君はバイブル

2005-08-10 | ポエム

君はバイブル

僕はセレブ
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僕が死ぬまで

2005-08-08 | ポエム

僕が死ぬまで
君は元気だろうか。

僕が死ぬまで
空は青いだろうか。

僕が死ぬまで
伊勢神宮は平穏でいるだろうか。

僕が死ぬまで
第12番惑星はそのままだろうか。

僕が死ぬまで
タモリはいいともを続けるだろうか。
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ゴールデン・スリー

2005-08-08 | 人物
PROLOGUE

私の高校生活の舞台は、東京の蒲田だった。
汗と、油と、排気ガスが入り混じった
私の人生で特異な3年間、熱血男子校での生活。

皆、目がギラギラしていたように思う。

そんな中で得たかけがえのない友人達を
今日は紹介したい。

ゴールデン・スリー

ここでのスリーとは3人いるからである。

ではまずはこの人からいこう。

その名も

ゴールド

残念なことに彼とは高校卒業以来音信不通である。
だが、私は彼を一生忘れない。
彼ほどまでに強力な「素」を持つ人を他に知らない。

私の高校はブラス・バンドが非常に強い学校だった。
彼はそこでパーカッションを担当していた。
授業中もゴム・パットの上で練習していた。
いつもコトコト音がしていたがそれが普通になっていた。

彼の溢れるエネルギーの大半はブラス・バンドで
消費されていたが、それでも有り余る時は飛び跳ねていた。
金網があればよじ上っていた。女子がいない訳で
それらは何のアピールでもない。純粋に「動きたい」
というだけなのである。私にはそれをする気力も筋肉
もなかったため遠くで笑ってみていたが
正直うらやましかった。

彼は下ネタが大好きで、発言の大半に織りまぜられて
いたがそれは清々しく聞いていられた。
やはり、強烈な「素」の魅力は強い。私の「センス論」
もそういった人種には届かないであろう。

彼の歌声
「♪ゲッカ~ スイモク・・・」はいつまでも
私の記憶に留まることだろう。

さあ、つづいて

ゴールデン・チャイルド

おそらく、色々な友人の中で
私が語り合った時間が圧倒的に多いのが彼である。
よく私の家で夜通し討論しあった。「無限の会話」と
当時読んでいたが、まさにそんな感じだった。

ある授業の最中、ペチ、ペチ、と無気味な音が
聞こえてきた。フッと見るとゴールデン・チャイルドが
体育教師、アンダー・ザ・マウンテンのビンタを
喰らっていた。私は恐怖で助けに行けなかった。
後に聞いたところダメージは無かったようだが
突然の暴力を見た瞬間というのは何故か自分迄
恐怖を感じてしまう。

ヴィンテイジ・ジーンズを求め、二人で遠く迄
出かけたこともあった。「バッファロウ」という
名のジーンズ屋でキャントンの504-0009を買った。
履き込みを互いに競い、彼の皮パッチが
クッシャッとかっこ良く縮れたのが羨ましかった。

大学に入ってもよく遊んでいた。
クラークス談義で盛り上がった。
確か彼はレッドランド?という靴で
私はワラビーとデザート・ブーツを
履いていた。手入れの仕方をお互い
研究し報告しあっていた。

彼からエディフィスを教えてもらい
銀座までシャツを買いに行ったこともあった。
初めての敷居の高さにおののいた。
ゴム製のカフスや、シャツの柄。
大人の世界だった。

その後、良く議論するようになる。
私が「村街・論」を考えはじめた頃だ。
彼は建築学科へ進学していた。
'50sのモダン全盛期の知識は新鮮だった。
文系の私が徐々に実態から離れていくのに対し
理系の彼は実態の捉え方を学んでいた。

お互いの一致点は
「かっこ良くなければ意味がない」
この「かっこ」を「ヒップ」に
置き換えればまんまリー・モーガン
のフレーズである。

私は彼の行動の過激さに憧れている。
「静」の私が内面を過激にしていったが
「動」の彼は過激に色々活動していた。
なんでもとことんまでやる男。
只、ビッグ・スルーと違って表面は
非常にソフト。そこが私との共通点。
空手、バイトなんでもそうだがどの話も
凄い。ここでは具体的には触れないが
私はいつも驚かされていた。

以前触れた「スパイス・パーティー」
は彼の協力で開催できた。実際に使って
くれ、色々と提案もくれた。私の個人的な
挫折で、あの企画もポシャり悪いことを
してしまったと反省している。

現在彼は建築事務所で働いている。
彼による設計で「刈谷ハイウェイ・オアシス」
の足湯の屋根が完成した。

ゴールデン・チャイルドの紹介で
安田先生と知り合った。そして先生からの
影響でブログを開設したと言う流れ。

さぁ、最後になりました。

ゴールデン・フィールド

私は彼の描く絵が非常に好きだ。
彼からの丑年の年賀状で
「モーチャンズ」というのがあったが
非常にかっこ良かった。
吉田戦車が崩れた感じとでも言おうか。
彼の家に行くと、本棚には
「オボッチャマ君」が並んでいた。

