Dear ディアマンテス

2008-06-27 | イラスト

ありがとう。


心から、ありがとう。


僕は友情の光を、見ました。


牛馬童子のショックともしっかり向き合います。


次、あうときは笑顔です!


満★乳斎より
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野古道での事件

2008-06-20 | イラスト

私の愛する和歌山、熊野古道。


その中にありみんなの人気者だった石像

牛馬童子の首がとられてしまいました。


何とも言えず、つらいです。


おそらく多くの人が悲しんでいます。

あのかわいらしい牛馬童子の首を落とすなんて。


なんでなんだろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しいとはなんだろう

2008-06-19 | イラスト
皆さんこんばんは。

満★乳斎です。


いつも本ブログを読んでいただきありがとうございます。


では、今夜のテーマは・・・


このブログのタイトルでもあります

NEWについて。







新しいとはなんだろうか。

新しいセンスとはなんなのだろうか。

私はいつも考えている。


まずは二つの道理があるだろう。


1、全ての物事はつながっている。

2、生き物である限り、他者と同一にはなりえない。


これは互いに相反している。矛盾している。

だが、この二つが互いに絡み合い私たちの人間社会を形成している。


1から考えてみよう。

私は歴史的価値観には反対である。「古いから価値がある」のではない。が、人は生きていく間に必ずいろいろな物事に触れていく。創造性のはなしでいけばかつての秀作に触れているべきである。その価値を損なわないエヴァーグリーンな作品に魅了されそこから多くを学ぶはずである。時代背景として世間からの評価を一時失っているものもあるが、良質な作品を求め日々アンテナを張り巡らせていれば自分を揺さぶるような作品に出会わない筈がない。この辺りの話に関して言えば大滝詠一氏の分母分子論を参照されたいが、かならず一つの作品には背後に多くの影響がある。人と、人のピープルツリー。バウンスでそんなコーナーがあったな。これが何年代の作品だからとか、この人の作品だからとかそんなものは二次的要因で希少性でとんでもなく評価が上がってしまっているものは本質を見失わせる要因となっている。エポック・メイキンな作品というものは、その衝撃は時代を飛び越え結びつく。オリジナリティだの、個性だのそんなものを重視して、それが新しさだと誤解している。今までにないものを作ろうなどとすべきではない。過去とのつながりが希薄な良い作品もでることがある。それは才能あふれる人間が集まったときに可能となる。かつてのパリやニューヨークがそうであった。しかし、その過激さがどこからくるのかを考えると、それは批判すべき旧態という明確な存在があってのこと。また、その価値観を共有できる集団があってのこと。そういったなかでは爆発的に革命的な作品が量産される。決して人ひとりが天啓によって生み出す作品なわけではない。そこにいたるまでのつながりを忘れてはいけない。現在の我々が抱く新しさのイメージは浅はかなショウビジネスの円滑剤でしかない。そこにはなにもない。消耗品でしかない。その浅はかさの純度は日増しに高められている。そこに人間はいません。好きで好きでたまらなく、自分の技量はまだ足らず必至になって格闘する。最初は模倣からかもしれない。でもいつでも大好きな作品が相手になってくれている。創造性というのは厄介なもので、絶えずそれを超えようと願う。だから日々修練する。それが新しさの根源なのではないか。自分を育ててくれた背後があり、そして今を生きる自分は必至になって時間を進めるだけだ。ビジネスだとか、名声だとか
そんなものを要求して秀作ができるのではない。新しい存在、それだけで成り立つ訳がない。



2、これはどうだろうか。
過去とのつながりは希薄になるばかりであるが、横の縛り付けというのは相当厳しいのが現状である。すべてはビジネスの名の下に単一フォーマットがしかれつつある。個人の選択する権利が増えた?自由な時代です?しかしどうだろう。欲望の発生から
その解消法にいたるまでかなりパターン化されていると思うんですけど。資本主義の初期の頃には強引に少ないパターンに人間を押し込んでる感があったけど現在のテクノロジーを駆使したマーケットというのはもう、あたかもその強制システムがないように見せて実は完全にコントロールしているという、そんなすごい時代じゃないのか。第二次世界大戦当時ですら、人心掌握というのはかなり高度になっていた。今はもう完成の粋に入っていると言えるだろう。同時代の評価、世間の目、経済的成功これにとらわれ過ぎているのではないか。そしてそのような狭い範囲のなかで披露し合っている新しさ。これほどむなしいものはない。ばかばかしいものはない。それを自分たちは自由でやっていると錯覚しているのでなおのこと惨めである。かつての作品への執着心が薄れているのでこれほど新しさを乱発できるのだろう。たしかに、聞いたことないサウンドあるかもね。見たことないテイストあるかもね。でもそれらが輝きを失わないかどうかと問われれば、難しいだろう。未来のクリエイティブな人間に何かを伝えることができる作品がどれだけ生まれているだろうか。疑問である。全てがビジネスにならされてしまっているんだ。だからつまらないんだ。私たちは人間である。動物である。生き物である。そんな単一フォーマットにのっていいように動く数値ではないのである。その分、派手な栄光など得られない。嘘のような成功もない。それが生きているということなんだ。他人と同じな訳がない。存在からして全く別。100%の理解などない。苦しい人生を協力して生き抜くだけなんだ。その評価や反応に過敏になることはない。その中での新しさなどは一瞬の快楽でしかない。


1と2、あわせるとこうなる。
つまりは、己の指針となるのものは自分の背後にある。先は誰にも見えない。そこでは深い自己との対話がある。結論などでないかもしれない。納得などできないかもしれない。それでも今の瞬間を生きるのは自分。個人として懸命にいきるより他ない。作りつづけるしかない。同時代の横の評価はあくまで副産物でしかない。なくてもともとなのだ。自分の大好きな作品と今の空気を吸っている自分が作った作品。その結びつきというのがいつまでも新しさを失わない要素なのではないか。ルーツに自分も含めろ。そして今を必至で生きよう。僕たちの祖先がみんなやってきたこと。しごくシンプルなこと。

できない訳がない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

替え歌 

2008-06-17 | イラスト

今夜も懲りずに替え歌で



盛り上がろう・・・



みんなの知ってる童謡



「トンボのメガネ」


いってみよう。




♪トンボのメガネは♪


♪ドブ色メガネ♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

替え歌 

2008-06-17 | イラスト

こんばんは、満★乳斎です。


今夜も替え歌で盛り上がりましょうか・・・


服部先生の傑作

「東京ブギウギ」を替えてみました!


「おしりフリフリ」


♪お~し~り~♪


♪フリフリ♪


♪リズム ウキウキ♪


♪こころ わくわく ズキズキ~♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする