世代分け

2005-10-01 | 思想
PROLOGUE

「近頃の若い奴は・・・」
いつの時代も下の世代へはそう思うらしい。

それが常、実際は何も変わらない。
・・・のだろうか?

私は言いたい。変わっているのである。
どんどんユルくなっているのである。
自分よりもルーズになっていく様を
みて嘆くのである。
近年であれば、かつての沸き上がる
エネルギーの消失を悲しむのだ。

世代ごとの性格というのもがある。
人種分けをした様に世代の性質を
明かにしよう。
私達がどこへ向かっているのかを
明確にする。

世代分け

いたって自然なことである。
干支によってかく年代には個性がある。
易学にも通じるが本来人間は
分かれているのだ。そうじゃないとする
ほうが不潔です!
でもここで論じるのはそんなベーシックな話題
ではない!マイ・オリジナル・思想。
さあ、始めよう。

各々の世代分けが的確に行なわれていた
時代。それが日本の江戸以前である。
液体・日本人がその特性を活かし
独創的かつ平和な存在だった。

文化レベルも極めて高く
そのセンスが起爆剤となりヨーロッパ
でモダニズムを起こした。
しかし、時代の流れは文化ではなく
経済発展を求めた。
片田舎だったイギリスで産業革命が
起きたとき、資本主義という怪物が
世界へ羽ばたくこととなる。

モノを次々生産し、それを売る先の
植民地を広げていく。まさに石文化
が生んだマスター・プラン。その石畳
はアジア全土を覆い尽くす勢いとなる。
柔らかい存在のアジアなど敵ではない。
気体のインド人の凄さなど見えない。

そんな血なまぐささを察知した日本人は
自らの固体化を目指す。江戸以前まで
脈々と受け継いできた世代を分ける感覚
は欧米「石文化」にはない。同人種内
では基本的に平等となる。その代わり
人種分けは執拗にこだわるが。

明治期の日本は己のメンツなんか
捨て去って近代化つまりは固形化した。
実際、愛国主義の方々がおっしゃる程
華やかな時代ではないが、植民地に
ならなかっただけでも凄いじゃないですか。
すごいケナゲな存在。

明治のエリート層なんかの固形度合いは
ハンパ無いですよ。もう英国人顔負け。
表情もこわばっててカッコいいし。
石畳の一員として恥ずかしくない。
その下にはなりたくなかった。
アカデミズムだって、政治だってこの
当時だから機能したんですよ。
それらの知識が固形化に必要だったから。
近代国家として立ち上がった時
世代分けの概念は消滅していた。

で、大正の世。
がむしゃらに突っ走ってきた明治とは
若干かわり、自由が出始めた時期。
必要品のみの時代から嗜好品に
手が出始めた時期。この当時の自由さは
欧州の深い文化の影響を得ていて
ドロッとしている。形状はやはり固形
をキープしている。この時代の面白さは
自由の下にハイ・センスを求める時代
である一方で、世界は明かに不安定
な道を転げ落ちていてどうにもならない
不安感が世界を覆っていた。その混ざり
具合がいい。江戸川乱歩の世界。

そして、昭和。
ゆとりの大正の世から一変。過酷な世界
情勢に引きづり出された。ここでポイント。
各時代の影響というのはその次に現れる。
つまり、幼少期の教育段階で濃厚に吸い取った
ものを自分が成人となって吐き出すからだ。
つまり、初期の昭和のムードを作ったのは
大正のユルユルにある。そのため、昭和人は
急速に液体化の一途をたどる。
明治は江戸末期のヒップ・スターが作った
ということ。ユルサなどそこにはない。
天皇制を近代国家の立憲君主制に応用した
のはハイパーなアイデアであった。方向性
を決めれば一瞬でことが流れる必殺技だった。
それらを熟知していた明治のヒップ・スター
達。また、綿密な概況戦略のもと国家という
固形の存在を作り上げた。