彼の弟への態度はまさにリアル日本男児
だった。ラオウとケンシロウ。
ゴールデン・フィールドが弟に色々命令
して、部屋をでようとした時
ふと振り返ると
中指を立てた弟が立っていたそうである。

とにかく、私が思う「男」を地でいく
ゴールデン・フィールド。
デビュー・シングル内の「かっとび
ヘンリー」は彼との共著である。
絵から私の彼への信頼が伝わるだろう。

私達はパンの注文票でよく遊んだ。
昼食べるパンを注文票に書いて提出する
と、それをパートのおばさん達が
茶色の袋に書き写してパンを入れて
届けてくれる。普通それは自分の
名前である。

私達はそこに色々なモノを書いた。
おばさんの絵心を楽しんだ。
初期は棒人間。
後期になると複雑になり
ケンシロウの顔などを書かせていた。

おばさん達の抵抗にあい終了させられた。
そんな中でもゴールデン・フィールドは
ずば抜けたセンスを光らせた。
彼が書かせた言葉、絵に私は爆笑した。
授業中に思い出してまた爆笑するほどの
威力を持っといた。

大学時代にもチョコ、チョコと会っていた。
携帯電話のセールスで驚異的な成果を
上げたり、そこで儲けた金でタイで
豪遊したり。男らしい生活を送っていた。

そんな彼は現在、証券会社の人事部で
働いている。かなり忙しいらしく
ここ1年半ほど会っていない。
先日一緒にバンドをやらないかと
誘ったところ断られた。

青い10代の頃の記憶を彩る
彼等は私にとって貴重な存在である。
もし、もう会うことができなかったとしても
思い出は鮮明にいつまでも残ることだろう。

そして私は思う。
'90s中盤の日本。
あの頃の空気。夕暮れが迫るような
焦燥感。
今は決して夜明けではない。
勘違いして楽しもうとしてる人達
違いますよ。今はまだ真夜中ですよ。
あなた達が見てるのは電灯、もしくわ
テブコ・光。
本当の日の光はまだですよ。

かつての本当の昼間を知らない
今の10代はまだ寝てなさい。
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サウンド

2005-08-04 | ポエム


心を閉ざせば
音も消せるのかな


心の奥深くに
入ってしまえば
音のない世界へ
行けるってことかい


よっしゃっ
そしたらオレは
次の電車の音を消してやるっ


さあっ
行こう


深~く、深く


音から逃げろっ


電車がくる前に


ふうっ
さてもういったかな


えっ!?
今来たっ!?
もうだめだ~っ


ドン!


ってーな、コノヤロ
人にぶつかっといて・・・


わっ凄いキレイな人だな、オイ








「・・・ドアが閉まります」


プシュー・・・・・・・・・


キレイナ人の前では音なんか
スッ飛んじゃうんだね
イエーイ!

ラヴ・サウンド。
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マイ・ルーム 6

2005-08-01 | マイ・ルーム
PROLOGUE

'04年、5月。
私は会社を辞めた。
翌月より、山下埠頭たもとにある
喫茶室を運営することになる。

私がそこで何をしたかったか。

狂いたかった。
何にも邪魔されずに伸びきりたかった。
その生活を始める前の決意表明として
断食をした。

サラリーマン末期の怠惰な自分との
決別だった。水すら飲まずにがんばった。
力石トオルへの憧れも一寸あった。

私の性格の中の歪んだ部分を爆発させる
為に、できることは全てしようと思った。
マイ・ルーム、クライマックスである。

マイ・ルーム 6

店の責任者となる、すなわち一日の大半を
店で過ごす。そうなると、店は私の部屋となる。

再び大移動が始まった。しかも、以前の私の
持ち物JBLのスピーカーとも再会を果たす。
店は二階にあったが一階には開かずの倉庫があった。
ひどく汚いため長らく放置された部屋だった。
私はそこに目を付ける。

店をいくら部屋化するといっても、客席は
どうにもならない。自分用にできるのは
ほんの一部分である。そこで、究極パーソナル
ルームとして一階倉庫を捉えることにした。

そこから死闘が始まる。
予想以上に汚かった。入った瞬間天井にゴキブリ
の卵。まるで、インディー・ジョーンズの世界。
普通なら怯んだだろうが、当時の私はそこに
理想郷を見ていた。
何故か。

厚さ20cm以上あるコンクリートに覆われたその
倉庫はまさに大音響を可能にする夢の空間だった。
屋根裏の挫折をそこで成就しようとした。
年代物の生ゴミ、山のような電化製品。
店の業務そっちのけで私は戦っていた。
ちょっとの掃除では居れる場所になるはずが無く
結局3ヶ月を要した。

