感動をありがとうございました!
みなさん、こんばんは。
もうじき試合、始まりますね!
どうでしょうか?
かなりの盛り上がりでしょうか!?
私は寝ることにしました。
妻はもう寝ていますし。
私が起きて応援した試合は負けばかりだったので
明日朝の快勝のニュースを夢見ながら
眠りにいこうと思います。
viva! world cup!
今まで、うす~い関心程度でチラ見していた私ですが
この勝利という一報に心躍っております。
ドーハの悲劇以来、スポーツ観戦自体することはなかったですが
現在のサムライ・ブルーについて、これから猛烈に学習し
応援していきたいと考えております。
これはひょっとして国を変えるほどのパワーかもしれませんね。
とてもいい具合に世の中が変わり始めているのかもしれません。
なんだか、わくわくしてきました。
次の試合は、サポーターとしてお祈りしたいと思います!
Viva World cup!
昨日、ラジオのジャムザワールド15ミニッツで
アップルコンピューターのWWDCがクローズアップされていた。
アップルの今後の展開として、リビングへの進出というのがあった。
テレビをどう取り込んでいくか、などなど。
i padでかなりリビングに食い込んでいくことは間違いないだろう。
コンピューターよりも、家電よりの存在になりそうだ。
そしてその際、モノとしての価値が高いアップル製品はますます
需要を拡大していくことになるんだと思う。かっこいいから。
僕がそれと出会ったのは16歳の時。アメリカ滞在中にお世話になった家
にあった。ヒッピーの家だった。僕の家のコンピューター確か富士通
のはカリカリ気色悪いイメージだったけど、そこでみたMacはモノとして
かっこよかった。かなりのローテクでそれを何に使ってたのかは
忘れたけど、自分がコンピューター買うならMacだって思った。
更に、高校の先輩の家におじゃましたとき
そこにもありました。Mac。その先輩にはいろいろ教わった。
フォトショップ、イラストレーターこの二つのソフトの魅力。
多くのアーティストはMacを使っている。いやぁ、もうなんとも
「欲しいぃぃぃぃ。」というね。
で、買うことになるんだけど、そのタイミングでMacはジョブズ氏
のもと、大転換をするんだよね。たしか、'98年ころか。
i macの登場です。コンピューターが単なるベージュの四角い箱だった
のを、スケルトンボディのまるっこい形に変えてしまった。カラフルに。
宣伝なんかでも相当かっこよかった。僕は今のアップルの宣伝は嫌いです。
テレビコマーシャルではi macのが断然よかった。
実際、ぼくが買ったのはG3というもう少し重たいやつでしたが
それも緑のスケルトンで、なんかポップだった。僕はアメリカや先輩の家で
みたベージュが欲しかったんですが、もうそれしかなかった。
さっそく、そのアドビ社のフォトショ、イラレという二大巨頭ソフトを
入手し、その操作を覚えるべく日々部屋にこもるようになった。
あの時、僕が感じていたことはそこからまさしく、世界につながっていけると。
普通に電話回線でネットにつないでいたので必要なときだけちらっとつなぐ
という非常に今思うと不便な環境だったけど、その画面をとうしてかっこいい
ものをつくり、世界を覗くというのが本当に魅力的だった。
世界はひとつみたいに思っていたし、センスがよければね。
創作意欲があふれてしかたない状況だった。なんでもできるようになり
アイデアが次々に湧き出ていた。
2002年、i podを買う。20ギガは当時としては広大に思えた。
大学を卒業し、社会人としてのスタートと併せてみた。
さらに、コンピューターも買い替えることとなる。
i book。いまではネットの書籍販売の名前らしいが、むかしはノート型の
下位機種の名前だった。G3から4年たち、その存在が生活にとけ込んでいる
状態だった。ネットはADSL、でAir Macという無線で接続可能に。
ノート型な時点でかなりの機動性を確保していたし。
で、i podで大量音源を持ち歩く。ストレス・フリーがとても頼もしかった。
フォトショ、イラレを動かす環境もグンとよくなりまた技術もついてきたので
もう、快適そのものであった。
思ったときにさっと何でもできるという。ユビキタスという。
しかし、
それに引き換え、現実の自分はというと、社会人として世の中にぶつかり
時、車ごと電柱にぶつかり、冷や汗をかき、走り、雨にずぶぬれ・・・。
重みをましていくばかり。
センス、センスと漂えたのは親の保護下だからできたことなのだと痛感した。
センスでマシンを動かしていた20世紀の僕は今世紀にはいりその快適さばかりを
求め、そこに逃げ込むようになっていた。
ストレス・フリーな僕は音楽に関しても、アルバムを通しで聞けなくなっており
更に末期にはサビしか聞きたくないという状態。
スクロールで聞きたい部分を呼び出しそれがおわると次の曲へ。
落ち着きがなく、そのサビを聞いている間は次はどの曲にするかをクルクルクル。
常に右でクルクルしていた。
なにかがおかしい。
会社を辞め、i podもやめた。
CDウォークマンを買い、再びCDを聞いてみた。
「お、おおおおおっ!」
音楽の喜びが
一曲の輝きが
再び蘇る。
CDという制限。
しかし、それは作り手の理想そのもの。
曲の配置、これがどれほど大切か。
好きなのはこの曲。
でも、その曲を魅力的にさせているのは
その他の曲たちとのバランスであったりするのだ。
違う場合もあるけど。
それから僕はi podがどれだけ深化しようが
関心がもてなくなってしまった。
i phoneも。
i padも。
なにもかもが、壊れだしている今
未来はどこにあるか不安な今
アップルに寄り添おうとする人が増えている。
それは間違いです。
つつまれちゃいけない。
あくまで、使わなくちゃいけない。
健全な心と体をまずはもたないとはじまらない。
光にまとわりつく虫のようではいけない。
いけないよ。