それなのに、である。
昭和人は天皇が神であることを前提で考え
その国民である自分達は特別であると錯覚
を起こした。個人は消滅し「世間」が
人間を支配した。その世間の役割こそ
たまに浮き出る個をねじ伏せる存在。
そんな中で近代から日本は飛び出る。
カルト集団となっての暴走が始まった。

当然の結果としてやられて終わる。
昭和中期、日本は焼かれて丸裸だった。
そんな時代を生き抜いたのが容量の
いい商売人。センスなど関係ない。
儲かりゃいいんじゃ。大きければいいんじゃ。
もっと欲しい、もっと!
こんな時代。そして成功した。
明治期の動乱期と違ってこの時代を
リードしたのはヒップ・スターではない。
既にゴミの世が始まっていた。
えげつないセールス。だがそれを支える
実態のクラフト・マン達の広い裾野が
あったればこそ、戦後の成長があった。
学問、政治、これらは固形物となるために
必要だった。だがもうハウ・ツーなど
関係なくなり、学歴という資格。
地元を潤わせるための商売に成り果てた。
そんな時代でも角栄氏のような偉人は
いるが彼は本来政治家ではない。近代国家の。

昭和中期、本来のセンスに鋭かった
人間達は敗戦シンドロームにとり憑かれ
半分冥界を彷徨っていた。同世代の
本来なら眼中に入らなかったような
輩が始めはチョロチョロ、次第に
富を手に入れビッグになっていく。
自分はといえばしがないサラリーマン。
そんなかつての軍人たちが街には
沢山いた。

明かに日本の経済は発展し過去の
過ちなんかどうでもよく、楽しい
時代が始まる。死にかけの親の代
を嘲笑うかの様にセンスで切り裂く。
旧世代が虫酸がはしる音楽をかき鳴らす。

しかし、ここで悲しいのは彼等もまた
ヒップ・スターではないということ。
イギリス、アメリカの模倣。しかも
自分と相手とが別の物質であること
忘れた上での思い上がり。情けない。
ただ、この時代が特殊なのはまれに見る
世界が一つになろうとした時期であった
こと。ビートルズが旧体制全てを破壊
した。彼等は世界規模のヒップ・スター
であった。この流れは昭和後期まで
続く。ライウ゛・エイド辺りが頂点で
その後終わった。

昭和中期になっても戦おうとする
人間もいた。その最後の砦が共産主義。
赤軍。鋭さを持ったエリート達は思想
で武装していた。学生運動は一歩間違えば
国を別次元まで持っていく程に過激であった。
只、明治期と違っていたのは彼等がヒップ・
スターではなかったこと。頭でっかちの
エリートたちが理想をトンガラがせている
だけだった。それに連なるのは凡人達。
所詮はポーズに過ぎない。

で、結局は安保問題にぶつかりアメリカを
怒らせてしまう。徹底的に潰されて終わり。
昭和40年代も、50年代も学生の問題
定義は許されなくなった。
その後若者が思想を共有することは危険
とされ厳しい管理体制がしかれる。
昭和初期の軍人同様、その後の彼等は
悲しいだけの存在になってしまう。

昭和後期、オイル・ショックなどの世界的
危機はあったが、がぜん日本は元気で
あった。すでに独自の資本主義をも乗り越える
経済を築き上げておりそれらはしばらく
温存されていた。

昭和末期から平成初期にかけ日本は
爆発する。まさにバブル。産業革命以後
有色人種がトップに踊り出た唯一の時。
恐れるものは無くなったのである。

さて、ここから趣向を少し変えていこう。
ここまでは通史としてざっと捉えてきた。
また固形であった時代であるため年代
ごとの差もたいしたものではなかった。
しかし。バブル期を境に私達は溶けた。
現在のようなアメーバになった訳ではない。
黄色いセンスのもと日本人は輝いたのだ。
本の一瞬ではあったが・・・・。

