っている。いやぁ、もうなんとも

「欲しいぃぃぃぃ。」というね。

で、買うことになるんだけど、そのタイミングでMacはジョブズ氏

のもと、大転換をするんだよね。たしか、'98年ころか。

i macの登場です。コンピューターが単なるベージュの四角い箱だった

のを、スケルトンボディのまるっこい形に変えてしまった。カラフルに。

宣伝なんかでも相当かっこよかった。僕は今のアップルの宣伝は嫌いです。

テレビコマーシャルではi macのが断然よかった。

実際、ぼくが買ったのはG3というもう少し重たいやつでしたが

それも緑のスケルトンで、なんかポップだった。僕はアメリカや先輩の家で

みたベージュが欲しかったんですが、もうそれしかなかった。


さっそく、そのアドビ社のフォトショ、イラレという二大巨頭ソフトを

入手し、その操作を覚えるべく日々部屋にこもるようになった。

あの時、僕が感じていたことはそこからまさしく、世界につながっていけると。

普通に電話回線でネットにつないでいたので必要なときだけちらっとつなぐ

という非常に今思うと不便な環境だったけど、その画面をとうしてかっこいい

ものをつくり、世界を覗くというのが本当に魅力的だった。

世界はひとつみたいに思っていたし、センスがよければね。

創作意欲があふれてしかたない状況だった。なんでもできるようになり

アイデアが次々に湧き出ていた。

2002年、i podを買う。20ギガは当時としては広大に思えた。

大学を卒業し、社会人としてのスタートと併せてみた。

さらに、コンピューターも買い替えることとなる。

i book。いまではネットの書籍販売の名前らしいが、むかしはノート型の

下位機種の名前だった。G3から4年たち、その存在が生活にとけ込んでいる

状態だった。ネットはADSL、でAir Macという無線で接続可能に。

ノート型な時点でかなりの機動性を確保していたし。

で、i podで大量音源を持ち歩く。ストレス・フリーがとても頼もしかった。

フォトショ、イラレを動かす環境もグンとよくなりまた技術もついてきたので

もう、快適そのものであった。

思ったときにさっと何でもできるという。ユビキタスという。


しかし、


それに引き換え、現実の自分はというと、社会人として世の中にぶつかり

時、車ごと電柱にぶつかり、冷や汗をかき、走り、雨にずぶぬれ・・・。

重みをましていくばかり。

センス、センスと漂えたのは親の保護下だからできたことなのだと痛感した。

センスでマシンを動かしていた20世紀の僕は今世紀にはいりその快適さばかりを

求め、そこに逃げ込むようになっていた。

ストレス・フリーな僕は音楽に関しても、アルバムを通しで聞けなくなっており

更に末期にはサビしか聞きたくないという状態。

スクロールで聞きたい部分を呼び出しそれがおわると次の曲へ。

落ち着きがなく、そのサビを聞いている間は次はどの曲にするかをクルクルクル。

常に右でクルクルしていた。


なにかがおかしい。


会社を辞め、i podもやめた。

CDウォークマンを買い、再びCDを聞いてみた。

「お、おおおおおっ!」


音楽の喜びが

一曲の輝きが


再び蘇る。


CDという制限。

しかし、それは作り手の理想そのもの。

曲の配置、これがどれほど大切か。

好きなのはこの曲。

でも、その曲を魅力的にさせているのは

その他の曲たちとのバランスであったりするのだ。

違う場合もあるけど。


それから僕はi podがどれだけ深化しようが

関心がもてなくなってしまった。

i phoneも。

i padも。


なにもかもが、壊れだしている今

未来はどこにあるか不安な今

アップルに寄り添おうとする人が増えている。


それは間違いです。


つつまれちゃいけない。

あくまで、使わなくちゃいけない。

健全な心と体をまずはもたないとはじまらない。

光にまとわりつく虫のようではいけない。


いけないよ。



32


32歳になりました。


とても平和で安らぎのある誕生日を過ごしました。


ふと、思うのです。


19歳の私が、何かの拍子で現在の私を見たとしたら


どう思うだろうか。


セレブに魅せられ


世界に魅せられ


ヒップであることをモットーとし


排他的で自己中心だったあの頃の私。


が、今のピースフルな私を見て


どう、思うだろうか。


分からない。




不毛だ。



視点を変えよう。



32歳にしてこう宣言できる。



私においての最前線にいる。



常にフロンティアで生きている。



過去を懐かしむことはあっても



そこに輝きを感じることはない。



30にして立つ。



そうだ。



アホ!



バカ!


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32

2011-06-10 | イラスト
32



32歳になりました。


とても平和で安らぎのある誕生日を過ごしました。


ふと、思うのです。


19歳の私が、何かの拍子で現在の私を見たとしたら


どう思うだろうか。


セレブに魅せられ


世界に魅せられ


ヒップであることをモットーとし


排他的で自己中心だったあの頃の私。


が、今のピースフルな私を見て


どう、思うだろうか。


分からない。




不毛だ。



視点を変えよう。



32歳にしてこう宣言できる。



私においての最前線にいる。



常にフロンティアで生きている。



過去を懐かしむことはあっても



そこに輝きを感じることはない。



30にして立つ。



そうだ。



アホ!



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