パーティーも開いた。
今迄音信不通だった友人達も呼び、賑わった。
前に登場したビッグ・スルーももちろん呼んだ。
マイ・ルームに人を呼ぶのは元来好きである。
店に人が沢山入っている様子を外から眺め
私は満足していた。そういう絵が見たかった。

当時好きだった活動としては
通勤中のサラリーマンを見ながらお茶をすること。
友人の コトワリ君と一緒に早朝集合し
駅のドトールでお茶をたのしんだ。
私は朝からサングラスをかけ、ニヤニヤしていた。
止まった時間の中で自分達だけが動いている
ような気がしていた。

絵の活動も始めようと、チームで雑誌を
創ることにした。雑誌名は『ゼウス』。
創刊予定は昨年の11月6日であったが
未だに試作品を練っている状況である。
メンバーのコトワリ君とセイント・ワンには
ご迷惑掛けて申し訳ない。

これ以外にも沢山変なことをした。
ジキル的な良識を持った私は魔封婆により
消し去られた。

朝、市民プールで開店迄泳ぎ(開店の準備は
パートさん任せ)ぷらぷら出勤。
途中の老舗パン屋で朝食を購入。パートさん
の分も。で、スターバックスでジュースを買って
店入り。売り上げはほぼ無い店だったので
部屋造りに励んでいた。
ふと見上げると、そこにはマリン・タワー。
自由が溢れていた。

レジ台がアンティーク家具だったので、その横
に置くサイド・テーブルもアンティークでそろえた。
山下の静けさ。アンティーク家具の中で私は
居眠りしていた。たまに起きてはマンガを書いた。
デビュー作で発表した「カフェ・maerchen」は
そんな中で描かれた作品である。「モヘ・ロック」
もそうで、当時のユルサを物語っている。

完成した一階プライベイト・ルーム。
素晴らしかった。屈辱的な撤退をした一人暮らし。
あの部屋をこえるものになった。
マイ・ルーム史上最強の部屋が誕生する。
誰からも干渉を受けない部屋。
音響設備もバッチリだった。テレビもつなげた。
間接照明をはり巡らしコンクリートの壁を
演出した。

セッティングが終了してまず最初にかけた曲。
大滝詠一の「ペパー・ミントブルー」。
音量はほぼマックス。
とんでもなかった。まさに音の洪水で溺れる
快感。曲が終わっても暫く放心状態であった。
映像で最初に観たのはベニ・ケイのサンライズ
のプロモだった。そのすぐ後に
マーロン・ブランドの「ワイルド・ワン」
「アン・アメリカン・バンド」
のブライアンが歌う「サーフ’ズ・アップ」
は毎日のように観ていた。
もういうことは無かった。

まさに理想を実現することができた。
だが、私は本当の恐怖を知らなかった。

倉庫での滞在時間が日に日に増える中
私はあることに気づく。吐いたタンが
真っ黒だったのだ。
血の気が引いた。
部屋をよく見ると小さい
埃が恐ろしく舞っていた。
それ以降、床を濡れぞうきんで拭くようにした。

空気がやや浄化されてくると、私はそこで
寝泊まりしようと考えはじめる。
初日の朝、起きると鼻から蚊の死骸が出てきた。
さすがにこたえた。
「ここは人間のいる場所ではないのか・・・]

極めつけは、いつも何となく臭かった原因である。
入り口にいつも砂の山があった。
変だなとは思っていたがほっておいた。
ある時それを間違えて崩すと中にはクソがあった。
焦ったが、犬だろうと思った。
だが、次に発見した時それが人糞であることが
証明された。紙があったのである。
「ふざけんなよ・・・」
と呟いた。
よくみると扉には立ちションの後があった。
私の倉庫はかなり窪んだところにある。
面している通り自体が裏路地であるため
そこは誰にも気付かれない場所であった。
後で知ったが、タクシー・運転手ご用達の
トイレであった。

私の理想郷への入り口はトイレであった。
アメリカ産超強力洗浄剤で毎日のように
洗うが、それも空しいだけであった。

続いて大雨の後。コンクリを通して
水がしみ出し、私のコレクション
を襲った。

そんな中、急遽私の勤める店の
大家さんが建物全て改装する
という話がやってきた。
店も一度閉店になるのだそうだ。

また挫折だったのかもしれない。
私は再び実家へ帰ることとなった。
未だに思うが、あそこが
一番過激であった。
また、私の人生であの時期程狂う
ことはもうないだろう。

店が閉店したら、私はニートに
なろうと決めた。
ちょうど、私が実家へ帰ると
妹が就職先で寮生活となるため
北の部屋が空いていた。

結局、スタートに戻ってきた。
幼稚園のエメラルド・グリーン。
だが、今迄とは違っていた。
人間が住むために創られた
部屋はやはりいい。根本を
見つめ直していた。

つづく




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