その輝きを何歳で通過したのかが
世代分けの構成に大きく関わってくる。

まず、当時親の世代であった団塊の世代。
現在の58歳近辺。彼等はこの意味を
分かっていない。すでに出来上がって
しまっているので仕方ないが次世代が
どれだけ自分達と違う人種になっている
のかを考えなさ過ぎた。彼等にしてみれば
単に、白熱する経済を必死に回したという
程度。で、自分達も学生運動やらいろいろ
やったけど、青春謳歌したけど歳月経てば
同じような大人になるのさ。世代分けを
認めないだろう。

その下。バブル初期を20代の中で通過した
人々。彼等は大学の浮ついた空気をまさに
体にしみ込ませてしまった世代。お気楽
ピープル。みんな若き日のトム・クルーズ。
もしくは真田広之。私からすればしごく
いとおしい存在であるが大手の会社など
からすればバブル入社組として煙たがら
れてるのも事実。エスカレーターしか
知らないので止まってもまた動くだろう
と考える。が、最近になり現状のあまりの
厳しさに恐怖を感じはじめている。
結婚率が極めて低い世代でもある。

バブル後期を20代で通過した先輩方。
この辺りから「冷め」始める。すこし
上の世代のあまりの脳天気さをクールに
みている。鋭さはファッションや音楽
にも影響を及ぼし本物嗜好が台頭。
ジャパン・アズ・ナンバー・ワン
のかけ声は消えていく。再び固形への
憧れが強くなる。それはあくまで
格好良さのために。明治期の固形化
とは違うが、第二次固形化時代とでも
いおうか、そういう時代だった。
洋服屋の店員、美容師、クラブのDJ
そういった所にヒップ・スターが
集まりはじめていた。'90s初頭。

次。バブル後期に10代だった連中。
ちなみに私はここ。
幼児期の無邪気さがそのまま世代の
空気であった。テレビは面白い。
ゲームは面白い。年を重ねていく
ニーズも変わってくる、すると
欲しいものが次々と現れた。
ファミコンからスーパー・ファミコン。
ヲーク・マンからCDヲーク・マン。
この辺りの話題は他でも色々いってる
のでこのくらいでキル。
そして思春期以降は、上の世代に
憧れ本物嗜好へ進んでいく。
かっこいいもは沢山あった。本物も
沢山あった。すぐ上の先輩達が
クールな存在であったために憧れて
進むという理想の形となる。

だが、ここで問題が生じ始めた。
私達は小~中あたりで止まっているのだ。
フォロアーでしかない存在!
いつまでもユーザーでしかない存在。
クソ雑誌「R25」を読んで頂ければ分かる。
あれこそまさに僕らを象徴している。
ザッツ・イットって感じ。単なる
編集の見事さでしかない。最初みた時
「おっ!いいね」と思ったが
それはスパッと切り抜く編集技術
に快感を覚えたから。読み続ける
うちにそれが単にドライなだけで
つまんなくなる。ウケを狙ってる
部分でも単なるこねくり回しに見えて
きてもうダメ。
この批判は私達自身への批判に
繋がる。素晴らしくいいポジションを
得たとしても中身がなければ意味が
ない。編集能力ばっか上がってるから
過去の事柄ばっかり扱ったままなんだ。
人にしろ、絵にしろ、音楽にしろ
それらを上手く扱えるだけ。それを
壊して先へ進むパワーがない。
要領良く美味しいとこ持ってってる
人はいる。世代は若干違うがホリエモン
なんかは私達の先駆けである。
あいつに未来はない。

バブル期に自我が芽生えていなかった
世代。これがアメーバと化している
部分。進むこととは何か知らない。
生きることとは何か知らない。
彼等が成人してくる頃に国は壊れる。
現在のどんな手段を使っても彼等を
教育することは不可能だろう。
変わる時とは、新しいセンスが
確立し秩序ある液体人間になれた時。
魂が入ればアメーバも変わるって事。
明確なセンスとは高低そのもの。
平たい平等なんかタタッ壊せ。
年だけは取るが、こんなままの
世の中が続いている限りいつまでも
人間にはなれないぞ。

世代分けをして現状を認識する。
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